まるで祟られたかのような大雨に、聊かへこたれたかのような8月の末の頃だった、久し振りのお天気に誘われ広田神社の辺りまで歩いた。
本殿への石段の横、杭に張られた紐におみくじがいっぱい括られていたが、この景色、この国の原風景のひとつだと改めて思う。
そのおみくじ、漢字では、“ 「御御籤」または「御神籤」 ”(大辞泉)と書くとある。
由来は諸説あって、“ 「くじ」に接頭語の「おみき」や「おみこし」の「おみ」が付いたと言うのが定説になっているようだが、「み」を「神」とするのは当て字だとする説 ”(言語由来辞典)もある。
諸説ある語源は別にして籤とは、“ 紙片や竹片などに文句や記号を記し、その一つを抜き取って事の成否や吉凶を判断したり、当落・順番などを決めたりする方法 ”(大辞泉)の意。
不届き者の誹りは免れ得ぬが、おみくじとは、神主さんやお坊さん、神様・仏様じゃない。が、胴元の籤引き?
おみくじには、総合判断の吉・凶の他、願望、健康、恋愛・縁談、出産、金回り、仕事・商売、学業・受験、技芸、方位、旅行、争事などそれこそてんこ盛りに運勢が記されているとか。
待ち人は来たらず失せ物も見つからずなどとある「凶」 、どの程度の率であるのか知らないが。を、引けば、その運気は今が底、「吉」に転ずる前触れ、と細かい心遣いもみせる。
これまでに何度も書いたが、吉田兼好は徒然草で、“ 吉凶は人に拠りて日に非ず ” と。
が、新しき事の始めとか、何かと心細き折など、その先何となく覗いてみたい、そんな心境を上手く掴んでいるとも思う。
大方の人は、それにどれほどの信憑(しんぴょう)があろうや、と知りつつ幾許(いくばく)かの夢を引くのだろうと思う。
それにしても、そのおみくじの傍らで絵馬や護符を買って「願」の成就を託す、細かいことは言いっこなし!その融通無碍なる国民性、いかにも面白い。
とまれ、酔狂老人には今更のおみくじ、若い人への専売品?なんだろうなあ、多分?
それで、あの括られたおみくじ、何時まで置いとくのかなあ? えっ、詰まらンことはそのぐらいにしとけって!
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.864
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