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富野監督の『Gのレコンギスタ』は「うんこアニメ」だ・・・監督の真意を妄想する

2014-10-12 12:02:00 | アニメ
 



■ 「大きなお友達」が嫌いな富野監督 ■

ガンダムの富野監督の新作『Gのレコンギスタ』の放送が始まっています。

オリジナルガンダム世代にとっては「神」にも等しい存在の富野監督ですが、ご本人は昔から大人になってもアニメを卒業出来ない私達の様な人種がお嫌いです。
今回が最後の作品になるであろう15年振りの新作は、明らかに子供にターゲットを絞った作品で、この作品をああだこうだと批評するのはヤボと言うものでしょう。

それでも何か書きたくなってしまうのは、もうアニメオタクの重症者・・・。

■ 「子供向けアニメ」の皮を被った悪意 ■

『Gのレコンギスタ』の様々なインタビューを見ると、富野監督は「子供達にアニメの本来持っている面白さを伝える為にこの作品を作った」と語っている様です。

富野監督は「策士」なので、彼の真意は全く別の所にあると思われます。その証拠にこのアニメ、放送時間が深夜です。良い子は寝ている時間です。

では、このアニメを見ているのは・・・多分高校生以上でしょう。そして、往年のガンダムファンも固唾を飲んで見守っているはずです。

どうやら富野監督の言う所の「子供達」とは、軟弱なオタクアニメに洗脳された「大きなお友達」の事なのかも知れません。

■ モビルスーツのコクピットでウンコは無いだろう!! ■



富野氏の悪意が最も感じられるのが、3話目の最後のシーンです。モビルスーツのコクピットで主人公の少年が「うんこ」をしています。同じコクピットの中には少女3人が詰め込まれています。便器はコクピットのシート・・・。

「お前らが大好きなガンダムのコクピットの中にウンコしてやったゼ・・」もう富野氏の悪意とニヤニヤが透けて見える様な演出です。

ただ、インタビューでこのシーンの説明を求められたら「パイロットも生理現象があるのだから、コクピットにトイレがあるのは当然ですし、そういうシーンを描かないとウソになってしまいます。子供はウソに敏感ですから。」と言いそうです。

往年のガンダムファンの多くは、このシーンを見て、「さすがは富野だ。アニメの中で脱糞シーンを描くなんて誰もやった事が無かった」とか「ロボット物でないがしろにされている身体性を表現したかったに違いない」と持ち上げるでしょう。「神のなさる事なのだから、何か崇高な意味が有るに違いない」と信者は考えてしまうのです。

■ ガンダム神話を壊す為のガンダム ■

多分、富野監督はガンダムの呪縛を嫌っています。「ガンダムの監督」と呼ばれる事も、ガンダムが劣化再生産される事も我慢できないと思います。

しかし、一方で富野監督はサンライズの企業としての立場も分かっていらっしゃるので、表面的には「子供向け」のガンダムを作ると言って、???と思っているサンライズの首脳陣が口出しし難い環境を作ったのでしょう。

『機動戦士ガンダムΖΖ』制作当時は、サンライズ首脳陣から「お前本気で子供向けアニメ作る気概があるのか!?」と叱責されてオバカ演出で「逆襲」したと富野氏ですが、今回は「遺作で名作のガンダム」を期待した人々に、渾身の「ラディカリズム」をぶちまけて、ガンダムの歴史に終止符を打つ気なのではないでしょうか?

