Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

『虎に翼』 第119回 感想

2024年09月13日 | 思想・哲学・倫理

 

 

 

山本周五郎の傑作のひとつといわれている作品に「虚空遍歴」がある。武家の中藤冲也は浄瑠璃に生きる道を見出し、いちどは世間で喝采を以て受け入れられるが、大衆受けする芸能に満足できない。より深い芸術を探求して、武家の身分を捨て、諸国を遍歴して、求める芸術を創ろうとするが、思うようにいかず、やがて酒におぼれて精神を壊し、病死する。「人間の真価はなにを為したかではなく、何を為そうとしたかだ」という周五郎の思想を物語にした小説。第119回の「虎に翼」を見て、この作品を思い出した。

 


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航一
やっぱり僕には納得できない。ここまできて研究の道を諦めるなんて。優未さんが一番に話してくれたのも本当は悩んでいるからでしょう?

 

優未
お母さんに話そうとしたらおなかが ぎゅるぎゅるしちゃったから。

 

航一
研究者にならなくてもせめて 博士課程をきちんと終えて、そこから考えても遅くないんじゃないですか?

 

優未
本当にごめんなさい。でも 私はそうは思えない。大学 修士課程 博士課程と進んでいく度に周りから遠回しに言われてきた…。この先に お前の椅子はないって。私ね、初めて心から勉強が楽しいと思えたからここまで来ちゃっただけ。博士課程を終えた先の椅子は男女関係なくとても少ないの。

 

航一
厳しい戦いかもしれないけれど男女関係なく機会は訪れるはずです。

 

優未
もう戦う自信がない。この先 私は自分の目がキラキラしてる想像がつかない。寄生虫の研究を嫌いになりたくない。だから すっぱり諦めたいの。

 

航一
やめて どうするんですか?

 

優未
それは まだ分からない。

 

航一
今 弱気になっているだけなんじゃないですか。諦めず、もがいてそれでも進む先には必ず希望が…。

 

 


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航一の考えの土台にあるのは、世の中で努力に応じた成果を上げる、それでこそ甲斐があるという、立身出世志向。その成果のためには自分の意に反した決断が必要であり、それが大人という資質である、という考え方。せっかく大学院まで来たのだから、せめて博士号という世間の評価を得る資格だけでも取った方がいい。もっともな論理ではあるが、それは世間の評価を主人とみなす考え方でもある。

 

こんな考え方のさらに土台にあるのは、資本主義社会での社会通念。結果を出さねば利益につながらない。利益を出すためには人間個人の望みなどは棄てなければならない、それが人生の厳しさだという考え。

 

でも寅子はそれとは違い、個人中心の人生観を披露する。

 

 

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寅子(闖入してきて)
航一さん 黙って!

 

航一
寅子さん?

 

寅子
優未の道を閉ざそうとしないで。

 

航一
閉ざす? 僕は彼女に諦めるなと伝えているんですよ?

 

寅子
それが 優未の進む道を妨げているの。どの道を、どの地獄を進むか諦めるかは優未の自由です。

 

航一
あ…?
じゃあ、寅子さんはこの9年近くの時間を無駄にしろというんですか?

 

寅子
はて? 
無駄? 
手にするものがなければこれまで熱中して学んできたことは無駄になるの?

 

航一
なるほど。抽象的で情緒的な方向に議論を持っていこうとしていますね。

 

寅子
私は努力した末に何も手に入らなかったとしても、立派に生きている人たちを知っています。

 

航一
寅子さんは現実を見ていない。甘すぎる! 
この年齢で何者でもない彼女に社会は優しくない!

 


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その通り。この社会で有利に生きてゆくためには、個人中心の人生観では評価されない。それどころかむしろ排除差別の犠牲にすらなりかねない。

 

しかしそれは、会社員人生をのみ個々人に強いるこの社会のエゴなのです。この社会をけん引しているのは多国籍メガ企業のリーダーたち。利益を出すために、働く人たちから人間性をはく奪し、部品扱いする人たち。人間の多様性を認めず、人生尾の多様性も認めない。商品を買わせるために必要な程度にしか給料を出さず、その程度にしか庶民に生存権を認めない人たち。だから公害で庶民が人生を棒に振らされても、利益のためには切り捨てようとする。庶民の人生を保障するためにカネを出すのは無駄な出費なのだ。

 

そんな人間にやさしくない社会に迎合する必要はないし、むしろ迎合してはならない。人間一人一人は弱いものだから、生涯をかけた努力が実らないほうが多い。だからと言ってその人生に意味がないなんてことはない。「人間の価値は何をなしたかではなく、何をなそうとしたか」です。自分がなそうとしたことに誠実に生きることが、それこそが豊かな人生である、と寅子も、航一の娘ののどかも主張します。

 

 

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寅子
私は 優未が自分で選んだ道を生きてほしい。
優未。あなたが進む道は 地獄かもしれない。それでも 進む覚悟はあるのね?

