Kのこと

2006年02月11日 | 健康・病気
息子は今日、
一緒に暮らしている女性の親に会いに行ったはずだ。
どこでどう会うのか知らない。
おそらく彼女の実家に行ったのではないかと思う。
日帰りなのか、泊まってくるのか。

あいつはどんな気持ちで昨日の夜、寝たのか。
彼女と出会い一緒に暮らしはじめ楽しかっただろう。
ちょっとしたケンカなども何度かしたのだろうな。
それでもなんとか別れることもなく、
こういうことになった。

息子は、彼女のご両親とどんな顔して会ったのだろう。
どういうふうに、
会ってから一緒に暮らしはじめたことを説明したのだろう。
だからこんなことになる前に会っておけば良かったんだ。
と、書きながら、息子は何も心配してなかったりして…、
などと思ったりもする。

小さいときからKは、Uよりいろんなことを積極的にやってきた。
そして失敗も多く、私に怒られてきた。

幼稚園のとき、パチンコ玉で遊んでいて飲んでしまったことがあった。
2日後それはうんちと一緒に出てきた。
そのときKは、「パチンコ玉を地面にぶつけたら跳ね返って、
口の中に入ってしまった」と嘘をついた。

小学1年生のある朝、「学校に行きたくない」とKがいった。
そのとき初めて私は息子の頬を殴った。
息子たちを殴ったのはこれだけです。
殴った感触は今でも覚えている。
私の心も会社の仕事のことで荒れていた。
会社に行きたくない自分を殴ったのかも知れない。
Kは泣きながら学校に行った。

Kは中学1年の3学期から2年生まで、
中学校に行ったり行かなかったりだった。
ほとんど行かなかったと行っていい。
防衛医大病院で診てもらったら、
成長期にホルモンのバランスが崩れて体調がおかしくなった、
といわれた。大人になると戻ることもあるが、
このままの場合もある、と医師はいった。
中学校もまともに行けないで、
こいつの人生はどうなるんだ、と私は落ち込んだ。
まわりからは「登校拒否だろう」といわれた。
私だけは、Kのことを信じようと思った。
早朝のウォーキングがいいと医師にいわれたので、
Kとよく歩いた。
中学3年生になると休まず登校し、県立高校に合格した。

高校1年のとき、私が、死んだ友人の墓参りをしに
山口に行くというと一緒に行くというので連れて行った。
死んだ龍彦にせがれを見せられたのはよかった。
広島の平和公園に行った。
名古屋であったASAHIネットのある会議室のオフ会に参加した。
あのときKはかなりビールを飲んでいた。
カラオケで息子と陽水の「少年時代」をうたった。

その頃、Kが私のガットギターで練習をしていた。
なんとかコードが弾けるようになったときに、
フォークギターを買ってやった。

Kが反抗期で女房に、
「あんたは…」なんてでかい声を出したとき、
そのことを私は怒った。
「母親のことを『あんた』なんていうな」

私が山梨に単身赴任しているとき、
11時過ぎ女房から電話があった。
「Kが文化祭の打ち上げで、クラス全員で入間川の河原
 で酒を飲みそこで泊まると電話があった。
 心配だから私、今からタクシーで探しに行く」と。
「探したって、入間川のどかか分からないんだろう。
 入間川は広い、朝まで待つしかないよ」
遠く離れた山梨のアパートで私はそういうより他なかった。
翌日の早朝、Kは何事もない顔をして帰ってきたという。

Kとのことはいろいろありました。
Uのことというと思い出すことが少ない。
ある意味、Kの行動を見ていてUは、
そつなく生きていたのではないかと思う。

明日、Kに連絡をとってみよう。
コメント
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