「うんこ」演出もその一つでしょう。本来ならば、「神聖なるガンダムのコクピットの中でウンコをする」なんて、サンライズ首脳陣が止めるべきですが、「子供はウンコが好きなんだよ」とでも言われで丸め込まれちゃったのでしょう。

富野氏は『ガンダム SEED』を見た時に激怒したと言われています。「ガンダムの進化とはかくあるべきだ」との見本を示す為に『ターンAガンダム』を監督します。この作品は本当にオリジナルガンダムの次に素晴らしい作品ですが、世間的には評価されたとは言えません。

往年のガンダムファンにとってはは、いくつかの勢力が政治的に絡み合い、リアルなロボット?が戦闘を繰り広げるのがガンダムであり、一方、平成ガンダムからガンダムを見始めた世代にとっては、カッコイイ男子とロボットが活躍するのがガンダムの定義になっていたのです。

富野は『ターンAガンダム』でガンダムを始めとするモビルスーツを前世期の遺物とするっ事で、ファーストガンダムの世界感を葬り去りたかった様ですが、ファンは「類型化したガンダム」に拘り続けました。

富野はファーストガンダム以降、『伝説巨神イデオン』や『聖戦士ダンバイン』と言った意欲作。そして『戦闘メカ・ザブングル』と言った子供向けに特化した作品を発表しますが、「ガンダムの監督」という呪縛からは抜ける事が出来ず、さらにはオリジナル・ガンダムの評価を越える事も出来ませんでした。

こうした諸々のガンダムの呪縛を解き放つ為に、『Gのレコンギスタ』では、ファンの期待を裏切る演出を連発して来るものと思われます。

■ 格好悪くデザインされたガンダム? ■

富野氏はガンダムを格好悪くデザインする事で、ファンのガンダム離れを促そうとしています。平成ガンダムのシャープでトゲトゲしいデザインと真逆にコロコロしたデザインの要求を出したのでは無いでしょか。「子供は丸っこいデザインが好きなんだ」とか何とか言ってバンダイを説得したのでしょう。

しかし、デザインを担当している「あきまん」こと安田朗が上手過ぎました。現代最高の絵師の手に掛かると、このコロコロしたデザインが、厚みと重さを持った素晴らしいデザインになってしまいます。



ターンAのシド・ミドーのデザインはモビルスーツらしく無いと不評でしたが、今回のガンダムは・・・しっかりモビルスーツのツボを押さえています。

■ 群像劇の上手さが際立っている ■

あまり否定的な事ばかり書くとガンダムファンに襲われそうなので、少し肯定的な事も書いておきます。

それは「群像劇」の作り方の上手さです。とにかく第一話目から沢山の人物が説明も無く登場してきます。それぞれの人物に割ける時間は当然短くなります。

ところが富野はほんの少しの出番で、その人物の特徴を描き出していきます。それも「血の通った」人間としてきちんとキャラクターを描き分けています。

全体としては人がゴチャゴチャ出てきて、世界感や組織も説明されないので何が何だか良く分からないのですが、それでも、それぞれの人がそれぞれの思惑で行動している事は何となく分かります。

興味深いのは「セリフの短さと強さ」です。ほとんど全てのセリフの「前段」が省略されています。セリフだけをぬき出したら「唐突」と思えるのですが、その省略された部分で、登場人物の間の距離感や意思疎通が見事に表現されています。

ファーストガンダムで思い当たるのはセーラさんの「よろしくてよ」とか、ブライト艦長の「出れるか」なんて言い回しです。ちょっとした一言ですが、性格や立場、そして状況が凝縮しています。

日本の多くのアニメにありがちな、絵が止ったままで登場人物が長々をしゃべる様な事はありません。動き回る絵に「短くて強いセリフ」がどんどん投げ込まれ、会話が進行して行きます。

そして幾つもの事象や人間関係が並行して進行して行きますが、セリフが短いので、同時に進行する事が断片的でも並行して描写され続けます。事件は主人公とその周囲だけに限定されずに、登場人物全てが共有するものと成ります。

ここら辺の上手さは『伝説巨人イデオン』時代から変わりません。

■ 昨今の全てのアニメが薄っぺらに見える ■

最初に否定的な事を多く書きましたが、富野氏がこの作品で伝えたい事は、「アニメの世界から出て来い」という事では無いでしょうか。

現在のアニメやラノベの世界は「お約束」に縛られた「閉塞世界」です。テンプレキャラがテンプレ展開したり、あるいはその「ひねり」と言ったバリエーションで作品が構成されます。人気声優達が、「アニメ的なセリフ回しで」演技し、そして新人達がそれを真似ています。

