さよなら「増俳」

2006年06月29日 | 健康・病気
  六月の氷菓一盞の別れかな  中村草田男

この句は、私の愛する「増殖する俳句歳時記
最終日の句です(「増俳」は十年でやめると清水さんが宣言して始められた)。
いい句だな。解説文が素敵です。
最後の日にこの句を選んだ清水哲男さんの心がうれしい。

私が「増俳」のサイトを最初に訪問したのはいつのころだろう。
5年ぐらい前のことだったかな?よく覚えていません。
ネットの句会に入っていて、句作に困っていたとき、
ネットをさまよっていて辿り着いた。
句会のお題の季語の俳句を検索してまとめて読んで、
参考にして私は俳句を作るようになった。
しかし、私の感性が悪いのでいい句はできないのですが…。

ある日、「増俳」でとりあげた句の解説にまちがいがあった。
なんだったかな。遠いむかしでよく覚えていません。
たしかある日本のフォークの歌の作曲者のまちがいだったかな?
それを知らせるメールを清水さんに書いた。
酔ってたんでしょう。素面ではそんなメール恐れ多くて書けません。
なにしろ詩の世界では有名な方です。

翌日、清水さんからすぐメールが返ってきた。
驚きました。私のようなクソみたいな人間のメールに返事が来て、
解説文も訂正されていた。
それから清水さんが「九想庵」をときどき見てくれているようだった。
抜け目ない私は、最初のメールに「九想庵」のURLを書いておいた。
いえ、私は「九想庵」の説明や「読んでください」などは書かなかった。
そんなことはとても書けません。

たまに「いろり端」に清水さんが書き込んでくれるのがうれしい。
すると私は女房に自慢する。
「九想庵はあの清水さんが読んでいるんだぞ」
それは女房も素直に喜んでくれる。
(しかし、彼女は九想話を読んでいない。理由は面倒臭いからデス 。
 たま~には読んでいるようですが…)

東京FMの高田渡追悼番組で私のことを話してくれた。
このときはうれしかった。
へみたいな私の生活に花が咲いた。
7月15日、「増殖する俳句歳時記十周年記念会」に私は行きます。
そのとき清水さんにお会いできる。

私はどんな顔をして会うのだろう。
コメント
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