評論家の西部邁氏が、多摩川で自殺したのは今年の1月21日。現場には遺書が残されていて、警察は自殺だと判断しました。その後、いくつか不審な点があるとして捜査が続けられていたようなのですが、西部氏が出演していた番組担当ディレクターら2人が自殺幇助の疑いで逮捕され、2人とも容疑を認めていると言います。氏は手が不自由だったのですが、多摩川の流れで体が流されないよう、工事用のハーネスを身に着け、近くの木にロープで結びつけられていました。
西部氏は東京大学在学当時、教養学部自治会委員長を務め、全学連中央執行委員となって60年安保闘争をリードする立場にありました。その後、連合赤軍などの事件を目にし、過激派と呼ばれた自分たちの活動に足りなかったものを知り、自省することになります。学生運動は確かに度を過ぎて過激だった部分も多く、本来の純粋な思いが一種極端に走ったところがあります。が、西部氏のその後を見ても、過激派と決別し、保守主義者になって猶、日本を覆う欺瞞と偽善に戦いを挑むような生き方を選ぶ、非常に純粋な思いがその根底にあったことが分かります。極端はともかく、私利私欲に走りがちな今の世相とは逆に、身を捨てて世の中を憂う人でありました。
その純粋な想いを突き詰めていったとき、氏にとって「死は大きな問題ではなくなった」のだそうです。氏は「安楽死」とか「尊厳死」といった言葉を、人間礼賛の成れの果ての表現として嫌ったと言われています。「単純死としての自殺が理想の死に方だ」として「自裁」の道を選んだようです。
法律論、道徳論を持ち出すまでもなく、自殺は「殺人」の一つで、認められてはならない行為です。人は自由意思で生まれる事も、自由意思で死ぬことも許されてはいない存在です。…が、さまざまな現実に負けて死に逃げる自殺と、西部氏の「自裁」との間には大きな差があるのは確かです。友だちや先生から執拗な「いじめ」を受けたと簡単に死を選ぶ若者や、将来を苦に現実から逃げる人たちと、西部氏を一線に論じてはならないとも思います。まして自殺願望を持つ人間を9人も殺した「座間9遺体事件」のような猟奇殺人と、今回逮捕された知人2人を、ある意味同等に裁かねばならない法律は、実は哲学的に底が浅いのかも知れません。
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西部氏は東京大学在学当時、教養学部自治会委員長を務め、全学連中央執行委員となって60年安保闘争をリードする立場にありました。その後、連合赤軍などの事件を目にし、過激派と呼ばれた自分たちの活動に足りなかったものを知り、自省することになります。学生運動は確かに度を過ぎて過激だった部分も多く、本来の純粋な思いが一種極端に走ったところがあります。が、西部氏のその後を見ても、過激派と決別し、保守主義者になって猶、日本を覆う欺瞞と偽善に戦いを挑むような生き方を選ぶ、非常に純粋な思いがその根底にあったことが分かります。極端はともかく、私利私欲に走りがちな今の世相とは逆に、身を捨てて世の中を憂う人でありました。
その純粋な想いを突き詰めていったとき、氏にとって「死は大きな問題ではなくなった」のだそうです。氏は「安楽死」とか「尊厳死」といった言葉を、人間礼賛の成れの果ての表現として嫌ったと言われています。「単純死としての自殺が理想の死に方だ」として「自裁」の道を選んだようです。
法律論、道徳論を持ち出すまでもなく、自殺は「殺人」の一つで、認められてはならない行為です。人は自由意思で生まれる事も、自由意思で死ぬことも許されてはいない存在です。…が、さまざまな現実に負けて死に逃げる自殺と、西部氏の「自裁」との間には大きな差があるのは確かです。友だちや先生から執拗な「いじめ」を受けたと簡単に死を選ぶ若者や、将来を苦に現実から逃げる人たちと、西部氏を一線に論じてはならないとも思います。まして自殺願望を持つ人間を9人も殺した「座間9遺体事件」のような猟奇殺人と、今回逮捕された知人2人を、ある意味同等に裁かねばならない法律は、実は哲学的に底が浅いのかも知れません。
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