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ぱそらぼ (ぱぁと1)

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総書記死去

2011年12月19日 | 社会派らぼ
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とんでもないニュースが世界中を駆けました。新聞は上2段抜きくらいの大見出しで報じています。「北朝鮮 金総書記死去」 69歳という年齢は、今の日本ならまだまだ…お元気な年齢と思いますが、「過労のため列車で…」と報じられています。

例のしばらく姿を見せない事を取りざたされていた、彼の国の女性アナウンサーが喪服を着用し、涙ながらにニュースを伝えました。世界は、不測の事態に備え警戒感を強めています。

この女性アナウンサーがしばらく姿を見せなかった事から、実は総書記の死去は、報じられているように17日とかではなく、もしかするともっと以前だったのかも知れない。そんな風にすら勘ぐりたくなるほど、彼の国には他国の常識が通用しません。

ただ、よく思い直してみると、きっと金総書記は「教えられたように」「教えられたことにひたすら忠実に」生きたのでしょう。彼の国では、それこそが「正義」であり「絶対」だったはずですから。かつて、大規模な覇権主義を展開した国は、歴史上幾つもありましたが、心情的には、その時代を生きている国なのだろうと思われます。

だから「教育」というのは、トテモ大切で、トテモ恐ろしいものなのだと思います。洗脳というべきでしょうか。絶対的な価値観を押し付けられてしまえば、そこから逃れることはなかなか難しいのは、オウムの一連の事件で実証済みです。

中国は国境の警備を強化しているようですし、韓国の株価は暴落しているといいます。また東海岸から沖合に向けて短距離ミサイルが試射されたとのニュースもあります。ある意味で、世界を動かす人だったことは確かなのかも知れません。

願わくば、世界が平和裡に、次のステップを開く知恵を持ちますように。世の中を憂うる才多き人材が、この時代にも多く排出しますように。


らぼ流 グラフ作成のコツ

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手記

2011年12月18日 | 社会派らぼ
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元大阪地検特捜部長である大坪弘道氏が、本を出版したそうです。題して「交流百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか」。文芸春秋からの発売で、新聞には大きな広告が打たれました。衝撃の獄中手記とあります。売れるでしょう。

言わずとも知れた、あの事件です。障害者のための郵便割引制度をめぐる事件で、虚偽有印公文書作成などの罪に問われた厚労省村木局長の事件の証拠改ざんに関わったというものです。当事者の前田元検事は既に裁判が終了し、現在受刑中の身ですが、一部始終を知っていて隠避をした…というものです。

現在まだ裁判中であり、論告求刑が行われたところで、来週にも最終弁論が行われ、結審する見通しだと言われています。起訴したのは最高検察庁ですが、起訴先は大阪地検ですから、これから三審制に従って、裁判はまだ続くと思われます。

そこでの書籍出版です。以前、外国人英語教師を殺害したとして逮捕された市橋容疑者が手記を出版したのは記憶に新しいところです。幻冬舎の出した「逮捕されるまで 空白の2年7ヵ月の記録」という本は、発売と同時に売れ行きも好調らしく、印税を被害者の遺族に渡すとか何とか。利益を得るためには、出版社は何でもするのだ…と感じたものです。

この市橋容疑者と比較するのは、大坪氏に対して大変失礼であることは充分承知しています。罪の質が違います。大坪氏は大坪氏なりに、懸命に生きて来てのこの事件、言いたい事も、聞いて欲しい事も、キット山とおありだろうと想像します。それに、未だ裁判が確定していない以上、あくまで容疑者であって、有罪・無罪はこれから定まるわけですから、このような出版も可能でしょうし、第一、獄中からでも手記を出すことはできるようですから、キットこれは彼らの当然の権利です。それでも星の数ほどもある裁判の容疑者が等しく、手記を出版する機会に恵まれるわけではありませんから、偏に出版社の思惑一つで、ある意味主張が出来る人とできない人がいる…ことも、何だか少し気になりました。

いずれにしても、どちらの本も、読むことは多分ないと思います。


イースター・エッグって何ですか?