 

優未
うん ある。

 

寅子
ふふふ。

 

航一
いや 駄目だ。絶対に駄目だ!僕は かわいい娘が傷つくのは見たくないんだ!

 

のどか(丸メガネにロン毛の冴えない風貌の誠也を連れて闖入)
お父さん!

 

航一
えっ、はあ?
じゃあ あっ つまり…つまり 後ろの あな… あなたが…。

 

のどか
お父さん あのね…。たとえ傷ついたとしても、やっぱり自分の一番で生きた方がいいんだよ。本当は 誠也さんと結婚するつもりだって話そうと思ってた。でも… 私 誠也が好きだけど普通になるならばやっぱり一緒にいられない。私、たとえワガママと言われようと、普通の家庭も子供もいらない。自分の人生を自分のためにだけ使いたい。誠也にも、私と一緒になるために芸術の道を諦めてほしくないの。だから…。

 

誠也
えっ ちょっと待って 待って。それは つまり 俺が普通にならなくてものどかはずっと一緒にいてくれるってこと?

 

のどか
えっ?

 

航一
皆さん! あっ すみません…。
一旦… 一旦 落ち着きましょう。

 

寅子
航一さんがね。

 

航一
あっ… ああ… ん…。

 

誠也
お義父さん…。

 

航一
お義父さん?

 

誠也
お義母さん。

 

寅子
はい。

 

航一
はい?

 

誠也
のどかさんは きっと苦労するし、自分の幸せは自分で見つけてもらうことになるし、人が当たり前に持ってるものはほぼ持っていないような人生になるかと思いますが…。僕たち結婚します。

 

のどか
んっ? えっ? えっ…?

 

誠也
大人の僕らが親の承諾を得るものじゃないかなと。

 

のどか
それもそうね!

 

航一
ハッ… フフフフフ…。

 

寅子
あらやだ 怖い。

 

航一
あっ いや… いや…。こんなにも感情が高まり揺さぶられることが人生に起きると思っていなかったので。

 

寅子
じゃあ みんな自分の道を選んで進むということで。そろそろ うなぎが届きますから。大丈夫?

 

航一
はい ごめんなさい。

 

寅子
届いたら みんなで食べましょう。

 


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「ふつう」であるということは、会社と会社を中心とした世の中に恭順であることを態度で示すこと。ロン毛を短く刈り込むこと。大企業リーダーたちがそれを望むから。彼らは男が髪を伸ばすことも、「戦場」と名付けられた男の職場に女が進出してくることも、まして同性同士の恋愛結婚の権利も気に入らない。彼らの感覚をベースにして、彼らの気に入るモラルを庶民に強いてくる。給料で生計を立てる庶民は、いわば生殺与奪の権を握られている状態なので、自分には自分の価値観があると胸を張って抵抗できない。卑屈に従わざるを得ず、その屈辱感を、自分と同じように屈しない人に向けていじめや排除の圧力をかけて鬱憤を晴らすことしかしない。これが世の中を閉塞させる。

 

「お父さん あのね…。たとえ傷ついたとしても、やっぱり自分の一番で生きた方がいいんだよ」。
人に言われたとおりにして、それで褒賞を得るうれしさより、自分の思うことを追求して失敗するほうが、人生のコントロール感を持っている分、ずっとましなことです。自分の人生を自分でコントロールしているということも充足感の重要な要素だから。そのうえいくらかの成果を得られればなおのこと満足度は大きい。その満足感、充足感は、サラリーマンの会社への貢献と報酬などとは比較にならないくらい大きいだろう。

 

「人並みに」二人の子どもを持ち、車を買って、家を建て、日曜日に、商業化されたレジャー地で遊んだり、ショッピングモールをぶらつく類の、消費の「幸せ」は、それがなくても限られた人生を終えようとしているときに感じる充足感には無関係。

 

こんな話を読んだことがある。

 


