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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

パラリンピック

2016年09月14日 | 雑談
リオ・オリンピックの熱も冷めないまま、パラリンピックに突入しています。18日が閉会式ですから、会期も2/3を過ぎたところでしょうか。日本は金メダル10個を目標に戦っていますが、今のところ銀メダルが4個、銅メダルが7個、残念ながら金メダルにはまだ手は届いていません。

「パラリンピック」という言葉はよく知られてはいますが、その実情はあまり知られてはいないように思います。体に障害を持つという不運にも関わらず、人生を雄々しく生きて、限界への挑戦を諦めない素晴らしいアスリートたちの祭典。メディアもそんなスタンスで、例によって例の如く何とか「感動話」に仕立てようとしてはいますが、実のところ、その細かいクラス分けやルールなど、私たちはあまり知っていません。

各競技に種目があるだけでなく、障害の種類や状況の違いを考慮した「クラス」に分けられているため、レース数がとても多いようです。障害の程度による力量差があっては公平ではないという理由から、ハンディが同程度の選手同士が競うよう、考慮されています。熟慮の末に設けられたクラス分けではありますが、完全に公平にすること自体に無理があると言わざるを得ません(障害の程度は、人によって当然差がありますから)。

暴論と言われればそれまでですが、パラリンピックがオリンピックと分けた別の大会になっている事自体、考えれば意味があるのか分からなくなってきませんか。両足義足の南アのスプリンターが、健常者の大会にも出場して優秀な成績を上げているのはご存知かと思います。障害を補う補助具は、運動能力を補う事も、実は可能なはずです。いっそ、細かいルールはすべて止めにして、「なんでもあり」で障害者・健常者を分け隔てず、競う大会を目指すのも一理あるかもしれません。

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運転士

2016年09月13日 | 命の生き方
8月の半ば頃、JR東日本の運転士が、通勤快速運転中に、複数回あぐらをかいていたと、ニュースになっています。9月に入ってから、JR東海では運転士が運転台に足を上げたまま、新幹線を運転していたというのも既に報道済み。申し訳ないけれど、こうしたニュースを見ると、ある程度の人数の運転士が、不適切な姿勢で列車を運転している可能性があるように思えて来ます。

新幹線などの電車の運転席…というのは、当然ながら知りません。子どものころは良く、運転席の後ろの窓から運転中の様子を眺めていた記憶がありますが、その頃から比べれば、おそらく技術は飛躍的に進歩しているはずです。新幹線などは旅客機のコックピットを想像したりもします。つまり、殆ど自動で運転できるようになっているのだと思うのです。まして二本のレールの上に車体が乗っているわけですから、レールなりに沿って行けば目的地までたどり着いてしまうはずです。運転士というのは、基本的に万一の対応の為に乗車している…かとは思われます。

但し、その「万一」がいつ、訪れるか分かるわけもありませんから、運転士は常に「万一」に備えてスタンバイをしていなければならないはずなのです。ですから両足を上げてしまったり、胡坐をかいていたりすると、とっさの対応に遅れが生じます。0.1秒が生死を分ける場合もあるかと思うと、JRが厳しい処分を科すのが当然かと思われます。

が、結局はなぜそのような事態に至ったか…というと。彼らはあまりにも日常的にその場におり、事故に遭遇する率が殆ど無いことを経験として知っているために、仕事場であるはずが、まるで私的な空間のようにリラックスしてしまった、運転士の慢心でしょう。それは当然厳しく非難されるべき事なのですが、今回の運転士に限らず、私たちは公道を歩きながら(公の場にいながら)そこがまるで自室かのように振る舞うようになっているような気がしてなりません。電車やバスの中は、公の場です。公道です。にもかかわらず、イヤホンを通して好きな音楽をガンガン流し、他人とは目を合わせず、SNSの情報をチェックしたり、動画を見たり、ゲームに興じたり…それは多分、自室です。公の場にあるべく、姿勢を正し、他者の目を(良い意味で)意識した振る舞いを、今一度思い出すのも良いかも知れません。

