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好漢雑賀孫市…♪

2017-08-16 09:30:00 | Weblog
読む前は、『尻啖え孫市』ってどういう意味なんだろうかねぇ…って思ってた。
孫市よ、尻を啖え
って、孫市って人に命じているのか、あるいは嘲笑しているのか、とかね…。
読み進むうちに分かりましたよ。
孫市殿の口癖が
我が尻啖え
なのね。
ほら、相手方にお尻を向けてパシパシと叩きながら嘲笑したり挑発したりする行為というか身振りがあるでしょ。
あれをやりながら
わぁ~い、我が尻啖え~っ
って…。
で、近しい人々が尻啖えの孫市殿と呼ぶようになった、と…。
で、この孫市殿、実に実に魅力的な人物でした
戦国時代、鉄砲隊で名を馳せた雑賀党の首領にして自らも鉄砲の名人。
なにものにも捉われず、なにものにも拘らず、自由に、ただ一個の人として、男子として生きたかった彼を、時代が時の人にした。
戦国時代というのは浄土真宗が世の中を席巻していた時代でもある。
紀州雑賀の領民もみな本願寺門徒になっている。
それゆえ否も応もなく彼は石山本願寺の侍大将にならざるを得ず…。
敵は織田信長。
私は、信長さまは勝つべくして勝つ常勝将軍だと思い込んでたの。
幾度か危機的な場面に直面したこともあったにせよ、ほぼ負けたことのない大将だと思ってた。
ところが、まぁぁ…
ここまで負けるかね、っていうくらい孫市殿相手の戦では連戦連敗。
まぁ、実際には信長旗下の武将たちが負けちゃってるわけだけれども…。
信長さま自身も孫市殿に狙撃までされて、右太腿を打ち抜かれちゃうし…
とにかく孫市殿は負け知らず。
いやぁ、勝つべくして勝つ、とは孫市殿のことでしょうな
勝つことが好きなのね。
ひとことでいうなら戦の天才。
その上、貝(=陣貝、ほら貝)の名手で踊りが好きで、陽気で、偏執的なところがまったくない。
やがて秀吉の天下となったとき、風のようにこの世を去った。
筆者曰く、
辞世もなければ遺言もなく、まるで尻をからげて駆けるようにこの世を去ってしまった
享年四十歳。
ふふん、好きだな、雑賀孫市
さて…。
『箱根の坂』では戦国時代の幕を開けたといわれる北条早雲の人生を見た。
早雲も、寡欲で卑しさのない好漢で、明晰な思考をもち、戦巧者だった。
続いて、戦国時代の真っただ中で信長さま相手に負け知らずの雑賀孫市の人生を見た。
この流れでいくと、次はぁ…。
『関ヶ原』かなぁ…
あ、信長さまの時代のもう一つの局面、
『忍びの国』もあるわねぇ…。
さて、どっちにしましょうかなぁ…
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