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コッポラと志ん生

2003年11月22日 | 落語

コッポラの「地獄の黙示録 特別完全版」を観た。
今日の21:00~深夜0:25 NHKBS2でやっていた。
観る前、3時間25分は長いな、と思っていた。
ところが観終わってみるとそんなことはなかった。
テレビの画面なので迫力はないが、
観ているうちにどんどん映画に引き込まれていった。
この映画はやっぱり映画館で観るべきだったな。

映画をもっと知ろうと思って、
「地獄の黙示録 特別完全版」のサイトを探したらあった。
ここを見て映画をより理解できた。
もう一度観てみたい映画です。

サイトをじっくり見ていたら、
1時を20分ほど過ぎてしまった。
ラジオ深夜便で落語をやっているはずだ、と気づく。
ラジオをつけると志ん生の声が聴こえた。
まもなく噺が終わった。品川心中だった。
聴きたかった。

次が、「天狗裁き」という噺だった。
いやァ~、面白かった。
やっぱり落語は志ん生だ、なんて思った。
まずまくらがよかった。
10月、出雲にいろんな神様が集まって、
お互いに手持ちの男女をくっつける相談をする。
神様があんな気楽に話すのがいい。

「天狗裁き」というのは、長屋で暮らす夫婦の噺だ。
ムカデの夢を見た人が、それからお客の足が増えて繁盛した、
という話を聞き女房が亭主に夢をてくれと寝かす。
目覚めた亭主にどんな夢を見た、と女房が訊く。
亭主は見てないものは話せない、と怒る。
なんで夫婦なのに話せないんだよ、と喧嘩になる。
通りかかった友だちが、
「おれにならいえるよな」と訊くと、
亭主は同じ答えをしてまた喧嘩になる。
それを聞いた大家が男を家に呼んで訊く。
「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然だよな」
と夢の内容を話させようとするが、男はいわない。
そのあとなぜか奉行所でお調べを受ける。
奉行にだったらいえるだろう、ということなのだが、
亭主は、見てないものは話せるわけがない、といわない。
奉行が、「おまえが恐いものはなんだ」と訊くと、
「天狗です」という。
奉行は、男を山の杉の木に縛り付ける。
天狗が現れ、「どんな夢を見たんだ?」と訊く。
話すから、その葉うちわを貸してくれという。
噺家だって落語をやるときには扇子を持っている、という。
天狗が葉うちわを貸すと、それで空を飛んで男は逃げた。
降りたところは、大きな商家で娘が病気で死にそうになっていた。
その娘を男が、天狗の葉うちわで治してやる。
それで男と娘が結婚となる。
こんないいことってあるんだな、と男が思っていると目が覚めた。
これが「夢」か、というおちだった。
志ん生の話ぶりがいい。面白かった。最高!

それにしても、コッポラが巨費を投じて、
多くの人間と時間をかけてつくった3時間20分ほどの映画も、
志ん生がひとりで20分ほど演じた落語も、
いいものを観た、聴いた、
という同じような喜びに浸る私の感性はへんかな?


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落語「煙草の火」

2003年03月10日 | 落語

3月9日のラジオ深夜便の〔演芸特選〕は、
八代目林家正蔵(彦六)の「煙草の火」という噺だった。

九想話を書いているとき〔演芸特選〕を思い出し、
ラジオをつけたら始まっていたので、
最初のころを聴けなかった。

旦那がある店にあがり、
駕篭賃を店の若い者に立て替えさせ、
駕篭屋に駄賃をあげる。
芸子衆や郭の女郎を呼んで、盛大に遊ぶ。
その女たちにも幇間衆にも祝儀を上げる。
その代金もみんな店に立て替えさせた。
次から次と代金の立て替えをさせられ、
店の男は、いぶかしがる。