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長靴

2016年09月12日 | 雑談
務台俊介政務官が、台風10号の被災地岩手県を視察した際、長靴を用意しておいらず、職員におんぶされて水たまりを渡った…と、ニュースが報じています。官房長官までが「配慮に欠ける」と表明しており、与野党国対委員長会談でも苦言が相次いでいます。

確かに、災害の現場に視察に行くには、軽装過ぎて、準備不足は否めません。が、これってニュースで報じるような事なのでしょうか。まぁ、「おんぶ」というのが正直違和感があって、せめて靴のままで濡れる事を厭わず視察を続けた方が、スマートだったかとは思います。

官房長官が記者会見でわざわざ述べたり、「政治家に対する不信感につながる」ような大層な話で、経緯説明を求めるような事でしょうか。形だけ行くのであれば、現場に余分な手間暇をかけさせるだけですから、止めた方がよいとは思いますが、視察自体に意味があるのであれば、長靴云々はあまりにも低次元。忘れたのであれば、周囲が用意をすれば良いことだったりもします。言いようによれば、取るものも取りあえず、現場に向かった…ということですから。

何か、事がある度に、つまらない些細な事まで逐一記事ネタにするのは、政治記者としてのプライドが欠けていたりしませんか。

1本100万円

2016年09月10日 | 社会派らぼ
薬価が恐ろしく高いものが出て来ています。新しい抗がん剤が承認されて来ています。病気の発症に関わる特定の分子を狙い撃ちにする「分子標的治療薬」や、免疫系に働きかける「抗体医薬」は、従来からのものとは作用機序が異なっており、業界でも注目を浴びているのだそうです。

効果の高い薬の登場は、医療現場には朗報で、たくさんの患者が救われて欲しいと思います。但し、手放しで喜ぶわけにいかないのが、これらの薬の価格です。1ヶ月で300万円にも達するほどの値段がついているのです。但し、高額療養費制度がありますので、自己負担は抑えられています。その方の収入によって負担額は異なっているようですが、ざっくり月10万円程度といったところでしょうか。高いには違いありませんが、支払えなくもない額かもしれません。生活保護制度の受給者であれば、支払額はゼロになります。

が、多くのがん患者がこのような選択をし始めると、国の医療保険財政が破綻します。現行の保険制度では、最終的に国がお金を支払ってくれるはずではありますが、それ以前に各病院はその薬を購入しなければなりませんから、多額の資金が必要になります。今、現在でも国からの補てんは遅れがちなわけですから、これだけ多額のお金がスムーズに還元するとはなかなか考えづらいものがあります。

数年前、新しい抗がん剤がリリースされたにもかかわらず、やはりあまりにも高くて、米国の著名な医師が「高すぎて使わない」と公表した途端、薬価が半分になった事があったとか。薬の価格は、開発に費やした多くの費用と時間から換算されています。多額の開発費をかけて、やっと認可までこぎつけた薬なのに、今では特許が切れた途端、「ジェネリック」なるものに、その座を追われる立場にあります。医療費コストを下げるため、国が率先して取っている方針です。純製薬は作り続けたくても、作り続けられないようなシステムになっています。ならば、特許期間内に、すべての金額を回収しておかなければなりません。薬価が高くなってくる原因は、そんなところにも潜んでいるのではないでしょうか。

日本が世界に誇る、国民皆保険。私たちは、その素晴らしい恩恵にあずかっているのですが、保険医療の現状と薬品会社のジレンマをもっと理解するべきだと思います。もし、世界中が欲しがる薬が開発できれば、日本経済の屋台骨を背負える市場になることもあながち夢ではありません。医療行政が多分、後手に回りすぎなのではないでしょうか。

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うっぷん晴らし

2016年09月09日 | 社会派らぼ
テレビドラマなどでは、「脅迫電話」がかかったり、「脅迫状」が送りつけられたり…などという想定で物語がスタートすることがよくあります。最近は、電話に加えて、SNSなどへの書き込みといった形の「脅迫」パターンも増え、「悪質ないたずら」と位置付けられるような脅迫は無くなりません。。

