7月14日、知床が世界自然遺産に登録された。
このニュースを知って私はほっとした。
よかったな、と思っています。
私はこれまで2度、知床に行っている。
最初は25歳のとき、一人旅だった。28年前になるのか。
網走から斜里町に行き、
「おやじの家」という民宿に泊まった。
ここの晩飯はジンギスカン鍋で食べ放題だった。
ジンギスカン鍋というのを初めて食べた。うまかった。
食事のあと、ギターを弾いてみんなでうたったっけ。
民宿のおやじに、知床は何処がいいか訊くと、
「カムイワッカ湯の滝がいいよ。谷川の水全部が温泉で、
滝つぼが露天風呂なんだ。今のうちに行っておかないと、
そのうち人気が出て行けなくなるよ」
翌日、私は知床五湖に寄ってから行った。
バスで行くんだけど不便なところだった。
何もない停留所でバスを降り、山道を登った。
降りたのは男3人ほどだった。
かなり急勾配の山道を登った。
あるところは四つん這いになった。
2、30分ほど行くと、大きな岩があった。
それを登って上に着く頃、女の子が、
「今はダメ~。女の子が入っているから」という。
私たちは下で待った。
そのうち若い女性たちが5、6人降りてきた。
“湯上がり”の若い女の子たちが眩しかった。
私は岩を登り、噂のカムイワッカ湯の滝にたどり着いた。
脱衣場なんてない。谷川のほとりで私は服を脱いだ。
そこは大きな滝つぼで、足下には大きな岩が沈んでいて、
ちょうどいい“湯舟”になっていた。
一緒に入っていたのは神戸の大学生だった。
「酒持ってきたんだけど、飲みますか?」という。
私が断るわけはない。一升瓶から注がれた酒を、
オホーツクの海を見ながら私は飲んだ。うまかった。
そのときの写真あったはずだがどこだろう?
暇なとき探してここのページに載せようかな。
2度目は27歳で、女房と結婚した年に2人で行った。
羅臼から遊覧船に乗って知床半島を周遊した。
海から眺めた知床もよかった。
国後島が見えたのが不思議な感じだった。
そのときも「おやじの家」に泊まった。
あの北海道旅行のとき、私は大学生協を辞めて無職だった。
まだ息子たちはいなくて、私たちは若かった。
何、考えて生きていたのか。
さっそく探して、7/16に載せました。
当たり前ですが、私が若い。お腹も出ていない。
去年の7月17日は京都にいた。
山鉾巡行を見物し、銀閣寺に行き、
先斗町など夜の京都を歩いた。
九想庵の読者のこらそんさん、ひろのさんたちと
食事をして楽しいひとときを過ごした。
テレビのニュースで山鉾巡行の映像などを観ると、
あの日のことを思い出す。
暑かった京都を。
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1年前の京都のことを書いた九想話は、
ウィルスに感染したため削除してしまった。
テキストファイルはあるので
いつか復活させようと思っているのですが、
なかなかできません。
今は宴会が終わって部屋で野球を観ている。
カラオケのない宴会はよかった。
作業所のみんなは芸達者です。
すばらしい才能を持っています。
今日はマザー牧場にいってきた。
さびれた観光地でもあの子たちは楽しそうだった。
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この九想話は、
携帯電話で「いろり端」に書いたものです。
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6月の九想話
6/1 アルコール
6/2 当たらない天気予報
6/3 フレーミング
6/4 祝2000本安打
6/5 母校の運動会
6/6 父と子
6/7 心でいつも響くメロディ
6/8 夫婦50割引
6/9 不愉快な高校生
6/10 オクトバス4
6/11 名人戦
6/12 マジック
6/13 シマさん
6/14 禁酒番屋
6/15 ふるさとへ行く…
6/16 作業所の旅行
6/17 日常
6/18 「命」読了
6/19 露天風呂
6/20 「妹」かぐや姫
6/21 少子化
6/22 千の風になって
6/23 訂正とお詫び
6/24 名古屋が熱い
6/25 鼻炎
6/27 泥酔
6/27 さらば“静かな余生”よ
6/28 5月の句会
6/28 野沢尚氏の死
6/29 一泊旅行
6/30 千葉にいます
その夜、熊本銀座通りで飲んだ。
旧熊本事業所をHさんと5時に出て、
彼の家に車をおいてから、バスで市内に向かった。
今回熊本に行ってびっくりしたのは、
