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内覧会同行(マンション・一戸建て)、既存住宅状況調査 株)みらい環境設計へ 品質向上と安心を。

内覧会には丸一日同行して、徹底的に検査し、売主と直接交渉致します。既存住宅状況調査もお引き受け致します。

ワイフはどこに・・・(その8:黒いマントの羊飼い)

2020年05月04日 20時53分53秒 | 世の中、こんな話、あんな話

部屋の番号を確認して、静かにノックをすると、中から、「あなたー?」と聞きなれた声がしました。なんか、アテネではなく、普通に会社を終わって、家に帰った時のような感じです。ドアが開くと、寝巻きを着て、眠そうな顔のワイフが立っています。映画なら、ここでしっかりと抱擁の場面になるのでしょうが、極めて、現実的なやり取りが、続きます。「イヤー、ぐっすり寝てたよ。さっき、ホテルの人から電話があって、来ると聞いたよ・・・」眠そうな顔をして、目をこすりながらワイフは言いました。
部屋の中を見ると、壁に細いロープなんかかけて洗濯物が干してあります。そして、「北の方のペンペン草が生えている名前の難しい空港に着いて、そこから、延々とバスで来たよ。ずいぶんと田舎だったよ。道中、たくさんの羊と黒いマントを着た羊飼いを見たよ。おとぎ話に出てくるような、なんとも味がある風景だった。こういうのは普通見られないから得したよ。もう会えないと思って、明後日、成田に帰る便を予約したよ。疲れたから、お風呂に入って、洗濯して、早めに寝たよ・・・」だって。
私は、今朝の空港のストライキ、テッサロニキ空港に行ったのではないか、口ひげのおまわりさん、ミスタイプの電話帳など、いろんな今日の出来事を話しました。それらを聞きながら、ワイフは、「あっそー、そりゃー大変だったね・・・、私も疲れたよ・・・話は明日だ・・・眠くてダメだ・・・」と言いながら、目をつぶってしまいました。 私は、干してある洗濯物を見ながら、「女の人と言うのはすごいもんだな。こっちは、早朝から、もう一生会えないかもしれないなんて考えながら、どうにか探そうと必死だったのに、なんかバカみたい・・・明日起きたら、あの銀行に行ってお礼を言わねば・・・」なんて心の中でつぶやいていました。こうして、長いアテネの12月28日は終わって、外は、29日の朝がうっすらと始まろうとしています。(ワイフはどこに・・・ 完)


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ワイフはどこに・・・(その7:ミスタイプのホテルに)

2020年05月01日 23時28分04秒 | 世の中、こんな話、あんな話

ホテルのフロントの男性は、親切にも、正しい電話番号をメモに書いて、私に渡してくれました。そのメモをもらって、再度、自分の部屋に戻って来ました。アテネ市内の約50あるファイブスターホテルに、一つを除いて、全部電話をしてもワイフは探すことが出来ませんでした。疲労感とあきらめの気持ちで、ベットの上に横たわり、天井を見ながら呆然としてました。 先ほど、フロントでもらった小さなメモは机の上にあります。そこにいるとは思えないけれど、まあ、今日の最後の電話をしてみよう、と思って、ダイヤルを回しました。
また、日本から来ているワイフを探していると、何度も話した同じセリフを繰り返しました。すると、電話の相手の男性が、話を聞き終わると、あなたの名前は?と聞いてきました。今まで、このような反応のある受け答えはありませんでした。
私の名前を聞き終わると、ちょっと待って、と言われました。
そこで、ひょっとして、と今までの疲労感が一挙に消え去っていきました。待つこと、数十秒・・・ 受話器の向こうから、あなたの探している女性はここに泊まっている、と聞こえてきました。私は、それを聞いて、今から、そちらのホテルに伺うので、ワイフに連絡をして下さい、とお願いしました。時計を見ると午前4時でした。
ホテルの名前と住所を確認して、私は、部屋から飛び出しました。ワイフの泊まっているホテルの名前と住所を、私の宿泊しているホテルの受付に見せて、このホテルはどの辺りにありますか?と聞いてみました。ホテルの受付の人は、これは近いよ、このホテルの斜め向かいのあのホテルだよ、とロビーの玄関のガラス越しに教えてくれました。
私は、そのホテルに向かって、早朝のアテネの街を小走りで行きました。その間、こんなこともあるんだな、朝から探しに探して、挙句の果ては、電話帳に一つ残ったミスタイプのホテルにいて、そのホテルがこんなに近いとは・・・ そこで、ふと、さっき、「お前は最も不幸な人間だ」と言った、口ひげのおまわりさんの言葉と顔を思い浮かべました。ホテルのロビーに着くと、受付の人が待っていて、「電話の人ですか、奥さんのルームナンバーはここだよ」と、微笑みながら言ってくれました。私は、エレベーターに乗って、部屋に向かい、部屋のドアをノックしました。(その8に続きます)