8月末には、長浜市役所に「昼の12時に爆破する」といった電話が入っています。一旦職員や来庁者は非難し、捜索しましたが不審物は発見されませんでした。昨年10月にも同様の騒ぎがあったと言います。っ数日前には、ツイッターに「某高校で先生と生徒を殺す」などといった書き込みをした15歳女子が書類送検されました。ネットでは、類似事件がどんどん引っかかってきます。高校に「爆弾を仕掛けた」と嘘の110番電話を入れたのは高校1年生。原爆の日の爆破予告はメールで送りつけられました。

大半は「嘘ではないか」と思いながらも、万一に備えて、日常を中断せざるを得ません。犯人は皆に紛れて、その様子を「楽しんで」いるのでしょうか。犯人は逮捕されてみれば、「うっぷん晴らし」とか「学校に不満があった」とか、稚拙な動機を口にしているようです。50件以上もの爆破予告を様々な自治体へ送り続け、挙句に自ら出頭するものの逮捕されず、メディアに申し入れて雑誌にインタビューが掲載され、それでも逮捕されないので予告メールをばらまきやっと「念願の」逮捕された20歳もいました。

かつて日本が貧しかった頃、人々は懸命に働いてきました。働けば当然の見返りがありましたから、仕事を一義として考える人がほとんどでした。大多数に「中流階級意識」があり、特別豊かではないにしても、そこそこの生活水準を保つことができた時代だったように思います。時代が不景気になり、成長率が止まり、経済不振の時代がそれに続きます。これによって、リストラと称して生活基盤を失う人や、失業者が増え、同時に企業は正規雇用をしなくなりましたから、多くの低所得者が生まれました。と共に、仕事が第一義の人が減ってきました。勿論、一部の人たちは変わらずがむしゃらに働いています。所得の意味でも働く意欲の意味でも、現代は大きく二極化してしまった感があります。

20歳や15歳が、どれほどその時代のアンニュイを感じているかはわかりません。ただ、目をキラキラさせてがむしゃらに「生きた」時代が、今は止まっています。稚拙なうっぷん晴らしを繰り返さざるを得ない幼稚な若者たちに、大きな夢を見させて欲しいと思います。

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ものづくり

2016年09月08日 | 社会派らぼ
新聞の広告欄で、週刊誌の挑発的な記事を見かけました。「飲んではいけないジェネリック医薬品」と題した記事です。「同じ成分でも効き目が違うのはなぜか?」「ハエだらけの工場での製剤や下水道の油使用も」などとする副題も目を引くように配置されています。週刊誌をわざわざ買って読もうとも思いません。想像するには、ジェネリック医薬品は、同じ薬効のものが安い…とされているけれど、効果は同じではく、非衛生的な環境で作られているため安心できないといった内容のようです。

週刊誌の記事…と言うのは、基本「ある事、ない事」を書き立てる、程度のものだという色眼鏡があります。ですから、記事の内容の全てを信じるわけでもなく、単なる暇つぶし程度の認識でしかありません。(←週刊誌業界からは、バッシングでしょうか。。。。)それでも、逆を言えば「火の無いところに煙は立たない」と言いますか、まんざらすべてが絵空事の根拠のない話でもないという風にも思います。

この記事の内容を、云々する気は全くありません。当ブログでも、多分、何回か口走っているのですが、私は元々、「ジェネリック」というシステムそのものに、懐疑的なのです。薬品会社が精魂を傾けて、薬効の高い、副作用の低い、良い薬を開発します。臨床実験など、膨大な月日と手間暇、更にはコストがかかります。薬品会社の開発に伴った出費を補い、社員の給料をねん出し、更には次の医薬品を開発していくに足りる経費を、収益として上げるためには、それ相応の値段が付くことは已むを得ない事だと考えています。その薬が、何年か経って、特許が切れたら、その特許に群がる(…)ゾロメーカー有利の政策のように見えてしまいます。多少、お金は高くても、純正品を買いたいという患者もたくさんいるはずです。より良い環境で丁寧に作られた薬を望む人たちです。少なくとも、元の会社が純正品の薬を作り続けることができる環境が維持されると良いのにと思って、ジェネリック政策を斜めに見ています。