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「晴」化

2011年12月17日 | 命の生き方
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12月も半ばとなりました。毎年の事ではありますが、何かと気忙しい季節にも関わらず、殆ど暮れらしい事もできていない日々です。まだ年末にかけて講座や検定の予定がありますので、それが終わってから…などと、言い訳をしている始末です。

そうは言いながらも、この頃はお正月と言っても、店も開いていますから買い物にも困りません。どこの店もシャッターを閉めて、お正月休みの張り紙をし、門松など飾って正月を迎えたのは、もう随分前の話なのです。

ある方が、この頃は「暮れ」だの「お正月」だの言っても、殆どと平時と変わること無く過ごす人が多いと言われました。そうだと思います。「おめでとう」のあいさつもしますし、「年賀状」も投函し、注文した「お節」にも箸をつけたりしますが、新たな年が明けたのだとする緊張感や特別な想いというものは影をひそめてしまいました。年末の大掃除なども、生活が様式化し、今さら畳を上げて…といった、大層な大掃除はしなくなりました。

日本には昔から「晴」と「褻」という、伝統的な世界観がありました。が、生活が豊かになり、毎日が「晴」化してきたために、「褻」と呼ばれた世界観が無くなりつつあります。それは、時代の流れだから仕方のない事なのでしょうか。前述の方は、だから「善」と「悪」の明確な区別すら無くなりつつある…と言う風に嘆かれました。確かに短絡し過ぎと言えばそうなのかも知れませんが、生活自体、生き方自体にアクセントが無くなり、ただ流れる時間の中に身を委ねて生きることで、気概を失いつつあるのは確かかも知れません。

特別に力まず、平穏に平坦にあることを「自然体」と呼んで、歓迎される生き方のように言われます。が、大きな起伏のある日常の中で、平坦であることを保つことは意味のある事なのでしょうけれど、(他人を経由した疑似体験でなく)自らの渾身の想いを託す事の少なくなった時代は、ヤハリ「美しい」時代ではないような気がします。



ソフトをアンインストールしてあるのに、シリアルナンバーを新たに入れられません

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コンビニ

2011年12月16日 | 雑談
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滋賀県愛荘町と奈良県生駒市では、来年1月11日から戸籍謄本をコンビニで受け取ることができるようになるそうです。具体的には、住民基本台帳カードを持っている人に限られるようですが、セブンイレブンのマルチコピー機に住基カードをかざして利用することができるらしいです。セブンイレブンでは、既に42自治体の住民票の写しなどが受け取れるサービスを実施していると言います。

コンビニと言えば、他にも会社はありますから、なぜセブンイレブンだけなのだろう…というのは率直な疑問です。もしかすると、そのうちに、全自治体の住民票や戸籍謄本などの書類が、各コンビニで受け取れるようなシステムになるかも知れません。そうなると、今わざわざ市役所や公民館に出向いて、申請用紙に書き込んでから、発行まで時間を待って受け取っている書類が、とても手軽に手に入るようになりますから、わざわざ市役所の市民課へ出向く人もなくなるかも知れません。

手軽で便利だと思います。書籍をネット購入などした際には、大抵「コンビニ受取」を選択します。家まで届けてもらうのは良いのですが、在宅していないと受け取ることができなかったりしますので、一番手軽です。一方で、そうなって行った時に、果たしてそれらの書類に今まで通りの重みを持たせておくことができるのか?少し心配になります。多分、このシステムでは、偽造などいう行為が(今でも頻発しているのでしょうけれど)、いとも手軽にできてしまうような気がするのです。新たな本人であることの認証方法が議論されなければならないような気がします。

同時に、コンビニという場所が、これからより一層地域の核となる可能性を強く感じます。配達サービスも既に一部では始まっているようです。これからは、地域のコンビニに住民登録をするといったシステムも、あながち漫画だとは言えないかも知れません。店舗の周辺地域の住民が、それぞれのコンビニに籍(?)を置き、例えば新聞配達も郵便物の配送も配食サービスのような事も、全てを一手にコンビニが担当する時代が来ても不思議ではないような気がします。


タスクバーに曜日が表示されて元の幅に戻りません

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2011年12月15日 | 命の生き方
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先日、毎年の年の瀬恒例になっていました「今年の漢字」が発表されました。大方の予測通り、今年は「絆」が選ばれました。震災や雨の被害がひどく、互いに助け合って、この危機を乗り越えようとする、人々の「意思」を表現したものです。