その旦那がやってきて、
今までの立て替え分を倍返しにして、
手持ちの残った金を座敷の女や男たちにばらまいて、
右往左往する人間の滑稽さを十分楽しんで帰る。
あまりの豪儀さに驚いた店の男がその後をつける。
紀州のある旦那だということがわかった。
1年働くと、千両ぐらい金が浮いてくるので、
それを処分するために遊んでいるということだった。

この旦那は店に金を立て替えさせて店の度量を計り、
めがねにかなえば贔屓にするというひとだった。
だから立て替えを嫌がらなかったら贔屓にされて、
その店はいくらでも稼げたはず、だった。
あきらめきれない男は、
なんとかご機嫌を取り戻そうと考える。
つぎに旦那が来たとき、
いくらでも金を貸してやろうと思っていると、
旦那がいった。
「煙草の火を貸してくれ」と。

落語のサイトで調べたら、
この噺はもともと上方落語ということでした。
桂小南が得意にしていたらしい。
八代目林家正蔵(彦六)が、
舞台を東京に移して演じている。
久しぶりに彦六の噺を聴いた。
このひとの味はいいですね。
おかしみは少ないのですが、
しみじみとした説得力があります。
もう亡くなってどれくらいたつのだろう。


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志ん生の落語

2003年02月22日 | 落語

今夜のラジオ深夜便の園芸じゃない、演芸特選は、
志ん生の「幾代餅の由来」と「強情灸」だった。

「幾代餅の由来」の枕は、いろんな花魁の紹介だった。
腰巻き高尾とか、六つ指高尾とかのエピソードで笑わし、
そのころの花魁の錦絵のことを説明し、噺に入った。
日本橋の茶屋で幾代太夫の錦絵を見た、
搗米屋(つきごめや)の奉公人清蔵が病気になる。
親方がどうしたんだときくと、幾代太夫に惚れたという。
清蔵は恋わずらいだった。
先日聴いてきた小遊三の「崇徳院」も恋わずらいの噺だった。
恋わずらい、ああ私もしてみたい。

幾代太夫は、大名のお道具といわれるくらいの花魁で、
ふつうの町人なんかでは相手にしてくれない花魁だった。
それで落ち込んでいた清蔵に、
「花魁なんてのはな、売りもん買いもんだ。
 1年間みっちり働けば会いに行けるよ」
と親方ははっぱをかけた。
清蔵は、それじゃ、ってことで一所懸命働く。
1年間働いて清蔵は、十三両二分ためた。
親方が足して十五両にし、それを持って吉原に行った。
病人を診るのは嫌いだが、
遊びは大好きな医者の薮原竹庵に連れられて…。

翌朝、幾代太夫が清蔵に、
「こんどは、いつきてくんなまし」ときく。
このときの、幾代太夫を表現した志ん生の話し方がいい。
「おら、うそをついていた。
 野田の醤油問屋の若旦那というのはうそで、
 搗米屋で働いている。1年間働いて金をためて来た。
 こんど来るのはまた、1年後だろう」という。
それをきいた幾代太夫は感激して、
「来年の三月、年季があけたら夫婦になろう」
といって、そのときのためにと五十両をくれた。

それから清蔵はなにをいわれても「来年の三月」といい。
みんなから「おい、三月」と呼ばれるようになった。
そしてその三月の十五日、幾代太夫が年をあけて来た。
清蔵と夫婦になり、餅屋をひらいた。
そこで売ったのが「幾代餅」といって、
あの幾代太夫が作った餅だ、ってことで大変に繁盛した。
幾代の 美しさを見たいと来た客が、
「銭だけ置いて餅をもらわずに帰っち ゃった」
というのがこの噺の「さげ」だった。

志ん生はいい。
あのとぼけた間、でもしっかりした表現。
緩急自在な噺のもってきかた。
あっというまに引き込まれる。
「強情灸」もよかった。
江戸っ子の負けず嫌いのやせ我慢。
いやなことの多すぎる浮き世を生きている九想にとって、
志ん生の落語はありがたいです。