「ジェネリックと言おう!」のようなキャンペーンが繰り広げられていた…と認識しているのですが、どうも最近は逆のようです。先日医院から処方された処方箋を持って薬局に出向いたら、「同じ薬効のジェネリックで出しております」と言われました。元々、上述のようにジェネリック政策そのものに、反発を感じていますから、わざわざ「ジェネリックはお断りします。」と言ってしまいました。今は「ジェネリックは要らない!」と言わなければならない時代のようです。有効成分が同じなら、患者が薬剤師と相談しながら決めても良いという「一般名処方」が導入されており、医師が指定した薬の中でジェネリックに変更できない医薬品だけに印をつけるというシステムになっているようです。

今では、純正品の薬でさえ、外国環境でしか生産できないようになりつつあります。本当言えば、これも私的には「?」と思っています。食料品も医薬品も、外国で生産した方が、コストが少なく安価に出来上がる時代です。自国で労力をかける必要もありません。「買ったらいい」という発想ですが、やはり、自国内での生産はとても大切な事だと私は思います。ものが作れなくなったら、国の力は残念ながら陰ります。「ものづくり」は健全に維持されなければならないのではないでしょうか。

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縦書き文書に挿入した表は、実は横書き対応になっています

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平等

2016年09月07日 | 命の生き方
半年以上外出しない「引きこもり」が、全国に推計54万人いると発表されました。「54万人」の数値にチョット驚きましたが、前回2010年の調査の推計69万6千人に比べると、「減少」した事になります。年齢別の人口は、各年齢によって差があるのでしょうけれど、100万~200万人といったところでしょうか。日本全国で同い年の人が100万人いるのだとしたら、54万人というのはそのおよそ半数。やはり、トテモ大きい数に違いありません。

しかも、この調査は15~39歳という年齢枠での調査です。前回調査時の35~39歳の「引きこもり」達は、そこから5年経過して、今回の調査枠内には入っていない事になります。年齢幅を広げると、もっと居る…ということですが、統計数が増えるよりは減った方が安心ではあります。引きこもり期間については「7年以上」という人たちが倍増。長期化が目立っているという報告になっているようです。「引きこもり」はなぜ起きるのでしょう。それもこれだけ、大量に。単純に理由が説明できるほど、事は簡単ではなく、大きな社会問題として、克服すべき課題です。

「自分らしさ」が殊の外、強調されるのが今の世の中です。子どもたちは、「頑張れば夢は叶う」と教えられます。「失敗しても、失敗しても、諦めなかった人だけが、栄冠を手にすることが許される」と学びます。特に今回のようにオリンピックや大きな大会などで優秀な成績を収めたヒーローが生まれる度に、マスコミが書き立てる美談を読んで涙する人たちがたくさん出てきます。その中のほんの一握りの恵まれた「天才」だけが、更に次のヒーロー台に立ちますが、その陰に、その10倍、いえ100倍の人が、夢破れて散らなくてはならないのです。が、やはりここでも「最後まで諦めない」不屈の精神を持つ人たちが居て、やがて「理想の自分」と「現実の自分」との間で答えの出ない葛藤から、諦める潮時を失っていきます。

「オリンピックで金メダルを取る」とか「ノーベル賞を受賞する」と言った、だれもが分かるとてつもない目標の場合はまだしも。現実の「ほんの僅かな日常の壁」にはじかれて、それでも「理想の自分」に挑む事が諦められずにいると、理由もなく社会に背を向けてしまうことも起きるのかもしれません。

人は生まれながらにして「平等」であって、だれもが頑張りさえすれば、どんな困難にも打ち克つことができると信じ込むのは、少し違っている気がしています。人は「命」という意味では平等でなければなりませんが、与えられる「能力」も「容姿」も「環境」も「運」も、すべてが「同じ」ではありません。平等に、「幸せ」になる事は可能なのですが、その「幸せ」の形は異なっているのだと思います。

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「○日間暗号化されていません」という表示が出る

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暴言

2016年09月06日 | 命の生き方
ASEANの一連の首脳会議が6日から3日間の日程で、ラオスの首都ビエンチャンで始まりました。日本やアメリカ、中国なども参加し、南シナ海での緊張などをめぐる様々な駆け引きが渦巻いているかに思われます。