当然、主人公はシリアスな作品では「うんこ」なんてしません。でも、リアルの人は「ウンコ」するのは当たりまえの事です。

富野監督は『伝説巨人イデオン』の映画版のラストで実写映像を挿入します。劇場で見た人は驚くと同時に「冷めた気分」になったはずです。2時間余り、感情移入して見ていた作品が、アニメという虚構である事を突きつけられるからです。

富野氏は当時に比べて大人ですから、『Gのレコンギスタ』でこういうアカラサマな演出はしないと思いますが、作品自体をアニメの原点である「子供の作品」とする事で、アニメが「子供向けのエンタテーメント」であるという事実を「大きなお友達」に突きつけています。

一方で、「子供向け」にした事で様々な制約から解き放たれた演出は、何とも言えず生き生きして見えます。



軌道エレベーターの中にチアガールの女の子達が居る演出なんて「子供向けなんだから」というエクスキューズ無しには成立しませんが、彼女達が飛び跳ねるシーンは魅力的です。こういうシーンを見ると、富野氏の宮崎駿に対する羨望が良く分かります。ガンダム的リアリズムの追求の一方で、富野氏は「アニメの動き」に対する宮崎駿の能力を高く評価しるのでしょう。

■ 大人が有り難がって見るもんじゃ無い ■

『Gのレコンギスタ』に往年のガンダムファンは困惑していると思いますが、それでもネットでは「さすがは富野」という評価が目立ちます。

でも、この作品を大人が有り難く見てしまったら、富野氏の目論見が外れる様に思われます。お前ら「うんこ」で喜んでいるのかよ・・・って、がっかりすると同時に、ニンマリしている富野氏の顔が目に浮かびます。

ここら辺は富野氏の二面性で、「お前らウンコでも見て喜んでろ!!」と突き離す一方で、その反応に「はらはらドキドキ」して期待してしまうのでしょう。

そもそも富野氏はこの作品で手抜きをする気は毛頭無いはずです。宮崎駿や庵野氏に捻じれたライバル心を燃やす富野氏の事ですから、「『エヴァンゲリオン』や『風立ちぬ』なんて越えてみせる」という意気込みで作品を作っていると思います。

まあ、こういう富野氏の作戦にマンマと乗るも良し、無視して視聴を止めるも良し。選択権は視聴者にあります。そして、私は・・・やっぱ「ウンコ」に喜んでしまう真性のオタクです・・・。

■ 「科学的な描写」としての「うんこ」 ■



ところで、「うんこ」ですが意外に科学的な設定だと思います。敵のモビルスーツが作戦空域に到達するまでサブフライトシステム(下駄)を使用しています。敵の基地から作戦空域までの距離が相当あるのでしょう。コクピット内で朝食を取っている事から1時間か2時間は掛かっていると思われます。宇宙空間も広いので、モビルスーツの作戦行動時間は当然長くなり、その間には「生理現象」にも見舞われます。

現実の宇宙飛行士は宇宙服の中に「おむつ」を着用しています。しかし「汚物」にまみれた「オムツ」は不快ですから、モビルスーツのパイロットの場合は戦闘に集中出来ないでしょう。オムツではコクピットに匂いもこもっちゃいますしね・・・。だからトイレがあった方が好ましい。

ネタとしての「うんこ」一つにしても、富野監督の演出は手抜きはありません。最初は敵が排便後に便器から汚物を排出するシーンを描き、次にコクピット内で食事をするシーンを描きます。同時進行で主人公が朝食をしっかり食べて家を出るシーンを描き、最後に主人公が戦闘後に黒マントを肩から被って「いきむ」シーンを描きます。これで視聴者は彼が排便している事に気づくのですが、なんとも周到な演出です。群像劇のとてつも無い密度の中でも、しっかりと「排便の必然性」を描いています。