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「先生は、後悔したことはありますか?」
静かにベッドに横たわったあなたは問う。
「後悔…ですか?」
「ええ」
ともすれば眠ってしまいそうな、そんな強い眠気と闘いながら、あなたは¨もろもろ¨を振り払うかのように大きく頷く。
「後悔…」
「そう、先生にはないでしょうか」
わたしは、首からぶら下げた聴診器の先を左手でやわらかく握りしめた。ひんやりとした感覚が手から入り、脊髄を通って脳に達する。
「もちろん、ありますよ」
「ある?」
「ええ、後悔するのは…しょっちゅうですよ」

 

医者であるということで、後悔がないと思うのなら、それは間違いである。理想主義者は、あるいはロマンチストは、期待や希望に裏切られる現実と、それに従ってもたらされる後悔と常に戦わねばならない。

わたしはそういう意味で、後悔の名人といえた。終末期医療の最前線で、正解がない問の連続の中、日々「こうしておけばよかった」、「ああいえばよかった」、そのような仕事上の後悔とも無縁ではない。

おのずとゆっくり、顔がほころぶのがわかった。自嘲ではなく、自分が凡夫であるという、悩み多きただの人間の一人であるという、すがすがしい諦念だ。

 

「わたしだって、いつも後悔しています」
ダメ押しすると、あなたもつられてやや微笑んだ。
「そうなんですか」
どことなく安心したようだ。声も落ち着きを取り戻している。
「ええ、そうですとも」

 

わたしは緩和ケアという、主に末期がんの患者さんの心身の苦痛を取り除く仕事をしている医者である。今まで数千人の最期を見届けてきた。

 

とりわけがんの末期は様々な苦痛を伴う。ゆえに、私の仕事の大半は、主に薬を用いて、その増大した苦痛を取り除くことに向けられている。終末期の患者さんを苦しめるのは身体的な苦痛である。私はそれを取り除くスペシャリストなのである。しかし一方で、身体的な苦痛は取り除けても、その人の心の苦痛を取り除くことはなかなかに難しい。心の苦痛を訴える患者さんと出会うと、わたしも迷い悩むことがよくある。もはや解決できない、あるいはおそらく解決できないであろう問題を患者さんから示されると、わたしにはどうすることもできないのである。ただただ裸の人間として向き合い、お話を聞かせていただくよりほかはない。そんなとき、表情が曇るのが自分でもわかる。

 

あなたの余命は、おそらく短い週の単位である。すなわち、あなたが生きられるのは、おそらくあと数週間なのである。

 

あなたはもはや体が自由にならない。満足に歩けない。日中も寝ている時間が多くなった。終末期によくみられる、体力の低下を睡眠時間を増やすことで補おうとする現象である。つまり、あなたの思考力も以前のようには働かない。あなたは健康な時にやすやすと解決できた問題が、もう簡単には解決できない。あなたの後悔が、あなたの人生で解決していない問題に由来しているのであれば、それを取り除くのは難しいかもしれず、それを聴いたわたしも、ともにその後悔の痛みを引き受けることしかできないのかもしれないのである。

 

ごくっと唾をのんだ。
しかし、あなたに後悔を持ったまま、亡くなってもらいたくない。
姿勢を正すと、わたしは問うた。
「あなたの、後悔は何ですか?」
あなたはゆっくり口を開いた。
「わたしの後悔は…」

 

 


「死ぬときに後悔すること25」/大津秀一・著

 

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この前書きの後、後悔を吐露した患者さんの話が25にまとめられ、「生きること」を考える内容となっている。25の後悔のうち、いくつかを目次から引いてみると、

健康を大切にしなかったこと
煙草をやめなかったこと

そして、

自分のやりたいことをやらなかったこと
悪事に手を染めたこと
他人に優しくしなかったこと
自分がいちばんと信じて疑わなかったこと
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
記憶に残る恋愛をしなかったこと
愛する人に「ありがとう」を伝えなかったこと

…とある。

 

このうち、「自分のやりたいことをやらなかったこと」の章では…

 

 

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おそらく日本人はまじめすぎる。もう少し肩の力を抜かないと息が詰まる。そしてもう少し自由に生きるとよいと思う。見えない鎖に縛られすぎている。

...

