地蔵盆の暑く気だるい日の午後、<秋篠の道>を歩いた。
汗みずくの身体に、苔むす庭と青紅葉の梢を渡る風が涼しい、と言いたいのだが、一雨来そうで来ない空模様は容赦なく汗を搾り取る。
秋篠寺、チケットとともに貰った「小誌・尊像略記」に、開基(創立者)は、奈良時代の南都六宗のひとつ法相宗の僧・善珠を招じた光仁天皇の勅願寺だったとある。
山号はなく、宗派は法相宗から真言宗に転じ、明治の頃に浄土宗に属した時期もあるが、昭和二十四年に単立となり、どの
宗派・宗旨にも偏していないともある。
山門から続く小径は緑が滴り、その脇に “ 苔の寺 ” と別称されるに相応しい苔むす庭が広がってい、その向こうに小体ながら堂々とした本堂(国宝)があった(写真上)。
本堂には、ご本尊の薬師如来を挟んで日光菩薩と月光菩薩がおわし、その両脇に十二神将が六体ずつ並ぶ。その薬師三尊、国の重要文化財に指定されているそうな。
そして、祭壇に向かって左端、目指す “ 伎芸天 ” (写真中)がおわした。
先の「尊像略記」には、大自在天(シヴァ神)が天界で器楽に興じている時、その髪の生え際から化生せられた天女で、衆生の吉祥と芸能を主宰、諸技諸芸の祈願を納受し給うと説かれる、とある。
単独での信仰がそれほど広まらなかったこともあり、現存する古像はここの一体のみとも。
堂内は撮影禁止、求めた写真葉書の封筒に、「<風立ちぬ>」の堀辰雄さんの掌編「十月」の抜粋があった。
この少し荒れた御堂にある伎芸天の像をしみじみと見てきたばかりのところだ
朱(あか)い髪をし、おおどかな御顔だけすっかり香にお灼(や)けになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏し目にこちらを見下ろされ
此処はなかなかいい村だ、寺もいい
いかにもそんな村のお寺らしくしているところがいい
いま、秋篠という寺の、秋草のなかに寝そべって書いている
と、続いているが、彼が「十月」を書いた頃の風情は、残念ながら今は残ってないようだ。
ところで、この寺の別尊、一面六臂の憤怒相 “ 大元帥明王像 ”(写真下)、毎年6月6日の大祭にのみ開扉されるのだそうだ。(続く)
Peter & Catherine’s Travel Tour No.376
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