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ワイフはどこに・・・(その6:ホテルの電話帳)

2020年04月30日 23時14分49秒 | 世の中、こんな話、あんな話

観光警察の事務所を後にして、ホテルに戻ってきました。ホテルの受付で、カギをもらう時に、アテネ市内のホテルの電話帳を貸してもらいました。自分の部屋に入って、その電話帳をビールを飲みながら、めくってみました。電話帳の厚さは約1㎝、最初のページに目次があります。目次には、ホテルの格に応じて、5段階に分かれてホテル名が記載されています。ファイブスターホテルは約50、フォースターホテルは数百、スリースターになりますとすさまじい数のホテル名が並んでいます。それを見ながら、ファイブスターホテルだけ電話で確かめてみよう、と決めました。
電話帳に並んでいる順番に電話をかけ始めました。ホテルというのは結構用心深いところで、宿泊客がいるかいないかを聞いてもすぐに答えてくれません。ですので、ホテルに電話をかける度に、こういう訳でワイフを探していると言うことを伝えなければ、確認してくれません。こっちは急いでいるのですが、都度都度、経緯を説明するのも面倒なものです。
約50あるファイブスターホテルに電話をし始めて、半分ほどかけましたが、どこのホテルからも、そういう女性はいません、という返事でした。少し休んで気を取り直して、また、電話をし始めました。結局、数回かけてもつながらない一つのホテルを除いて、約50あるファイブスターホテルの全てに電話をし終ってもワイフは見つかりませんでした。時計を見ると、午前3時となっています。
イヤー、もう疲れたし、フォースターは数百あるので、とても電話をする気にならなくなりました。そして、借りた電話帳を受付に返しに行きました。そこでお礼を言って、一つだけ電話がかからないホテルがあることを尋ねると、ちょっと待ってと言って調べてくれました。しばらくすると、この番号はミスタイプです、正しくはこの番号です、と小さな紙に書いてくれました。(その7に続きます)


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ワイフはどこに・・・(その5:口ひげのおまわりさん)

2020年04月28日 22時04分01秒 | 世の中、こんな話、あんな話

カフェを出て、観光警察の事務所はすぐに分かりました。地方の駅舎のように、玄関の上に赤いランプが点っていて、そのランプが希望の灯りのように思えました。観光警察、日本では聞きなれない言葉ですが、ギリシャは観光立国なので、そのための警察があるのですね。灯りの点る玄関ドア開けると、数人のおまわりさんがいました。事情を話すと、2階にマネージャーがいるので、そこに行ってお話したら、と言われました。
薄暗い階段を上がって2階にいくと、正面に部屋があって、そのドアが開いています。部屋の奥に大きな机があって、威厳のある口ひげのおまわりさんが電話をしています。電話をしながら、部屋に入るように手招きをしています。私は部屋に入っていきました。部屋の中で、周りを見ながら待っていると、電話を終え、「どうしましたか?」と、口ひげを揺らしながら聞いてきました。
私は、日本からワイフがアテネに来ること、でも、空港がストライキで会えなかったことなどを彼に話しました。彼は、私の話を聞き終わると、「お前は、世の中で最も不幸な人間だ。なぜなら、今、ホテルから電話があって、日本から今日来た女性が夫を探していると聞いた。でも、そのホテルの名前を忘れてしまった。ごめんね・・・」と言い出しました。
これを聞いて、私は怒りがこみ上げてきましたが、マネジャーの言い方が優しかったので、我慢をして、ニコッと笑って、わかりました、ありがとうございました、とお礼を言って、警察の事務所を出ました。心の中では、なんだ、あの口ひげは役に立たないヤツだと思いつつ、ワイフがアテネの街の中のどこかのホテルに入ったのを知りました。それでは、これから、ホテルに帰って、ホテルから電話して、探してみようと心に決めました。(その6に続きます)