そんな中、予定されていた米大統領とフィリピン大統領の会談が取りやめになったと発表されました。報道によると(と言うか、私たちは報道される事しか、見えません)、フィリピン大統領が、麻薬犯罪撲滅を理由に1000人以上も正式裁判も経ずに殺害しているとかで、米大統領がこれに抗議をするのではないかと問われ、米国をののしる暴言を繰り返したとされています。会談中止の直接の理由は発表されていないようですが、会談の意義を確認し直すよう指示したと米大統領は述べており、理由は明白かと思われます。比大統領は、発言を後悔している…としており、後日会談が行われるよう調整が進められた模様。

強い言葉と弱い言葉があります。個性的な言葉とありきたりの言葉があります。美しい言葉とそうではない言葉があります。強い言葉を使いたくて、際立った何かが表現したくて、ツイきわどい粗野な言葉を使うことがあるのかもしれません。国と国との間になれば、更に建前も駆引きも加わりますから、下々の会話などと同様の物差しで測る事はできないだろうと想像しますが、暴言というのは、多分自分の品性を下げるだけでしかありません。人は…図星で間違いを言い当てられた時ほど、怒鳴って体面を保とうとします。弱い自分を見破られまいと必死なのでしょうけれど、怒鳴り散らす時点で間違いを認めているようなものです。

本当に強い言葉と言うのは「美しい」ハズだと思います。「正しいものは美しい」これは、私のよくわからない持論です。「正しくて」「強い」ものは「美しく」なければならないのだと、そんな風に思います。ショッキングな言葉では、人の心は操れません。

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外字が正しく印刷されない

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携帯マナー

2016年09月05日 | 社会派らぼ
昨今は携帯電話が当たり前の連絡手段になりました。若いご家庭を中心に、固定電話を設置していないお宅も珍しくはありません。個人がそれぞれに携帯電話を所有しているわけですから、加えて固定電話の料金を支払うのは無駄という判断も、当然ですが理解できます。

携帯電話の普及とともに、マナーも大切にしようという呼びかけは、常に行われてはいます。それでも、だんだんこのツールに慣れて来てしまい、ツイいい加減に使ってしまっているところがないでしょうか。

第一に、携帯電話は、携帯さえしていれば、いつでもどこでも連絡を入れることができます。…だからと言って、いつでもどこでも、連絡を入れても良いものでしょうか。逆の言い方をするなら、携帯に連絡が入ってきたからと言って、いつでもどこでも応答しても良いものでしょうか。私は違うように思います。

プライベートな時間は、いつどこで電話をとっても差支えがありません。が、他者と時間を共有している場合は、まず目の前の相手との時間を優先すべきなのではないでしょうか。会議中、訪問中、来客中、商談中、講座中…など、まず優先すべきは目の前の相手との時間です。言わば他人と約束をして共有している(してもらっている)時間の中に、プライベートな電話応対を割り込ませるというのは甚だ失礼な行為のような気がしてなりません。マナーモードなどにしておいて、後からかけ直すなりの配慮があっても良いのではないでしょうか。

対応が、1分1秒を争うケースと言うのは当然あり得るし、どこへなりと連絡が可能であることが、携帯電話の強みです。ですが、ごくごく普通の日常生活を送っている私たちに、会議や講座中1分1秒を争って連絡を取らねばならない事態がそうそう起こるわけでは無いでしょう。

逆に、公共の交通機関の中では、通話を控えるように…というアナウンスが常にされていますが、通話を禁じる根拠がどこにあるのか、不思議に思っています。勿論、ペースメーカーなど電波が悪影響を及ぼす方がおらるところ(最近の医療機器は、携帯電話程度ではさした危険があるわけではないとも、聞き及びます。)、しんと静まり返っている場所で、不容易に大声で話すことなどは控えなければなりません。…が、同乗者と小声で話す程度の通話は、何ら問題はないと思っています。

当たり前のツールになったからこそ…の、改めての当たり前のマナー。見直しても良いのかも知れません。

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