ぱそらぼ (ぱぁと1)

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自裁

2018年04月05日 | 社会派らぼ
評論家の西部邁氏が、多摩川で自殺したのは今年の1月21日。現場には遺書が残されていて、警察は自殺だと判断しました。その後、いくつか不審な点があるとして捜査が続けられていたようなのですが、西部氏が出演していた番組担当ディレクターら2人が自殺幇助の疑いで逮捕され、2人とも容疑を認めていると言います。氏は手が不自由だったのですが、多摩川の流れで体が流されないよう、工事用のハーネスを身に着け、近くの木にロープで結びつけられていました。

西部氏は東京大学在学当時、教養学部自治会委員長を務め、全学連中央執行委員となって60年安保闘争をリードする立場にありました。その後、連合赤軍などの事件を目にし、過激派と呼ばれた自分たちの活動に足りなかったものを知り、自省することになります。学生運動は確かに度を過ぎて過激だった部分も多く、本来の純粋な思いが一種極端に走ったところがあります。が、西部氏のその後を見ても、過激派と決別し、保守主義者になって猶、日本を覆う欺瞞と偽善に戦いを挑むような生き方を選ぶ、非常に純粋な思いがその根底にあったことが分かります。極端はともかく、私利私欲に走りがちな今の世相とは逆に、身を捨てて世の中を憂う人でありました。

その純粋な想いを突き詰めていったとき、氏にとって「死は大きな問題ではなくなった」のだそうです。氏は「安楽死」とか「尊厳死」といった言葉を、人間礼賛の成れの果ての表現として嫌ったと言われています。「単純死としての自殺が理想の死に方だ」として「自裁」の道を選んだようです。

法律論、道徳論を持ち出すまでもなく、自殺は「殺人」の一つで、認められてはならない行為です。人は自由意思で生まれる事も、自由意思で死ぬことも許されてはいない存在です。…が、さまざまな現実に負けて死に逃げる自殺と、西部氏の「自裁」との間には大きな差があるのは確かです。友だちや先生から執拗な「いじめ」を受けたと簡単に死を選ぶ若者や、将来を苦に現実から逃げる人たちと、西部氏を一線に論じてはならないとも思います。まして自殺願望を持つ人間を9人も殺した「座間9遺体事件」のような猟奇殺人と、今回逮捕された知人2人を、ある意味同等に裁かねばならない法律は、実は哲学的に底が浅いのかも知れません。

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ロリーナ

2018年04月03日 | 社会派らぼ
画家の故中原淳一さんの絵を再現したという人形「ロリーナ」100体を、中国人転売屋が買い占めるという事件(?)が発生したそうです。ボークスという会社が販売したもので、とてもデザインが繊細なうえ限定品で個数が限られるため、マニアの間ではかなりの高値で取引される人形だそうです。3月31日、一人2体までという制限で受注販売を受け付けたデパートの開店前から約200人の行列ができたそうです。先着50人が2体購入希望という事だったので、50枚の整理券を発行し、以降の人は購入できなかったわけですが、問題はここから。購入手続き開始と共に、50人の料金を支払うのが同一人物であることが判明しました。

要するに、最初から100体を2体ずつ購入するという計画で、50人の買い取りグループが作られました。彼らの会話から時給いくらで雇われたアルバイトだったようです。50人は、開店の午前10時に先立ち6時ごろから列を作り、先着順なので50枚の整理券を手に入れる事が出来ました。購入手続きはそれぞれ異なる名前で並んだ人が手続きしているのですが、総額1200万円にも上る金額は一人がすべて現金で支払っていたそうです。購入を楽しみにしてきた一般客達は1体も買えず、ネットは騒然としています。

この「ロリーナ」は人気で、販売金額は12万4200円だったそうですが、ネット上では既に15万円で販売するなどと掲載されており、アルバイト料4000円程度を差し引いても十分な儲けが見込めます。勿論、この事態に怒りを隠せないマニアたちは、ヤフオクやメルカリで転売されたロリーナは絶対買わないようにと呼びかけているようですが、おそらく100体を買い占めた転売屋は莫大な利益を手にするはずです。