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ワイフはどこに・・・(その4:銀行員の女性)

2020年04月27日 21時35分09秒 | 世の中、こんな話、あんな話

そして、更にその銀行員の女性は、「さっきから銀行の中に出たり入ったりしていたけど、一体何をしているのですか?」と尋ねて来ました。私は、「済みません、外は寒くて仕方がないので、ここに入らせて頂いてます。実は、ワイフと半年ぶりにアテネ空港で会うことになっていました。でも、アテネ空港のストライキで飛行機が、アテネではなくテッサロニキ空港に行ってしまったようです。空港からはバスで、このシンタグマ広場に到着すると空港で聞いたものですから、こうしてバスが来るたびに外に出て、探しています・・・」と説明をしました。
私の話を聞き終わると、その銀行員は、「そうなの、とっても素敵な話ね、あなたのワイフがどんな人か見たいから、明日会えたら連れてきて。お話を聞いたら心苦しくなってしまったけど、午後9時には銀行を閉めなければならないから」と言いました。私は、その優しい銀行員に、ワイフに会えたら明日来ること、そして待たせてくれたお礼を告げて、お店を出ました。
アテネの街は午後9時を過ぎて、街ゆく人も減り、シンタグマ広場に到着するバスも少なくなってきました。そんな様子を見ながら、もうこれ以上ここにいてもしょうがない、と思い始めました。 外は寒いし、お腹も減ったので近くのコーヒースタンドに入りました。
コーヒーを飲みながら外を見ていたら、おまわりさんが歩いていました。そこで思い浮かびました。
そうだ!おまわりさんに相談してみよう。私は、おまわりさんのところに走って行って、事情を告げました。そしたら、そのおまわりさんは、「近くに観光警察の事務所があるからそこに行ってごらん」と言ってくれました。それを聞いて、希望の灯りがポッと灯ったように、私は小走りにそこに向いました・・・(その5に続きます)


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ワイフはどこに・・・(その3:シンタグマの広場の夜は更けて)

2020年04月26日 21時42分12秒 | 世の中、こんな話、あんな話

アテネ空港からホテルに戻ってきて、ひと休み。今日は、朝早く起きて、アテネ空港に出かけて、ターミナルを行ったり来たり、疲れたので1時間ほどベットで横になりました。テッサロニキ空港からアテネの真ん中にあるシンタグマ広場まで、バスで来るとなると8時間かかるとのこと。そうすると、ワイフがシンタグマ広場にバスで到着するのは午後6時ごろ。午後5時半を過ぎて、また、ワイフを探すためホテルから広場に出かけて行きました。
シンタグマ広場とはアテネの真ん中にある大きな公園で、正面には国会議事堂がドンと威風堂々と位置しています。大きな広場の中も周りも、大勢の人がいるし、到着するバスもメチャクチャ多い。そんなところで、どのバスに乗っているのかも分からず、何の手立てもないのですが、ただ、これかな?あれかな?と思って探すだけしかありません。
12月28日のアテネの夕暮れは結構冷えます。私は常夏の砂漠国のサウジアラビアから行っているので、着ているのは夏物のジャケットだけです。
夜になるにつれ、辺りが暗くなって、見えなくなってきました。外にいて、あっちこっちに到着するバスを見なければならないので、この広場を何周もしました。広場には、「日本から来たの?良い店あるよ」なんて日本語で話しかけてくるお兄さんもいました。私が、公園を何周もしてるものだから、同じお兄さんと何度も顔を会わせる事になります。最後には、そのお兄さんが「オマエは一体何してる?まるで広場の番人みたいだな」とまで言われました。
陽はとうに沈み、冷たい冬の夜の風が吹き始め、広場に着くバスの数もだんだんと減ってきました。外で探している間、寒くてしようがないので、広場の角にある銀行に入りました。銀行の中のロビーは暖かく、ガラス越しに広場が見えました。バスが来れば、外に出て行って、バスから降りてくる人を見る、そんなことを繰り返していました。そうしていると、銀行員が、私に話しかけてきました。「さっきからずっとここにいるようですが、ここは午後9時に閉めますよ」と言われました。時計を見たらもう8時50分でした・・・。(その4に続きます)


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ワイフはどこに・・・(その2:テッサロニキ空港に!)