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東京落語会

2003年02月14日 | 落語

今日は、東京の霞ヶ関のイイノホールで行われた、
第524回公演の東京落語会に行ってきた。
6時きっかりに開演ブザーが鳴り、
前座の「開口一番」が始まった。

若いこの前座の名前を覚えていない。
プログラムにも載ってないので、わからない。
たぬきの恩返しの噺だった。
5円札にたぬきが化けて、
それで恩人の借金を返すという噺だ。
一所懸命演じているのはわかるが、
こちらの心は動かない。
さあ、あの前座はどんな噺家になるか。
思えば私も19のとき、
立川談志に弟子入りさせてくれと手紙を書いた。
前座の噺を聴いていて、冷や汗が出ました。

次が、新真打ち三遊亭金八の「四人癖」。
この噺はなんどか聴いたことがある。
じつにつまらなかった。
仕草がわざとらしくて鼻につく。
おもしろい噺なんだけどな。
あれが真打ちか。

柳亭燕路「締め込み」。
泥棒の噺でおもしろいんだが、
なんの印象も残っていない。

古今亭志ん五「素人義太夫」。
この噺、私は大好きです。
しかし、まったく私に届かなかった。
なんでこんなにおもしろくないんだろう、
ということを考えているうちに、
噺は終わってしまった。

三遊亭小遊三「崇徳院」。
小遊三は袴をはいて登場した。
このひとの落語をこれまでに聴いたことがない。
テレビの「笑点」の大喜利で観るぐらいだ。
よかった。
このひとがこんなにやるとは思わなかった。
この噺も何人かの噺家で聴いている。
10年ぐらい前、大阪の難波グランド花月で
笑福亭仁鶴がやったのを聴いたような…。
いや、あのときはちがう噺だったかな?

大店の若旦那が病気になり寝込んでしまう。
心配した旦那が出入りの熊さんに様子を見てくれと頼む。
熊さんは、若旦那と子どものころからよく遊んでいて、
若旦那がいじめられてるとき「木の陰から見ていた」
ぐらい仲がいい、と自慢する。
しゃべる小遊三の間がいい。
若旦那は恋煩いだと熊さんにいう。
上野の茶店できれいな娘に一目惚れしてしまった。
旦那がその娘を捜してくれと熊さんに頼む。
捜したら、今住んでいる長屋をやるという。
うちに帰って女房に話すと、
「こんないい話はない。あんた絶対捜しなよ」
と熊さんにはっぱをかける。
娘を捜す手がかりは、
「瀬をはやみ 岩にさかるる滝川の
 割れても末に あわんとぞ思う」
という崇徳院のうたしかない。
………。
長くなるのでこの辺でやめます。
小遊三、最高でした。

仲入りのあと、桂竹丸の「石田三成」。
竹丸は、何年か前けっこうテレビに出ていた。
ちゃんとした落語は1回も聴いてない。
小咄は少し聴いたことはある。
そのころからおもしろいと思っていた。
マクラがよかった。
アメ横に時計を買いに行く噺から始まり、
電気製品の“取説”に書いてあることをしゃべった。
コタツから火が出ているときは故障です。
洗濯機は洗いますが、干すのは自分でやりましょう。
扇風機は暑いときに使います。
空を飛ぶことは出来ません。
電子レンジに犬を入れるのはやめましょう。
終わると「チン」になります。

「石田三成」は竹丸の創作か。
石田三成は茶を入れた功績で豊臣秀吉に仕えた。
暑い中を歩いて来た秀吉に、
最初は大きな器にぬるくて濃い茶を入れ、
二番目には、中ぐらいの器に少し熱くて普通のもの、
三番目には小さい器に熱くて薄い茶 を入れたという。
三成はそろばんが上手だったらしい。
「ひとつなり、ふたつなり、みつなり」
ちょっとむりがあるが、おもしろかった。
関ヶ原の戦いは1600年にあった。
お客さん、それでは1601年は何がありました?
「………」
関ヶ原の戦いの1周年記念の年です。
三成が負け、処刑された。
三途の川を渡ったとき秀吉に会った。
「お懐かしい」と三成は秀吉にいい、
「あのとき一番おいしかったお茶は?」と訊くと、
「三番目のお茶だ。三成、器が小さい」
これが「さげ」でした。