自然の猛威の前で、人は無力です。為す術も無く、家を、生活を、命を奪われて、尚恐怖に震えながら、肩を寄せ合うしか仕方のない存在です。ですが、一人では立ち上がれない者も、手を取り合い肩を組めば、小さな一歩を前に進める勇気が持てるような気がします。世界中から差し伸べられた暖かい手に感謝しながら、家族や地域のつながりを強く胸に刻み込んだ人が多くいました。

世相を反映する「今年の漢字」は、阪神・淡路大震災の年の「震」にスタートし、以来「倒」だの「毒」だの「災」だの…イメージの暗い漢字が目立ちます。「愛」とか「命」とか、明るいイメージの漢字の年ですら、「愛が無い」「命の不安」といった理由で選ばれたりしていましたから、なかなか振り返って良い年だったという事が少なくなっているのでしょうか。今年の「絆」も、痛ましい大惨事を経ての「絆」ですから、良い年とは言えなかったのでしょうけれど、「絆」の言葉には、何やらそこから立ち上がろうとするエネルギーを感じます。

ただ一方で、「絆」と言う言葉がもたらす、人間としての心のありようを深く揺さぶられるような力ばかりが独り歩きをし始めると、現実的で政治的で社会的な営みが迅速に機能する速度を落とすような気もしてきます。私は、人の営みには「精神力」が、非常に大きな部分を占めていると思っていますが、時折その「精神力」を勘違いしてしまう危ういケースにも行き当たります。手を取り合って、国難を乗り切ろうという掛け声だけに酔って、真に自分のすべき事を見失わないようにしたいと思います。


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英雄

2011年12月14日 | 雑談
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野球ファンならずとも、どうにも興ざめなのが、最近の読売巨人軍の内紛。コーチ人事をめぐって、グループの会長と元球団代表(解任されましたから)が、訴訟沙汰の泥試合を起こしています。どうやら会社としては、会長側に立っているようで、元球団代表の清武氏と、巨人と読売新聞グループとの争いになっているようです。

定まっていたコーチ人事を、会長である渡辺氏が、鶴の一声で覆したというものです。大体、マスコミと言うのは、無責任で思慮分別に欠けるところがあるのですが、当初は清武氏の義憤に同情的だったものの、総じて球団弁護に回ろうとしているようです。それは、ものの道理や真実とは別個のところにあるような気がします。

今回の事態には、多分多くの人達が「さもありなん」と考えているようです。つまり、ワンマンである会長は、愛すべき方ではあるようなのですが、「自分こそがルールだ」的な横暴があるのは、恐らく事実なのだろうと。但し、だからと言って、それを公の場に引きずり出した清武氏に勝ち目があるわけでもなかろう…と。

野球の諸事情に詳しくない門外漢が、この問題に口をはさむことは控えておこうと思います。ですが、随所で旧い慣例を破ろうと身悶えする者は、常にその命を賭して勇気を奮い起こして行動に出はするものの、大半が旧態依然とする大きな壁に立ちはだかれて、陽の目を見ることなく終わることが多いように思います。そして、その訴えようとした事が、あたかも内部から芽吹いて来た事であるかのように、手柄をすり替えられて、ほんの少しその歴史が前に進みます。公平な目で見れば、最初に訴えた者に功績があるはずなのですが、大半がすり替えられた筋書きを信じてしまいます。言い換えれば、それだけの憂き目を覚悟で一石を投じる人こそが、英雄なのかも知れません。


ワードファイル内の画像をファイルで取り出す

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検出

2011年12月13日 | 社会派らぼ
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東京・杉並の小学校校庭に敷いてあった芝生の養生シートから、高濃度の放射性セシウムが検出されたそうで、近く焼却処分されるそうです。ニュースはそれだけしか報じていませんので、詳しいことは分かりませんが、何故東京の杉並でそんな高濃度の放射性物質が検出されるか、検証する必要がありはしないのでしょうか。

震災時の原発事故に端を発し、被災地ではない原子力発電まで稼働できない状況が続いていますが、それ自身には賛成しかねる部分があります。原子力発電の安全が保証できない以上、原子力発電を容認できないとする見識は高く買いますが、だから今全てをストップせよという議論は、いささか乱暴です。すぐにでも「脱・原発」を宣言するくらいの気概があって欲しいとは思うものの、それは例えば10年先、5年先を見据えて、そこまでに撤廃するといった議論であるべきだと、私自身は考えています。

