盛田幸妃

2009年08月30日 | 健康・病気
「不屈の者たちへ」再放送(NHK16:00~16:45)
「元プロ投手・盛田幸妃脳しゅよう再発と闘う▽
 奇跡の復活から10年人生のマウンドに立つ」を観た。

盛田幸妃という投手を私はよく知らなかった。
88年横浜大洋ホエールズにドラフト1位入団。
92年には佐々木主浩とのダブルストッパーで大活躍した。
98年近鉄バッファローズへ移籍。
シーズン中に脳腫瘍が見つかり、12時間に及ぶ手術を受ける。

手術の翌日に急に右手と右足が動かなくなったとき、
盛田は落ち込み、「安楽死させてくれ」「死ねる薬をくれ」と
何度も口走しった。
そのとき奥さんのいった言葉が素晴らしかった。
「あんたひとりぐらい私が食べさせていける」
こんなこといってくれる奥さんがいるのはいいですね。

私も女房には救われている。
なにしろ弱いダメな亭主なんです。
まじめな話、女房がいなかったらここまで生きてこられたかどうか。
(こんなことを九想話に書くとまずいな。あのひとが読んでる…。
 あいつにエバられてしまう)

細かいことはよく覚えていないので書けないが、
盛田幸妃は、リハビリを一所懸命やった。
翌年、彼は球界にカンバックした。
2000年に引退を一度決意したが、大幅な年俸減を飲んで現役を続けた。
翌年の、オールスター出場、日本シリーズでの登板、
そして、カムバック賞を受賞した。
(記憶で書いているのでちがっているかも知れません)

2002年に引退、その後、ラジオ局から話があって解説者になった。
解説者になって苦労した。
キャンプ回りをしていても誰とも話せなかった。
みんな必死に練習しているのに声を掛けられない。
少ないデータで最初のラジオ放送にのぞんだ。
どうしても遠慮があり、選手を「**さん」とか「○○くん」
と呼んで解説してしまった。
それを聴いていた落合が、
「あんな選手に遠慮した解説していたんではダメだ。
 もっと本音で解説しないといけない」と電話で怒鳴ってきたそうだ。
落合は現役のとき、盛田を苦手としていたらしい。
その落合が、盛田のためを思って忠告している。
私はけっこう、落合という人が好きです。
現在、盛田は、球団の裏方の人たちを取材しているという。
その人たちの話が、その球団を見るときに役にたつそうだ。

解説者になっても2度、脳腫瘍が発見されて手術をしている。
手術で取っても、またできてくる。
主治医が、あなたの寿命は50歳だと思ってくれ、といわれた。

彼は、脳腫瘍がわかるまで人生好きなように生きていた。
独身の頃一晩で100万円飲んだこともあったそうだ。
毎年、外車を乗り換えていた。
スチュワーデスの美人の奥さんももらった。
しかし、病気になっていろいろなことがわかったそうだ。
これまで何度か私は、盛田幸妃の解説は聴いている。
しかし、いいかげんに聴いていた。
これからもし聴けることがあったら、真剣に聴きたい。

コメント (2)
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