話は違いますが、全国各地の空港や駅には、サイン色紙を大量に持った集団が待ち構えており、芸能人などを見つけると駆け寄ってサインをねだるのだそうです。もちろん、だれかれ構わずですから、相手が誰かの認識すらあいまいな状態だそうです。もちろん、高値で売れるのでしょうね。

以前「これからはお金に儲けてもらう時代ですよ」といったアドバイスをいただいた事があります。頭を使って賢く儲けなさい、という事なのだと思います。自分の裁量でお金を稼ぐことが悪い事ではないと言わざるを得ない事にジレンマを感じます。右から左にお金を動かすだけでお金が儲かるのが現実の世の中です。上述の人形もサインもちょっと頭を使えば儲かる…というのが今の世の中なのです。世の中をなんやかんや騒がせる様々な問題も、すべてお金が絡んで起きる事です。

規制できるのは、あくまで「ルール」でしかありません。「転売目的での購入は売主が契約を解除できる」といった法律を作るといった事や、「先着順でなく、抽選販売する」といったルール変更などが提案されています。どの法律をどのように解釈すれば、これが規制できる…といった事は大切なのだろうとは思うものの、必ずその裏をかくような知恵が出て来ます。

お金至上主義の世の中、大きく言うなら資本主義の世の中が、もしかすると違っている…と、切実に思う事があります。

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生きる意味

2018年04月02日 | 命の生き方
人間は生まれながらにして「生きる勘」とでも呼ぶべきものを持っています、多分。目の前で手を叩かれると思わず目をつぶるとか、衝撃に思わず身を縮めるとか…の類の動きは、赤ん坊でも反応します。そうした勘は、とっさの時に命を救うこともありますし、危険を回避することに繋がります。

パソコン操作にも「勘」が大切だと私は思っています。1から10まで学ばないと、次が踏み出せないという方も少なくは無いのですが、ゲーム機を持った子どものように、感覚で触ってしまう事は大変強いものです。ただ残念なことに「パソコンの勘」は生まれながらにしては持ちません。それは後天的に自ら作らなければなりません。

人間はどう生きるのか…とか、あるいはどのように死んでいくのか…とか、何が正しくて、何が間違っているのか。そういった事、つまり生きていく上で自分の尺度となるべきものは、おそらく生まれながらにしては持ち合わせていません。それは後天的に学ばなければならない事なのです。

宗教を持つ国は、その尺度の基本を宗教に求めることができます。ですが日本はおそらく無宗教の国です。季節の諸行事には神道が色濃く入り込んでいますが、クリスマスを祝い、教会で結婚式を挙げて、お葬式を仏教で行う、とんでもない国です。かつて日本の国には中国から儒教が伝わり、様々に形を変えながら、それは宗教というより「学問」として浸透していきました。明治になって儒教的な道徳教育が規制されるようになって以来、日本は生きる指針を失ったと言えるのかもしれません。

現代では代わって「道徳」という時間が設けられていますが、それらは人の生きる尺度を作るほどに機能していません。教える内容に深みそのものが足りない気がしてしまいます。「いじめはいけない」とか「命を大切に」と教える事は大切です。が、そうした授業を通して「命の大切さが良く分かりました」「自分と共に相手も大切にしようと思いました」などと感想を書く子どもたちは、おそらく教わらなくても「善悪の絶対音感」を既に備えている子ども達です。本当に暗黒の中にいる生徒は、一層の疎外感を募らせているだけに過ぎないのではないかという懸念がぬぐえません。子どもは大人が思う以上に賢いものです。感想をどう述べれば、大人が納得するか百も承知しています。感想文を出させて効果があったなどと総括するのはとんでもない勘違いのような気がします。

宗教に代わるもの、儒教に代わるもの。人生の何たるかを自分の根っこに問いかけるものが必要です。スマホの画面に並ぶ文字やスタンプからは人生は学べません。

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図形を配置した1ページ目に続く、新規の2ページ目を作りたい

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