起こってしまったものは仕方がありません。今さら、福島原発の事故以前に戻せということは、叶いません。ですから、起きてしまったことに対しては、もっときちんとした対処が必要だと思います。先日、福島の子ども達を守るための15万人の署名活動が行われましたが、東京でもこのような高濃度の放射性物質が検出されてしまう今の現状を、政府自身は「無視」しようとしている気がしてなりません。

風評を広げようと言うのではありません。イタズラに恐怖心を煽りたいとも思いません。ですが、杉並の養生シートはいつからそこにあったのか、その汚染源はどこなのか。空中を飛散して来たものだとするなら、もっと広い範囲での徹底的な計量が必要になるような気がします。一斉に徹底的に調べて、出来る可能性のある除染作業を行うことは、自治体の責務です。

東芝が、広範囲の放射線量を測定し、その高低をパソコン画面に色分けして表示できる装置を開発したと発表しています。苦境にあればこその、更なる技術開発や、対処法の研究進展もあるかと思います。色も無く、臭いも無いものですから、黙っていれば、そのうち人は忘れるとでも思っているとしたら、少し納得がいきません。


パソコンに入れたスキャナ、無くなったりしますか

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2011年12月12日 | ぱそこん道
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何でも同じだと思うのですが、パソコンにはその人の人柄が現れます。例えば、食事の仕方とか、人との話し方などを挙げれば、人となりがそこに現れるというのも、大半の方がうなずいて下さる事なのでしょうが、パソコンとなると…。きっと「?」と思われる方が大半かも知れませんね。

それでも、本当にパソコンをしていると、「人」が分かります。私は「パソコン道」という言葉さえ使いたいと常々思っています。パソコンと言うのは、その機能さえ広く多く知れば、それで達者に使えるようになるものではありません。時折、講座は何でも出ておいた方が得、と考えて下さる方がいらっしゃって、説得に困ります(笑)。知識に貪欲になってくださるのは、ある意味嬉しいのですが、それでは習得する意味がありません。

本物の技能を手にする…ということは、ヤハリ正しい知識を正しく積み上げて行く必要があります。土台をキチンとしておかないと、その上に構築するものが砂上の楼閣になってしまいます。


旧バージョンの印刷プレビューが出したい

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余裕

2011年12月11日 | 命の生き方
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人として、どうありたいか。それはキット、日々出会う多くの方を見ることで、こんな風になりたいとか、こんな風にはなりたくないとか、そんな経験を重ねることで、いつしか自分の内に創り上げる理想なのかも知れません。

控えめだけれど、仕事は丁寧で確実。状況を考えて適切な対処ができる人。そんな仕事の仕方を重ねたい…とは思っているのですが、実際には「あれ、今どこに置いたっけ?」「確か、ここに入れたはずなのに、どこに行った?」…の繰り返し。年齢のせいにはしたくないのですが、複数の事を同時に考えて進行させるのは、いつまでも苦手です。

力は抜群に持っているのに、誇らしげなところを感じない人。かと言って、謙虚も度が過ぎると、ある人に言わせると「かえって嫌味」。難しいところです。力は誇示せずとも、見る人には必ず伝わります。自分の力をのびやかに発揮している人は素敵です。力が一杯いっぱいだと、人生余裕がなくなりますが、力に余裕があると、心の余裕・人間の余裕につながります。見ているこちらをしんどくさせないスマートさ。英語でsmartというのは、「賢い」「利口な」といった意味合いがあります。

自分の土俵の中しか理解できない人には、なりたくありません。自分なりの自負は持っていて良いと思いますが、土俵の外にもっと広い世界が広がっていることが、理解できなければ、人間としての品格を落とすことに繋がります。それは言い換えれば、優しさや謙虚さに通じていくことで、人としての余裕に繋がるのかも知れません。

究極に言えば、それらすべてで、「人の能力」なのでしょうか。能力を高めるという作業が、本当のところは、自分を見つめ直す作業の上に成り立っているのだと、痛感します。さぁ、今からどれほど、理想に近づけるのか心もとない限りですが…。


サブ文書を展開する

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2011年12月10日 | 雑談
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突然消えた図を戻したい

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