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『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

重さの違い(前編)

2007年05月11日 02時51分44秒 | かぁちゃんにまつわる話
私と妹との重さの違い~っ
彼女が高校生の時までは私の方が軽かったのに
甥っ子の障害が明らかになった頃から、
まんまる妹は、げっそり妹に変化を遂げて
すっかり私の方が重くなっちゃった

・・・あ、体重の話ではなかった

小さい頃から、甘えん坊であかんたれ・・・だと思っていたのに、
今ではすっかり、元気(すぎる)なおばちゃん街道まっしぐらの妹。
かぁちゃんが嫁ぎ先で、ちょっと揉めていた頃、
私は日本を離れてしまっていたので、その揉め事を一手に引き受け、
彼女には相当嫌な思いをさせてしまったようだ。
同時期に息子の障害が確実な物となり、
愚痴れる筈のアネキは異国へとんずら
かなりきつかっただろうに、よく乗り切ったと思う。

それ故に少々妹に頭の上がらなくなった柔なアネキ
勿論、彼女はそんな事は知らない(筈)けど。

かぁちゃんがオヤジさんと別れてから、
妹はしばらく母娘二人で生活していた事もあり、
彼女と私の両親に対する思いは微妙にズレがある。
かぁちゃんにアルツハイマーの症状が顕著に出始めた頃、
正直言って私には介護し続ける自信は全くなかった。
当時のケアマネは即座に施設のパンフレットを持って来たし、
近いうちには・・・と思っていた事もある。
けれど、妹はそれを一笑に付した。言葉は悪いけど
「なにをあほな事を。」と言った風だった。
そんな選択肢は当時の彼女には無かったのだろうなぁ。

そのくせ、自分がヘルパーとして在宅の方々と触れ合って、
今更のように、かぁちゃんを見て言うのだ。
「ねぇちゃん!在宅独居でここまでの人はおらんわぁ。」

・・・おい!てめぇ!!・・・なのである

もう一つ、甥っ子にとって「ばぁちゃん」の存在は
「ばぁちゃんの家に居ると言う事」に大きな大きな意味があり
彼とばぁちゃんの繋がりを切ってしまう訳にはいかない。
「月に一回くらいは、家に遊びに来たらええねん。迎えに来るし~。」と言う言葉を希望に、
それなら・・・と、踏ん張って在宅介護を続けて来たのだけど、
その「月一回」の重さが、私と妹では随分違った。

全ての照準を「その日々」に合わせて、
ぎらぎら眼で「逃すものか~っ!!」と構えている姉と、
「その日、仕事あるかもしれん~っ。」と
軽々しく言ってのける妹・・・
悪気はないのは分かっているし、妹にも都合がある。

妹が幸せでいてくれる事をいつも願っているのに、
このままでは、その気持ちを忘れ去り、
考えたくないけど、いつしか恨みに変わりかねない。
そんな所まで追い込まれてしまった、あかんたれアネキだった。

かぁちゃんの帰宅後の精神的な不安定さや
症状が一時的に悪化するというリスクはあるにせよ、
「ショートステイ」を毎月入れる決心をした頃のお話。


後編につづく~っ!!



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