世の中は、より便利に! より快適に! を目指して研究が重ねられます。結果、私たちは先人の労力の数分の1で生活を送っているように思います。家電の殆どは、家事労働の軽減を目指して開発されて来ましたし、実際便利なものを使ってしまうと、以前の労力をかける事は厭わしくなってしまいます。
20年近く前の話かもしれません。冷蔵庫が故障して買い替えた時、冷凍庫の容量が大きいものをと探しました。その冷蔵庫は製氷タンクに水を入れておけば、「勝手に氷」ができる…と、販売員の説明を聞きました。当時の一般的な冷蔵庫は、まだ製氷皿に水を張って冷凍室に置き、必要な時に製氷皿から取り出して使う…といったものでした。最終的にその冷蔵庫を購入したのですが、当時は「氷なんて、取り出せばいいだけの話だから、『勝手に氷』でなくて構わない。」と思っていました。
…が、実際に使ってみると(今では当たり前の機能なのですが)、「勝手に氷」が作られていて、いつでも手軽に氷が使える…というのはトテモ便利で、逆に言うと、今冷蔵庫を買い替えるとしたら、「勝手に氷」機能は必須かと思います(笑)。ついでに言うと、この冷蔵庫、ドアに軽く手を触れるだけで、扉が開きます。「開ける」という動作が要らなくて、「触れる」だけで良いのです。こちらも説明を聞いた時は「不要」だと思いました。こちらは、次の購入時の必須条件には入れていません(笑)。でも、意外と子どもの家の台所で、冷蔵庫に「触れる」だけで扉を開こうとしている自分に気づいて苦笑します。自動ドアに慣れ過ぎて、手動のドアなのに、前で一瞬じっと止まってしまうのと同じです。「便利」に慣れすぎると、それがいつの間にか「当たり前」になって、いつしか何もしないで「じっと待つ」だけの人間に陥りそうで、正直軽くぞっとします。
朝のカーラジオで、天気予報が流れます。「洗濯指数」とか「傘指数」といった数値を発表している局があります。日中の天気や気温を予報して、この天気だと「外に洗濯物を干していても大丈夫」か、「降雨に備えて室内干しにする」かなどを、一方的に発表してくれるのです。「傘を持って外出」するのが良いか、「嵩張らない折りたたみ傘にする」か、あるいは「傘は要らない」のかまで教えてくれるのです。何気なく聞いていたのですが、フト我に返ると、なんだか違和感が否めません。傘を持って出るか否かは、空を見上げて決めることなのでは?と思いませんか。数値化して計算してみせてくれているのですが、なんだか人間の当たり前の判断力を奪うかのように思えてきたりします。便利(?)な事に慣れすぎると、当たり前のことまで、自分で判断しなくなってくるのでしょうか。
パソコンもどんどん進化して、便利になってきます。(良い事です。)パソコンに初めて触れる人でも、感覚的に使うことができる…といった事が目指されています(多分)。ですから、パソコンの事を深く知らなくても、一端の文書は作れるのですが、便利に慣れ過ぎて、パソコンを「知ろう」としなくなる…という弊害(!だと思います)が否めません。ポスター類の作成も、テンプレートのようなものは山ほどあります。チョイチョイっとダウンロードして、少し文字を取り換えたりするだけで、労せずして、そこそこのものが出来上がります。これは、キット「良い」事に他ならないのだと思います。思いますが、オリジナルデザインに込められている「想い」なるものはいつしか軽視され、その人らしさといったものが微塵も反映されていないデザインで、悦にいっている現状は、正直「良い」事なのでしょうか? そりゃあ、将棋の「次の一手」もパソコンに尋ねたくもなりますよね。
世の中が「便利」になったら、それで人は「幸せ」になるとは限らない。。。。ような気がします。
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