とりは、三遊亭圓歌の「坊主の遊び」です。
この噺は、テレビで古今亭志ん朝のを聴いたことがある。
かなしいけど、志ん朝のほうがいい。
私は、圓歌の古典落語を初めて聴いた。
テレビでやるのはほとんど新作です。
今年の正月にもテレビで圓歌の落語を聴いた。
うちには沢山の老人をかかえている。
自分と女房の親と、前の女房の親も面倒みている。
なんて噺でおもしろかったのに…。
言葉もロレっているようで聴きづらかった
歳なのかな?

久しぶりに生の落語を聴き、楽しかった。


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最後の大舞台

2002年08月02日 | 落語

7/30 の深夜、NHKスペシャル
「桂米朝 最後の大舞台」の再放送があった。

正月に、大阪のサンケイホールで
毎年独り会をやっている。
そのときに七番弟子の桂歌之助が死んだ。
枕にそのことを話そうかよそうか迷っていた。
正月のめでたいときに
人が死んだ噺はよくないのでは…。
噺が始まったら、歌之助のことを話していた。
独り会が終わってそのことを訊かれたとき、
「われわれは、自分のことも話すのが芸、
 不自然さを感じさせたら客は離れる」
といった。

前座が15分の噺を
客に受けていたので20分やってしまった。
それを桂ざこばが若い前座に怒っていた。
むかしは、米朝が怒ったらしい。
「師匠は、甘なってきてる」
とざこばは尖っていっていた。

米朝は、歌舞伎座で独演会を最後にするという。
一番弟子の桂枝雀をなくして三年。
自分の体調が悪かったら、
枝雀に代わりをやってもらえると思っていた。
それを亡くし、独り会をやめることにしたらしい。
最近は、めまいがあり、夜ねむれない。
眠るために焼酎の助けを借りるそうだ。
私と同じだ。

「百年目」を演(ヤ)る。
途中、あるところを飛ばしてしまう。
弟子の吉朝がそれに気づく。
客に分からないように米朝は巧みに噺を戻す。
これが“芸”だな、と感じた。

しかし、米朝はすごい。
自分の失敗を取材されて、
それを放送することを許している。
隠そうと思えば隠せる。
なにしろ人間国宝なのだ。
55年も噺家をやっている。
えらいな。

しかし、米朝がヘビースモーカーとは知らなかった。
インタビューを受けていたとき、
ほとんど煙草を吸っていた。
苦しそうに吸っていた。
あれは吸いたくて吸っている感じがしなかった。
やむにやまれず煙を吸っていた。
私も煙草を吸っていたとき、
そういうときがほとんどだった。

あの煙草を吸う姿を見ていて、
米朝がよけい好きになった。
ちょっと見には大学の教授のようで、
近寄りがたかったが、
あの苦しそうに煙草を吸っていた米朝が好きだ。

1ヶ月ほど前かな、
永六輔が土曜ワイドラジオ東京で、
高石友也とナターシャセブンの京都でやった
「よいよいやまコンサート」のことを話していた。
そのとき桂米朝が来ていて、
「歌で、客席と掛け合うのがあるが、
 私もああいうのをやってみたい」
そういって、
「向こうの丘に囲いが出来たってね~」
と米朝が大声でいうと、
「へエー」
と3000人の客が応えてくれたそうだ。
また米朝が、
「向こうの丘に、塀が出来たそうだ~」
というと、
「カッコイイ」
と客席から返ってきた。
それが絶妙なタイミングで永は感動したという。
そういうところに私もいたかった。
米朝の落語、機会があったら聴きたい。

 


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