2020年04月25日 17時26分12秒 | 世の中、こんな話、あんな話

フランクフルト!どうしよう!と私は途方にくれました。それを見て、ルフトハンザのパイロットは気の毒に思ったのでしょう、「イヤイヤ、フランクフルトはないだろう、テッサロニキ空港に着陸するだろうな」と続けました。私は、それを信じるしかありません。
「でもね」パイロットは続けます。「そのテッサロニキ空港はアテネから700km程北にあるんだよ。そこからアテネまで、飛行機で来るか、バスで来るか分からないね。飛行機ならここからバスで20分程のアテネ第2国内線ターミナルに着くし、バスならアテネの中心にあるシンタグマ広場に着くだろうね。テッサロニキ空港からアテネまでは飛行機なら1時間、バスなら8時間ぐらいかかるだろう」と教えてくれました。
私は、その言葉だけが頼りです。その言葉を神の思し召しと考えて、アテネ空港から第2ターミナルへバスで向いました。テッサロニキ空港からの飛行機は5便ほどありました。お昼ごはんも食べず、飛行機が着く度に目を皿のようにして、ゲートから出てくる人を見つめていました。テッサロニキ空港からの最終便到着は午後4時、最終便の最後の乗客まで見つめていましたが、ワイフを探し出すことは出来ませんでした

これでは、テッサロニキから飛行機ではなくて、バスで来るんだろうな、と思い始めました。そう思い始めたら、疲れと空腹を急に感じ出して、向こうに見えるコーヒースタンドで休もうと歩き始めました。ぼんやりとサンドイッチを食べ、コーヒーを飲みながら、それでは一度ホテルに帰って、少し休んで、夕方から、バスが到着するシンタグマ広場に出直すことにしよう、と決めて、アテネ第2ターミナル空港を去りました・・・(続きはその3で)


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ワイフはどこに・・・(その1:アテネで会おう)

2020年04月24日 21時56分23秒 | 世の中、こんな話、あんな話

随分と昔の話になりますが、結婚して半年目の6月、中東へ1年間、建設現場に単身で行くことになりました。半年に一度は帰国しても良いという条件でしたので、12月の暮れになったら日本への一時帰国を考えていました。赴任して数ヶ月経ったころ、ワイフから、「新婚旅行も行ってないから、どこかヨーロッパにでも行かない」と連絡がきました。それではギリシャに行こう、となりました。私は、中東から12月26日にアテネへ、ワイフは成田から28日にルフトハンザ機で着く事になりました。
ワイフの飛行機は、12月28日、アテネ空港に、朝の8時20分に到着です。私は、半年振りのワイフに会う為、7時過ぎには空港に着きました。ところが・・・空港に着いて、到着便の案内を見たら、ほとんどがキャンセルと書いてあるのです。一体、何のことか分かりませんでした。そして、案内所に行って尋ねてみると、「アレ!あなた知らなかったの、今日はアテネ空港の職員はストライキなのよ。到着便の詳細はここでは分からないので、地下の航空会社の事務所に行ってみて」と言われました。エー、ストライキ!なんで・・・
これが、その時の私の頭の中の全てです。日本では空港の職員のストライキは考えられませんが、電車はあるので、そうなれば確かに電車の本数も少なくなります。 しかし、ここはアテネです。その時は、しばらく、どうしていいのか分かりませんでした。少し冷静になってみますと、やはり、
頼りは航空会社しかないと考え始めました。航空会社の事務室は空港の地下と聞いたので、階段をトボトボと降りていきました。
降りていったら、ルフトハンザのパイロットらしい二人が歩いてきました。そこで、ワラにでもすがる想いで、「昨夜、成田を発った便はどうなりましたか?」と聞いてみました。すると、彼らは顔を見合わせ、「この便は確かに成田を出た、ただ、アテネ空港には到着できないから、ギリシャの北にあるテッサロニキ空港、もしくはフランクフルトに行くようになるだろう」と言いました。なに!フ・ラ・ン・ク・フ・ル・ト!これはえらいことになってしまった、そんな、どうしよう・・・ワイフはどこに・・・(その2へ続きます)


