興福寺の食堂(じきどう)跡、国宝館の真ん中、お釈迦さんの十大弟子を引き連れ鎮座まします丈六(じょうろく)もの巨仏は、本尊の木造千手観音菩薩立像。
参考までに丈六とは、お釈迦さんの身長が1丈6尺(約4.85m)あったと言うところから1丈6尺、また、その高さの仏像のこと。
座像の場合は半分の8尺に作られるのだそうだが、それも丈六と言い、それより大きいものを大仏と言う(大辞泉)とある。
本尊に対面して、大破して胸から下の体部が失われているが象の冠を被った五部浄(ごぶじょう)、鶏の面容の迦楼羅(かるら)、乾闥婆(けんだつば)など乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)が並ぶ。
八部衆とは、印度で古くから信じられてきた神話のなかで、悪霊鬼神とされた八つの神のこと。
その生い立ちや性格、また姿や容(かたち)は様々に説かれ、複雑で不明な部分が多いとされるらしい。
竜や大蛇や鳥の半人半獣の姿をし、人間界で恐れられた超人的神通力を持った神々は、やがてお釈迦さんの教えに従い、仏教を保護し仏に捧げ物をする役目を与えられる善神となったとか。
その八部衆の中で、最も争いを好んだのが中央におわす阿修羅。
同寺の解説では、“ 古代印度語とされる梵語のアスラ(Asura)の音写で、生命(asu)を与える者(ra)とされる ” らしい。
また、” 非(a)天(sura)とも解釈 ” され、まったく性格の異なる神にもなるらしい。
とまれ、仏教の守護神のひとつとされ、元鬼神に相応しく? 東南西北に持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)が仕えることから四天王天と呼ばれる帝釈天と戦争をするものの、常に負ける存在でもあるのだそうだ。
ちなみに、この戦いの場を修羅場と呼ぶとか。
像は三面六臂(さんめんろっぴ)、第一手は胸前で合掌している。
前号に書いた「魅惑の仏像 ‐ 阿修羅」(毎日新聞刊)に拠れば、第二手は左手に弓、右手に矢を持ち、第三手は左掌に日輪、右掌に月輪を捧げていたとされる。
鎌倉時代の作とされる京都・三十三間堂の阿修羅象は、まさに阿修羅らしくいかにも武張って勇ましいお姿らしいのだが、奈良時代に彫られたとされるこちらの像は、手も足もしなやかで余りにも優しく、純真な少年そのものに見え、手のつけられない暴れ神である(だった)との想像もつかない。
が、向かって左のお顔(下)に、果てもなく闘う神の片鱗を見た、ような気がした。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.777
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