熊本城近くの「銀座通り」と呼ばれている
アーケード街の賑やかさと大きさだった。
まず居酒屋で飲み始め、Sさんを待った。
飲み始めて30分ぐらいたってSさんが来た。
3人揃って、むかしの話に花が咲いた。
Hさんは私の5歳下で、
Sさんは私より5歳上という年齢です。
その3人が、こうして熊本で飲むなんて、
10年前には考えられないことだった。
懐かしい人たちのこと、会社の移りかわり、
それぞれの暮らしの話など、終わりがなかった。
それに2人は、九想話の愛読者でもあります。
九想話の感想などいろいろ聞けてよかった。
ほんとうに楽しい夜だった。
2人と別れたのは深夜の1時過ぎだったように思う。
私たち3人はかなり酩酊して、
熊本の夜を徘徊していた。
翌日、私はホテルを出てアーケード街をうろうろした。
アーケードにあったパルコの大きな看板に、
全国のパルコのある街の名前が書いてあった。
そこに「新所沢」と書いてあった。
うちの近くにもパルコがあるのです。
熊本で自分の住んでいる地名を見るのは嬉しかった。
思わずデジカメで写したが、
写真ではよく見えないですね。
ついでに熊本城も撮った。
Sさんが「明日の昼飯も食べよう」と
飲んでいるときにいってくれたので、
再び、肥後大津まで行った。
駅に着いて電話をすると、Sさんが車で来た。
酒屋によって、日本酒を1本買ってくれた。
Sさんが愛飲している
姫路の「名城 金次郎」という酒だ。
Sさんがこの酒を気に入っていて、
ぜひ私に飲ませたかったという。
さっき飲んでみた。うまかった。
それから山のほうに車を走らせ、ある温泉に行った。
そこで私たちは露天風呂に入り、食事をした。
そして、空港まで送ってくれた。
飛行機は、定刻の15時55分に出た。
空から熊本の街を眺めて、
この3日間のことを思った。
日頃あまりいいことが少ない私ですが、
この熊本の旅はよかった。
生きているとこういうこともあるんだな、と思った。
Hさん、Sさん、いろいろお世話になりました。
こちらに来るときがありましたら、また飲みましょう。
今回の熊本出張の目的は、
10月から作業所であつかうみかんの
パッケージ作業の勉強です。
案内されたのは、熊本市近郊の南部に位置し、
静かな田園風景が広がる自然環境に恵まれた、
S学園というところだった。
そこは50名ほどいる知的障害者を対象に、
自活に必要な職業訓練、生活訓練を行っている
知的障害者授産施設です。
私たちが行ったときは、
タマネギの袋詰めとみかんのネット詰めをしていた。
みんな活きいきした目で働いていた。
S学園の見学を終え、市内まで送ってもらった。
せっかく来たのだからと、熊本城に行った。
熊本城には思い出がある。
私が23歳のとき、
熊本城に着いたのが6時を過ぎていて、
入場時間が終わっていた。
若かった私はなんとか入ろうと、城のまわりを歩いた。
そして、7、8メートルの高さの石垣を登り、
城内に入った。まるで忍者のように。
とうぜん、城内には誰もいなかった。
日の暮れた夕闇の中で見た天守閣は威厳があった。
今考えると、よくやったと思う。
石垣を登った記憶はあるが、
降りたときのことを覚えていない。
かなり怖かったはずだ。
今回、初めて天守閣に上がった。
いや、女房と行ったときに上がったかな。
そのことは覚えていない。
天守閣から市内を眺めているときに、
自分の若かったときのことを思った。
今の私もあの頃とそれほど変わってない。
哀しいくらいなんの成長もないということです。
“くまもと”を楽しんできました。
忘れられないいい思い出が出来ました。
九想話にいろいろ書こうと
張り切って帰ってきたのですが、
今はさすがに疲れています。
目がしょぼしょぼしている。
明日仕事なので、今日はもう寝ます。
最初の予定では19日に家に帰ってから、
20日に新潟に行くつもりだった。
だから、大宮から新潟までの新幹線の切符を、
姪から送ってもらっていた。
ところが、19日の阪神戦のチケットが手に入ったと
Sから電話が来て、予定を変更することにした。
まず新幹線の切符をキャンセルしようとしたら、
回数券なのでキャンセル出来ないといわれた。
姪は料金を安くしようとして回数券を買い、
私たちきょうだいに送ったようです。
諦めていたところ、
Sから「金券ショップで買ってくれるよ」といわれ、
金券ショップに電話したら9割で引き取るといわれた。
ネットで「大阪~新潟」で調べると、
いったん東京に戻ってから新幹線で新潟へ、
というふうに出てくる。
それでは結婚式に間に合わないので、
