ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

興福寺 ‐ 散歩道

2014年03月08日 | 神社/仏閣

 万葉荘で同窓会をした翌日、興福寺に阿修羅を見に行った。
 修羅場とか阿修羅の如くとかの言葉は聞くものの、仏像のことは殆ど知らなかった。

 86年と言うから25年ほども前に発行された「魅惑の仏像」(毎日新聞刊)の第一巻が阿修羅。
 それを引っ張り出し予備知識を入れて臨んだものの、前夜の深酒がたたって殆ど失念しているお粗末さ。

 ところで、像が安置されている興福寺、華厳宗や律宗など南都六宗のひとつ法相宗の大本山として知られている。

 A_2その法相宗、中国創始の宗派のひとつで、西遊記でお馴染みの玄奘三蔵が開祖、その弟子の慈恩大師基、一般には窺基(きき)と呼ばれているらしい。が、初祖とされる。

 大化の改新で、後の天智天皇、中大兄皇子の腹心として活躍、藤原氏繁栄の礎を築いた藤原鎌足とその子不比等ゆかりの寺院で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇ったとされ、比叡山の延暦寺とともに南都北嶺と称されたという。

 明治以降、神仏分離令、廃仏毀釈などによって、境内は奈良公園の一部となったらしいが、かつては境内東側には五重塔、東金堂、食堂、中央には南大門(消失)、中門(消失)、中金堂(再建中)、講堂(消失)、西側には南円堂、西金堂(消失)、北円堂が並ぶ大伽藍だったらしく、今にその様子を窺わせる。

 この日の奈良公園、穏やかな日差しに恵まれ、東大寺・二月堂のお水取りの行もあって、平日にも関らず観光客で賑わっていた。

 その食堂(じきどう)跡に宝物収蔵庫として建てられた国宝館へと向った。(この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.776

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