人生が二度あれば

2007年07月12日 | 健康・病気
小説新潮5月号の特集は「人生が二度あれば」だった。
浅田次郎、重松清、大崎善生、諸田玲子、小路幸也が、
そのテーマで書いた小説がある。
その中で私が一番よかったと思うのは、
大崎善生の「パ・アラム・ポ」だった。

“私”が夢であった船旅での世界一周を妻の妊娠で諦め、
長男が生まれてから家族3人で行った
「オセアニア・クルーズ四十日間」の船の上での
“私”の想いが書いてある。
「パ・アラム・ポ」とは、“私”がもっとも気に入っている
タガログ語で、「さよなら」という意味だという。
船での食事の世話や部屋の掃除をしてくれるクルーは、
フィリピン人が多いようだ。

> 海を見、ビールを飲みながら妄想を駆り立てる。
“私”が息子の昼寝の間、四十日以上そうしていた。
四十七歳で生まれた子どもを病気の父に会わせたこと。
自分と父親のこと。
祖父、父親の三兄弟、兄と従兄弟たちのほとんどが
医師という医系家族からの脱出をはかり、
小説家を目指した“私”のこと。

>  小説家というなり方も、やり方も何もわからない仕事を気
> 持ちだけで目指しても、結局は形の見えない曖昧な挫折が待
> ち受けているに過ぎなかった。そこにはわかりやすい試験も
> 選別もなく、もちろん資格があるわけではない。一本の私小
> 説すらも書くことができなかった、作家志望者に残された道
> は社会から転げ落ちていくことだった。

それでも“私”は四十歳を超えて物書きになった。
“私”は自著を父に送る。
> 父は私の本を何度も通読し、夜はベッドで抱いて寝ていたという。
そのうち父親は糖尿病の合併症による白内障で本が読めなくなる。
すると母親に朗読させるという。

> 札幌の病院の西日の射す部屋で、顔を赤らめながら自分の
> 息子の書いた小説の性描写を朗読する、年老いた母と、涙を
> 浮かべ頷きながらそれに聞き入る父の姿が印象的だ。

そして父は亡くなった。
船旅は終わりに近づいていた。
読後感のいい短編でした。


コメント
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