20日に飛行機で新潟まで行くことにした。
ネットでホテルと飛行機を予約しようと調べていたら、
またSから、新潟まで急行きたぐにという
電車があると情報が入った。
行き先をこまかく検索すると、急行きたぐにが出てきた。
旅に出る2、3日前まで、こんなことであたふたしていた。
新潟にはこれまで2回来ていた。
1度は22歳の頃友人と来て、
海岸にある坂口安吾の碑を見た記憶がある。
2度目は7、8年前、会社の慰安旅行で来ている。
新潟駅を出て私は銀行を探した。
手持ちの現金が少なくなっていた。
カードでお金を引き出そうと思ったのです。
しかし、1つ目の銀行では引き出せなかった。
私は銀行でお金を出すことなどしたことがない。
いつもは女房がしている。
現金自動支払い機に、
何度もカードを入れようとしている不審な男が、
防犯カメラに写っているんだろうな、
なんてことを思って、なんかみじめになった。
2つ目の銀行では、なにごともなく引き出せた。
つぎに私はインターネットカフェとかいうものが
あるかなと探した。
九想庵のいろり端に書き込みたかったのです。
しかし、駅前を1時間ほど探したがなかった。
重い荷物を肩に食い込ませながら歩いた。
諦めて結婚式場に行くことにした。
式は2時からですいぶん早かったが、
ほかに行くところもなかった。
試合が終わり、勝った広島の応援席は燃えていた。
阪神ファンはそれを横目にスタンドをあとにする。
阪神が勝っていたら、
私たちはどうなっていたのだろう。
私はむかし、阪神ファンの職場の同僚と、
神宮にヤクルト阪神戦を観に行ったことがある。
そのとき阪神が勝ち、私は見ず知らずの人と肩を組み、
六甲おろしを何回もうたった。
その頃べつに好きなチームはない私だったが、
それから阪神ファンになったように思う。
「これだけ勝ってる阪神の負けた試合を観られるなんて、
おれたちはしあわせだよ」
そんなことをいって自分をなぐさめ、
私たちは駐車場に戻った。
私は甲子園駅まで車に乗せてもらった。
お世話になったSは、友人と米原に帰っていった。
ひとりになった。
さびしいが、この感じが好きだ。
大きなバッグが肩に食い込む。
甲子園球場から駅までの広場に佇み、
煙草を吸い、しばらく人々を眺めていた。
阪神が勝っていたらその人たちは狂っていただろう。
その夜はみな静かだった。
改札口から入ってもなかなか前に進まない。
駅の通路を人間が隙間なく歩いている。
やっとたどり着いたホームに電車が滑り込んで来た。
私は乗り込んだ。
阪神梅田駅に着いたのが午後10過ぎで、
急行きたぐにが発車するまでには1時間以上あった。
JR大阪駅まで歩き、
地下のコンビニで冷やし中華とおにぎりを買った。
急行きたぐにが出るホームのベンチに坐り、
透明の容器に入った冷やし中華を食べた。
11時過ぎ、急行きたぐにが入ってきた。
寝台車なんて何年ぶりだろう。
私はそこにあった浴衣に着替えた。
バッグには、淡路島のホテルで飲み残した酒がある。
横になって文庫本を読み、
ときどき身体を起こして酒を飲んだ。
11時26分に急行きたぐには出た。
寝台車の揺れが心地よかった。
5時前に目が覚めた。
電車は富山県を走っているはずだ。
その頃に、入善に着くことを知っていた私は、
窓のカーテンを開け、外を眺めていた。
入善には友だちがいる。
T大生協で一緒に仕事をしていた友だ。
むかし、私は入善を訪ねたことがある。
いい町だった。
何年か前、彼が東京に遊びに来たこともあった。
入善に着く時間がもう少し遅かったら、
友に連絡して会いたかった。
5時5分、急行きたぐには入善駅に到着した。
やさしい彼の顔が浮かんできた。
昨年、彼が富山で参加している同人誌を送ってきた。
今でも小説を書いていることを知りうれしかった。
むかし、T大生協にいたとき、
彼ともうひとりと3人で、同人誌を作ったことがあった。
8時半には新潟に着く。
それまで私はもう一度目を閉じた。
球場に入ったのは午後4時頃だった。
それでもかなりの人たちがいて、
座席はあまり空いていなかった。
私たちが坐ったのはレフト外野自由席で、
広島応援団のちょうど真後ろだった。
私は27、8年前に甲子園球場に来ている。
あのときは、高校野球を観た。
広島の選手らが練習をしていた。
どんどん観客は入ってくる。
5時頃にはほぼ満席近くなっていた。
私たちはビールを女の子に頼んだ。
500mlのビールが600円だった。
Sの友人と私は互いに自己紹介をした。
彼は巨人ファンだという。
3人でいろいろ話した。
