ゴミの分別は、厳しくすればするほど不法投棄が増えます。山は廃車や廃家電のゴミの山と化してます。自治体によって、基準がまちまちと言うのも問題の根底にはあります。隣町はゆるいのになんでウチだけなんだ、というのは当然あります。
例えば缶ですと、アルミと鉄に分け潰して出さなければならない所がある一方、アルミと鉄、缶詰の缶などの分別がいらず潰す必要もない所もあるんです。ちょっと前まで千葉県市川市は埋め立てに使うとかで、燃えるゴミと燃えないゴミの分別がありませんでした。出す側としては非常に助かりますし、理想的ですよ。
瓶に至っては、もっとコト細かです。色別の他、化粧瓶など特殊容器はまた別の日にとか。色んな容器があるから分別が必要になるので、容器を統一してリサイクルしやすくすべきというのは無理があります。それは共産主義的発想です。商品化する場合他社との差別化が第一で、共存共栄はありえません。
北秋田市では金属は月1回で、出しそびれると翌月ってことになります。なぜ、ドイツのような回収ボックス的な発想がないのでしょうか?行政主導のトップダウン的発想で、行政が管理しやすいように作っているからではないんでしょうか? ゴミ出し日を守らない人が悪いんじゃなくて、守れないルールを作っている行政に問題はないだろうか?と考えたことはありますか?
地域住民からの「ここの使い勝手が悪い」、との声に耳を傾けたことがありますか? アンケートをとっているとしても、形ばかりで本当に改善するつもりはないでしょう。国にも地方にも金がない、というのも聞き飽きました。
最近テレビで、都内の水が美味しくなったというのを見ました。素人考えですが、ミクロ単位の細菌やウィルスまで取りきれているのだろうか?という疑問はあります。また、地方においては下水道工事が進んでいて、これまた川がきれいになっているような報道もあります。
でも実態はそうじゃありません。ゴミに出しにくいものは河川へ、山へ、海へなんです。一例をあげますと、JAがマルチなどの農業資材の有償回収をしているため、河川へどんどんビニールなどが投げ込まれています。なにもJAが悪いわけではありませんので、あしからず。農業資材というのは、市町村のゴミとしては出しにくいんです。もっとも土に返る地球環境に優しい資材も出てきてはいますよ。釣り好きな同僚も嘆いていました。岸壁で長靴や網などゴミがよく釣れると。
自分さえよければいい人間がいかに多いことか。。
例えば缶ですと、アルミと鉄に分け潰して出さなければならない所がある一方、アルミと鉄、缶詰の缶などの分別がいらず潰す必要もない所もあるんです。ちょっと前まで千葉県市川市は埋め立てに使うとかで、燃えるゴミと燃えないゴミの分別がありませんでした。出す側としては非常に助かりますし、理想的ですよ。
瓶に至っては、もっとコト細かです。色別の他、化粧瓶など特殊容器はまた別の日にとか。色んな容器があるから分別が必要になるので、容器を統一してリサイクルしやすくすべきというのは無理があります。それは共産主義的発想です。商品化する場合他社との差別化が第一で、共存共栄はありえません。
北秋田市では金属は月1回で、出しそびれると翌月ってことになります。なぜ、ドイツのような回収ボックス的な発想がないのでしょうか?行政主導のトップダウン的発想で、行政が管理しやすいように作っているからではないんでしょうか? ゴミ出し日を守らない人が悪いんじゃなくて、守れないルールを作っている行政に問題はないだろうか?と考えたことはありますか?
地域住民からの「ここの使い勝手が悪い」、との声に耳を傾けたことがありますか? アンケートをとっているとしても、形ばかりで本当に改善するつもりはないでしょう。国にも地方にも金がない、というのも聞き飽きました。
最近テレビで、都内の水が美味しくなったというのを見ました。素人考えですが、ミクロ単位の細菌やウィルスまで取りきれているのだろうか?という疑問はあります。また、地方においては下水道工事が進んでいて、これまた川がきれいになっているような報道もあります。
でも実態はそうじゃありません。ゴミに出しにくいものは河川へ、山へ、海へなんです。一例をあげますと、JAがマルチなどの農業資材の有償回収をしているため、河川へどんどんビニールなどが投げ込まれています。なにもJAが悪いわけではありませんので、あしからず。農業資材というのは、市町村のゴミとしては出しにくいんです。もっとも土に返る地球環境に優しい資材も出てきてはいますよ。釣り好きな同僚も嘆いていました。岸壁で長靴や網などゴミがよく釣れると。
自分さえよければいい人間がいかに多いことか。。