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酢豚!目が点に・・・

2020年04月23日 21時45分36秒 | 世の中、こんな話、あんな話

時は流れても、誰しも、忘れられない思い出話というのはいくつかあるものと思います。もう30年以上前のある夏の日のこと、イラクから、日本のコンクリート産業を視察するために、イラク人技師10名が来日しました。そのイラク人達を東京近郊のコンクリート工場に案内することになりました。
汗をかきながらの工場見学が終わって、駅近くの食堂でお昼ご飯となりました。食堂に入ると、お店の人が来て、壁に掛けてある小さな黒板を指差しながら、「ここに書いてあるメニューは、今日、半額です…」と言いました。一同、腹ペコで、ちょうど人数分ぐらいだったので、「じゃあ、それを1個ずつ全部」と注文しました。
皆さん、待ちに待っての昼食で、おいしい!おいしい!と言いながら、アッと言う間に残らず食べちゃいました。私も満腹になって、落ち着きを取り戻し、何気に先ほどのメニューを見てました。そして、一瞬、目が点になりました。半額のメニューの一つに「酢豚」と書いてあるのです。
イラク人はイスラム教徒ですから、絶対に豚肉を食してはいけないのです。夢であって欲しいと思いました。でも、目の前で、ヒゲ面のイラク人が満足そうに笑っているのが見えます。こうなったら、兎にも角にも1秒でも早く、この店を立ち去ることしか頭にありませんでした。店を出る時、食堂の横には、ひまわりが数本咲いてました。
40年前、はるばるイラクから日本にお出で頂いた方々、イラクはいろいろとありましたが、今でも、皆様お元気でしょうか?あの時は、酢豚の件、ウッカリしていてご免なさい。もう時効と勝手に決めて、ここに白状してお詫び申し上げます。これで気持ちが少し楽になりました。


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配偶者を介護したい・・・男性は55%、女性は36%

2020年04月21日 22時35分06秒 | 世の中、こんな話、あんな話

記事は新聞からで、内容は、将来の介護についてです。オリックス・リビングが実施した調査では、将来の介護について、男女で考え方に大きな差があることが分かりました。「配偶者を介護したいか?」の質問に対し、はい、と答えたのは、男性の55%、女性は36%でした。
私は結婚して30年以上経ちますが、同じ質問をされたら、はい、と答えます。これは介護したいと言うより、介護しなければならないだろう、と言う気持の方が強い気がします。介護しなければならないだろう、とは思っていますが、実際に介護とはどういうものか、ピンと来ていません。親の介護をしたわけではないし、子育ての関わりも妻とは違いました。
男性の半数以上が「配偶者の介護をしたい」と答えていますが、これは、記事にもある通り、介護のイメージがはっきりとしていないからだと思われます。ですので、実際の介護になったら、「エ!こんなに大変なの!」と状況は変わるのでしょう。それよりも、より現実的に考えられる女性の36%という数値ですが、こちらの方がちょっと気になります。


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サトウさんの笑顔が・・・

2020年04月15日 16時31分10秒 | 世の中、こんな話、あんな話

私は、自分の住んでいるマンションの修繕委員を25年以上続けています。この委員を引き受けたきっかけをご紹介させて頂きます。ある日、マンションの裏の道で、当時修繕委員をしていたサトウさんに会いました。サトウさんは私に、「会社を定年になり、修繕委員を引き受けています。人生最後のご奉公です」と言いました。私は、そうですか、頑張って下さい、と言っただけでした。その当時、私のマンションの管理組合は11名の理事と1名の修繕委員で構成されていました。理事は1年交代なのですが、修繕委員に任期はなく、やりたい人はできるだけ長くやってください、という感じでした。
その半年後、また、サトウさんに会いました。サトウさんは、今度は私に、こう言いました。「最近、体の調子が良くないのです。病院に行く日が多くなっちゃって、修繕委員も満足に出来そうもありません。番場さんは、確か建築関係のお仕事ですよね、是非、私の代わりに修繕委員をやってくれませんか」と。私は、「いやいや、とても出来ません、まだ、会社勤めもありますし・・・」と、全くやる気がないので、そう答えました。
その3ヶ月後、サトウさんは亡くなってしまいました。私はサトウさんのお葬式に行きました。お葬式でのサトウさんのお写真を拝見しながら、修繕委員を頼まれた時の言葉や様子を昨日のように思い浮かべました。それから、数日間、サトウさんのこと、そしてこのマンションの今後のことを考えました。自分がやるべきだ、でも、引き受けたら面倒くさいなー、この間を行ったり来たりしたわけです。
そして、数日後、とにかく、やってみよう、難しかったら、その時やめれば良い事だ、と考えて修繕委員になることを決めました。その時、サトウさんの笑顔が、頭の中に浮かんだような気がしました。こんなことがきっかけで修繕委員を25年程続けています。サトウさんはきっと蓮の花が咲く天国におられることでしょう。