 

自分勝手の自由ではなく、自らによって立ち、何ものにも束縛されない真の自由に生きる人間は本当に強い。心の部屋に清涼な風が吹き込むように、窓をいっぱいに開けて、己がしたいように生きるべきだ。とにかくいまわの際には、自分に嘘をついて生きてきた人間は必ず後悔することになる。

 

転職したいなら、今すべきである
新しい恋に生きるなら、今すべきである
世の中に名を残したいのであれば、今からすべきである。

 

命の時間は決して長くない。毎日無用なストレスにきりきり耐えて、レールに乗るばかりの人生を走っても、最期に感じるのは「おれは忠実なバトンランナーであった」という思いだけであろう。

 

生命の役割は、バトンに載せて、「思い」を次世代につなぐことである。バトンをつなぐことも大事ではあるが、それが目的ではない。バトンをつなぐのにどんな(自分独自の)すごい走りを見せたのか、それが次のランナーを励ましもすれば、TVの前の観衆をも魅了するのである。苦しそうな顔をして、落とさないように落とさないようにとおっかなびっくり走って、素晴らしい走りができるだろうか。胸を張って、自分の思いに忠実に、全力以上の力で走るからこそ、皆が感動するのではないだろうか。

 

もちろん、秩序を壊せとは言わない。そして新しい人生には、それなりの逆風が吹くだろう。それは覚悟しなければならない。地図のない海を初めて航海しうとすれば、そこには多くの未知の障害が待っている。それは人生も同じであろう。しかし、わたしもたくさんの人生の最後を見てきたが、

 

生涯を愛に生きるため、新たな伴侶と生きた女性
都会での暮らしを捨てて、高原で第二の人生を自然とともに生きた男性
最期の瞬間まで、自分の作品に心血を注ぎこんでいた男性(彼の死自体も、彼の作品の新たな1ページとなった)

 

こうした彼らすべてが輝いていた。そこにはほとんど曇りもなく、死に顔は穏やかで、実際、後悔などはほぼなかったのではないかと思えた。

 

社会的な規範からすれば、「自由にいきる、自分に忠実に生きる」人生は必ずしも完全な善ではないかもしれないが、自分の思いに殉じたのであろうその人生は、後ろ指をさされるどころか、不思議と潔いものである。なので自由に生きた人生はみなから尊敬はされないかもしれないが、愛される。

 

一方で、自分の心の声に耳を傾けることなく、社会的に規範のみを重んじ、したいと思った多くのことを心のうちに押し込めたままで、
「先生、ひたすら耐えるだけのわたしの人生は何だったのでしょうか」と後悔を漏らすのは、どうなんだろう。
自分というものを取り戻し、自分らしく生きることができれば、このような後悔もはるかに少なくなるのではないかと思う。

 

予定調和ばかり気にして、あるいは周囲と和することばかり考え、空気を読みすぎるのはあきらかに精神衛生上よくないし、そのような無形の長年のストレスが病気を生む可能性もある。

 

だからやりたいことは普段からどんどんやるようにし、他人に迷惑をなるべくかけないという前提で、もう少し、好きに生きてみてもよいように思われる。自由に生きても、忍耐で生きても、文句を言われる量はそれほど変わらない。だとしたら自由に生きたほうが、自分のためになるのではないか。

 

後悔しない生き方、それは「自分を取り戻す」ことだ。自分を意識せずとも、自分を体いっぱいに表現している子どもと同じようになれば、おのずと人生の楽しみを取り戻すこともできると思う。

 

やりたいことをやらねば最期に後悔する。

 


(同上)

 

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そう、だから優未は目標を変えてもいいし、誠也とのどかは共に生きていきたいのであれば結婚すればいい。うまくいかなかったら別れればいい。大の大人が結婚するのに親の許可なんていらない。娘が結婚するのに父親の許可が必要だったのは家制度、家父長制のような封建的価値観の時代の話。

 

ただ、今の日本は、資本主義の制度に異議を唱える人には「優しくない」。忍従の生き方で、世の中に恭順して生きてきた労働者にさえ、老後や負傷や病気で働けなくなれば、ほぼ何の補償もなく死ぬに任される。コロナ禍がそれを実証した。こんな日本の仕組みは変えなければならず、そのためにはわたしたちはそれなりの労力を提供しなければならない。でも、こんな無慈悲な日本を変えることができた日には、それは大きな喜びとなるだろう。

 

あと、航一さんはものわかりがよく、優未とのどかと誠也の望みを受け入れたが、現実のエリートは、逆に激高して少なくとものどかと誠也は勘当扱いにするだろう。寅子やのどかの思想は、権威者から評価してもらうために、多くの犠牲を払って、勉強し、のし上がってきた自分の生き方を真っ向から否定するものだからだ。

 

 

 

 

 

 

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