ここら辺は、現代のアニメ制作者に対する「あてつけ」と「教育」と見るべきでしょう。「お前ら人間ってのはこうやって描くんだよ。「うんこ」一つだって、きちんと描く為には手順と段取りってのが必要なんだよ」・・・現場でこう語る富野氏の姿を妄想してしまいます。

結論を言うと、「うんこ」のアイデアを思いついたら、やりたくてたまらなくてウズウズしてる富野監督が一番子供なんだけどね・・・。

でも、排便中のコクピットの中の雰囲気、楽しそうですよね。何だかピクニック気分。この作品に一貫して流れる「楽しくてウキウキする感じ」を70歳を過ぎた監督が作り出している事にはもう脱帽するしか有りません。私達ファンは、例え足蹴にされても、富野監督を崇拝してしまうのです。



■ 再評価されるべきは『ターンAガンダム』 ■




まあ『Gのレコンギスタ』はネタアニメとして楽しめそうですが、もし富野氏の晩年の傑作を本当に見ようとすれば『ターンAガンダム』に尽きるでしょう。

メカニカルデザイン   シド・ミドー
キャラクターデザイン  安田朗(あきまん)
音楽          菅野よう子
ノベライズ       福井敏晴

今回の『Gのレコンギスタ』と正反対に、物語は丁寧に進行し、キャラクター達は大切に扱われています。そして、ガンダムの遺産を上手に活用しています。

後半、ターンXが出て来る辺りで少しテンションが上がり過ぎますが、最終回は何度見ても涙が出そうになります。

この作品は早すぎました。
本当は『Gのレコンギスタ』を放映するぐらいなら、『ターンAガンダム』を再放送して欲しい。

あきまんのビジュアル・アートを見られるだけでも、或いは菅野よう子のサントラが聞けるだけでも、『ターンAガンダム』の存在意義は絶大だと思います。



本日はトンデモ無い妄想記事を垂れ流してしまいました。富野大先生、ガンダムファンの皆さんゴメンナサイ。


最後に一言だけ言わせて下さい。

『Gのレコンギスタ』の前に、最近10年のアニメはことごとく存在感を失います。アニメの中で熟成された表現は、アニメの外からの攻撃に単純に弱いのです。富野氏は常にアニメの外の視点を持ち続けていながら、アニメが心底好きな事こそが最強の武器なのでしょう。

『クロスアンジュ』で喜んでいるアニオタには決して理解出来ないであろう「崇高?」な作品です。




最後にネットで拾った富野語録を・・・

「大人はアニメを見るな。 マンガやアニメは子供が親に隠れてこっ
そり見るものである。 大人になったらアニメのことは忘れなさい」

「僕はね、ガンダムというのがそこまで増長しているのに悲観して
いるのですよ。 いい大人がガンダム好きだっていってる状況にね」

「『機動戦士ガンダム』 は娯楽に過ぎず、人生の指針や教訓にな
るような大そうなものではない」

「日本の深夜アニメはつまらない。 それ以外のモノも、必ずしも現
在みなさん方が目にしているようなアニメや漫画の作品が豊かだと
僕は思いません」

「このDVDは見られたものではないので、絶対に買ってはいけま
せん ! ! 」 (『機動戦士Vガンダム』 のDVDに書かれた言葉)


「お前らの作品は所詮コピーだ。 『エヴァ』は潰したい」


「ユニコーンは我慢して1話だけ見た。 自分が作っても気にいらな
いのに、他人の作ったものをなぜ気にいる」

「はっきり言います。 SEEDは嫌いです。 見ていて本当にイヤにな
りました」

「アニメをやりたいと言ってアニメしか見たことがない奴は皆ダメな人。
文学を読め、美術館で絵を見ろ。 文芸、演劇、物語を見ないで映画や
アニメが作れると思うな」