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2020年 謹賀新年

2020年01月01日 10時22分26秒 | 世の中、こんな話、あんな話

あけまして おめでとう ございます  

旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。
今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会、並びにマンション管理に関する記事を書いて行こうと思います。今年の一年の計は、「物事や状況をもう少し考えてから、ものを言おう」としました。新しく明けた希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。

       
   今日は ちょっと考えよう

           明日になったら、語ろうか 

                        
   2020年   元旦


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胡蝶ラン、咲きました!

2019年07月12日 23時15分02秒 | 世の中、こんな話、あんな話

写真は私の家の中にある胡蝶ランです。昨年、知り合いから花が終わったものを頂いて、今年の春から咲き出し、7月も中旬ですが、まだ咲いています。 以前は、ランには興味がなかったのですが、たまたま、知り合いが、花が終わったから捨てようと思っていると聞いて、もったいないから育ててみようとしたのがきっかけでした。
まったくの素人だったので、ネットで育て方を調べました。
先ず、行ったことは、葉っぱだけになったランを鉢から出し、古い根を切り取り、ランにあった用土やミズゴケを混ぜ、肥料を少し加え、水をやりました。そのうちに新しい葉っぱが出てきて、1月末頃から花芽が出てきて、3月には咲き始めました。胡蝶ランを頂いて、花が終わってしまって、次の年も咲かせたいと思っている方がいましたら、ご連絡下さい。まったくの素人の私でも出来たのですから、誰でも出来ます。


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ガン予防、野菜と果物と緑茶を!

2019年01月22日 22時44分19秒 | 世の中、こんな話、あんな話

食生活によるがんの予防に関し、国立がん研究センターの津金部長が薦める心がけは以下の4つとのことです。
①バランスよく食べる。
②食塩の摂取は最低限にする。(塩辛などは週1回未満に控える)
③野菜や果物不足にならない。(一日400㌘とると良いが、日本人の半分は不足)
④飲食物を熱いままとらない。
そして、野菜や果物はがん予防として、以下の効果があるとのことです。
・葉もの野菜、特にハーブ類に含まれるフラボノイドは、がんの初期段階で発がんを抑える。
・緑茶に含まれるカテキン、トマトに豊富なリコピンは、がん細胞となっていく途中で効く。
・昆布やわかめに含まれるフコキサンチンは、がん化した細胞の増殖を抑え、自滅させる。
がん予防の食生活は「あらゆるものを多彩に、バランスよくとる。毎食、野菜や果物をとり、緑茶を1日1回飲む」のがお勧めとのことです。詳しくは国立がん研究センター予防研究部のサイト(http://epi.ncc.go.jp/can_prev/index.html)をご覧下さい。


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2019年 謹賀新年

2019年01月01日 22時06分43秒 | 世の中、こんな話、あんな話

あけまして おめでとう ございます
 旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会、並びにマンション管理に関する記事を書いて行こうと思います。今年の一年の計は、「人の気持ちを理解し感謝していく」としました。新しく明けた希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
 


理解してくれる人がいる 
  場所がある 
  
  だから明日も 頑張れる

 


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株)みらい環境設計のご案内とお問い合わせ

100%買主の味方です。今までに2000戸以上のマンションや一戸建ての内覧会の全てに、私自身が立ち会ってきました。この経験に基づいて、内覧会では、あなたのマイホームを丸一日掛けて、隅から隅まで、低料金で丁寧に検査します。買主側の建築士として、損をしない、悔いを残さない、買主に安心を!これが私の信条です。お住まいになってからでも、不具合や不明な点が出ましたら、いつまでも無料でご相談に応じます。 新築・中古のマンションや一戸建ての購入、内覧会の立会い、既存住宅状況調査、お住まいの悩み、リフォーム工事、マンションの大規模修繕や管理費削減など、お住まいに関するご相談をお待ちしています。お問い合わせは、お電話:090-7811-4865、もしくはメール:tykyb@agate.plala.or.jpでお願い致します。