2018.1
昨年12月、「平成29年度迎賓館赤坂離宮一般公開本館及び主庭参観(個人)」へ応募していました。
以前仕事で前をよく通ることがあって、一度、参観してみたいなあと思っていたのでした。
で、1月に参観してきましたよ。14時からの参観だったので、正面は逆光で残念でした。でも主庭の庭園側は、
西陽を燦々と浴び、それはそれは美しかったです。赤坂迎賓館2で投稿します。
参観料金は1000円。手荷物検査はまるで空港みたいでした。
本館内は撮影禁止。お酒飲んでたら入れませんよ。禁止事項が具体的でスゴイのでコピペします。
8.禁止事項
(1) 入場を禁止・制限する者
飲酒、薬物等により意識障害が起きていると推認される者、動物(身体障害者補助犬を除く。)を同伴する者、
危険物を携行する者、旗ざお、スーツケース等大きな荷物等で通行を妨げ、又は他に危害、迷惑等を及ぼす
おそれのある物を携行する者、その他迎賓館赤坂離宮の一般公開に支障があると認められる者
(2) 禁止行為
a 館内で携帯電話、スマートフォン、カメラ、タブレット、ペットボトル、傘(日傘を含む。)を露出させて携行すること
b 館内で携帯電話、スマートフォン、タブレット等を用いて音声発信・受信通話すること
c 館内に食糧等を持ち込むこと
d 当館が指定した場所以外での飲食(飲料、ガム・飴等含む。)をすること
e 館内の装飾品、調度品、壁面等に触れ、いたずら書きをし、又は持ち去ること
f 館内で走ったり飛び跳ね、館内交通に支障を生じさせること
g 池や噴水に硬貨等を投げ入れること
h 動植物や魚を捕獲・採取し、又は殺傷・損傷すること
i 敷地内の館所有物品等を破損・移動させ、又は土石の類を採取すること
j 敷地内で飲酒・喫煙すること及びライター等による着火・引火行為等をすること
k 敷地内で不規則かつ不用意な発言、奇声を発し、又は騒音を発生させること
l 敷地内でごみの廃棄、私物の置き去りをすること
m 敷地内でスケッチ、拡声器使用、プラカード・横断幕等の掲示等を行うこと
n 敷地内で貼り紙・ビラ類の配布,集会又は示威行為をすること
o 敷地内への自転車等での乗り入れ又は運動競技を行うこと
p 仮装や奇抜な服装、迎賓館赤坂離宮の品位を貶める風紀を乱す服装などで入場すること
q 子どもを同伴している場合、放置・放任すること
r 許可業者以外の敷地内での物の販売・頒布、募金又は業として興行を行うこと
s 係員・警衛官等の整理誘導・制止に従わず、場内(迎賓館全域)の通行の安全を妨げ、または立入を禁じた場所に立ち入ること
t 無線操縦型小型無人機(ドローン等)の持ち込み・使用
u その他迎賓館赤坂離宮内の秩序又は風紀を乱し、一般公開に支障があると認められる行為をすること
(3) その他
入場後に係員・警衛官の注意や指示に対して拒否又は不同意の意思表示をし、あるいは前項各号に該当する行為が確認された参観者及び同行者は直ちに退場していただく場合があります。
内閣府迎賓館赤坂離宮
http://www.geihinkan.go.jp/geihinkan/akasaka/koukai.html
館内は、一見、派手さはないけれどゴージャス。品の良さを感じましたねー。すごい空間でした。あまりの異空間で、
もし、誰も居なくて独りで入り込んだら、幻視を見そうですわ。ノルウェー産の大理石の円柱の模様が凄かったですねー。
館内を見学後、庭園側(主庭)を見学、その後、前庭へ周りましたが、投稿は逆に前庭から羅列していきます。
迎賓館正面門
門の内側より。
迎賓館建物前から観る正面門
迎賓館建物前から観る正面門方面
前庭では、飲み物や迎賓館参観記念オリジナルフレーム切手などを販売していました。どうやったらクルマ持ち込んで
販売できるんでしょうね。なんか警備が凄く厳しいのに何となくアンバランスなイメージを受けました。私だけ??
完全に逆光なんですよねー。残念です。
本館正面ぎりぎりまで行くことができます。
日本が独自の文化を守りながらの西洋化と富国強兵に突き進んでいた時代を象徴して、天皇を『武勲の者』という印象を
表現するために、正面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠があるなど、建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の
意匠が混じった装飾になっている。by wikipedia
衛舎・・・正門から本館へと向かう左右(東西方向)に建つ旧衛士詰所。シンメトリーで双方とも23.3×6.4m、
地上1階地下1階、寄棟造り、スレート葺き。国宝指定。
前庭の巨樹 特に看板も無く・・・しかし立派な巨木でした。
沿革
・東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。
・鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、
元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)
に建てられた。
・しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかった
ことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。
・嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。
・1924年(大正13年)、大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が
成ると、その後の数年間、赤坂離宮は裕仁親王一家の住居たる東宮御所として使用されたが、裕仁親王が天皇に即位した後
は離宮として使用されることも稀になった。
・終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、皇居を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費が
かさむとして拒否している。
・第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見
長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織
委員会(1961–65年)などに使用された。
・その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区
芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年
(昭和37年)に当時の池田勇人首相の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。
・これを受けて、池田及び池田の後継として1964年(昭和39年)に首相に就任した佐藤栄作の2代の政権下で政府部内で
検討を重ねた結果、『旧赤坂離宮を改修し、これを外国賓客に対する迎賓施設に供する』ことが、1967年(昭和42年)
に決定された。
・こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計
協力により、田中角栄政権当時の1974年(昭和49年)3月に現在の迎賓館が完成した。
・新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月に現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・
フォードだった。 過去に2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われたことが
ある。
・2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定、明治以降の文化財としては初の国宝と
なった。 2016年 (平成28年)4月から一般公開、12月にはライトアップが行われた。by wikipedia
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00312/
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00317/