話しながらも私は雨が心配だった。
天気も気になったが、
写真にあるように前の座席の女の子が、
気になって気になってしょうがなかった。
甲子園球場では、今年からスタンドでは禁煙だ。
5時半、私は喫煙所に行った。
座席から通路に出るまでが大変だった。
座席と座席が狭い。
坐っている人の足の隙間を歩くのが難しかった。
屋内の通路にある喫煙所には、
煙草のみが山のようにいた。
試合開始の6時が近づくと、
いやがおうでもお客は盛り上がる。
これが甲子園か! という気持ちになった。
ゲームは1回表に広島に1点入れられ、
それからは投手戦になった。
下柳は1点を失ったが、その後はよかった。
広島の黒田に、タイガースの打線は押さえられた。
それでも8回に片岡がレフトへツーベースを打ち、
矢野がバンドをし、藤本が犠牲フライを打って同点にした。
これで大丈夫と思ったのもつかのま、
9回に代わった久保田が前田に2ランを打たれ、
3ー1で阪神が負けてしまった。
「六甲おろし」がうたえなくなってしまった。
しかし、
あの甲子園球場の雰囲気を味わえたことがよかった。
あの熱気はなかなか体験出来ない。
7回表の広島応援席のジェット風船はささやかだった。
7回裏のジェット風船飛ばしはすごかった。
みんなのふくらました風船で空が見えなくなった。
雨が降らずに試合を観られたのがよかったが、
「六甲おろし」がうたいたかった。
<反省>
タイガースが負けたのは私のせいか。
目の前の女の子に気をとられ、
私が一所懸命に応援しなかったからだ。
このことを私は深く反省し、
これから若い女の子などに気をとられず、
心から阪神を応援することを誓います。
こんどの旅の予定に甲子園球場はなかった。
7月に入ったある日、Sから電話が来た。
「甲子園の切符が手に入ったぞ」
なんでも、旅行代理店に勤めている友人から、
甲子園球場観戦ツアーがキャンセルになったから、
切符を25枚ほどさばいてくれ、といわれたらしい。
その切符はあっという間に売れてしまったという。
さすが、今年の阪神戦は人気があるんですね。
車が甲子園に近づいた頃、Sが友人に電話をした。
その友人は米原から何人かで来ていて、
駐車場に車を停めていた。
「いくらだ?」と訊くと「1,500円」ということだった。
その場所に行こうと高速を降りてからうろうろした。
そのとき鳴尾という駅の近くを通った。
その辺は21、2歳のとき来たことがある。
23歳で死んだ友がその頃、
東京の会社を辞め、鳴尾の新聞配達所にいた。
そこに私は1泊したことがある。
翌日、バカな友は配達所を辞め、
私を連れて、彼のふるさとの山口に行った。
そのときの新聞配達所があるのではないかと、
私は車の外を眺めた。
しかし、記憶力の悪い私が覚えているわけがない。
街角に、若い私と友の姿を見た。
ちょっぴり、甘酸っぱい想い出にひたった。
ケータイで連絡をとり、Sの友人と会う。
車に乗ってもらって、駐車場を探す。
球場に近いところは5,000円だった。
少し離れると3,000円、2,500円となる。
なんとか1,500円の駐車場を見つけた。
何百台もおける駐車場だった。
道を歩いているのは、
当たり前のことだが、阪神ファンばかり。
タイガースのユニフォームのTシャツを着ていて、
手にはメガフォンを持っている。
私の好みで目線は可愛い女の子を追う。
いやー、実にかわいいコが多かった。
おそらく“にわか”阪神ファンがいるのだろう。
歩道に沿って阪神グッズを売るお店が並んでいる。
甲子園で阪神戦がないときは、
この人たち何してんだろうと心配してしまう。
車のドアを閉めたときロックしたかな、と不安になる。
そう考えると心配性な私はどうしょうもなくなる。
Sにいって、車に戻ることにした。
目の前に憧れの甲子園球場は迫っているというのに。
広い駐車場で、なんとか車を探して
ドアを確認すると閉まっていた。
私のこれまでの人生はいつもこんなことをしている。
ひとりで球場まで行く。
この阪神ファンの熱気に包まれて、
歩いていることがしあわせだった。
ジェット風船を手に持って売っているおばさんがいた。
これを買わなければ甲子園に来た意味がない。
買いました、6コ入って200円。
出来ればメガフォンも欲しかったが、
荷物になることを考えると買えなかった。
目の前に甲子園球場が近づいてきた。
いよいよ憧れの阪神戦を観られるのだ。
雨も降らずなんとか試合も出来そうだった。
球場の入口にSと友だちはいてくれた。
私はショルダーバッグからチケットを出した。