~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

レッスン9 「怒り」のレッスン(3)

2012-08-21 06:17:14 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

怒りという第一ステップに留まっていてはいけません。私たちは第二ステップにま
で踏み込むことを学ばなければなりません。すなわち、自己の内面を見つめて、怒
りの背後にある恐れを探り出すステップです。具体例を見てみましょう。

・怒り・・・あなたが来なかったから起こっている。
・背後の恐れ・・・あなたに捨てられるのが怖い。

・怒り・・・君が遅刻したから起こっている。
・背後の恐れ・・・君に軽視されるのが怖い。

・怒り・・・おまえがいい仕事をしなかったから怒っている。
・背後の恐れ・・・事業収益が減って給料も払えなくなることが怖い。

・怒り・・・あなたがあんな事を言ったから怒っている。
・背後の恐れ・・・あなたが愛してくれなくなるのが怖い。

自分の恐れに直面するよりは怒り続けている方が容易なものですが、それではいつ
まで経っても背後にある問題を解決することができません。むしろ「当面の」の問
題を悪化されるのが関の山です。なぜなら、相手は怒りにはうまく応答してくれな
いからです。

たとえ根拠のある恐れを抱いている場合でも、度が過ぎた怒りはその根拠を失わせ
てしまう。例えば、遅刻ばかりする部下に文句を言い続けても状況は変わりません。
しかし、「やる仕事は沢山あるのに、それができなくなるんじゃないかと思うと怖
いんだ」と言えば、部下はあなたの怒りに傷つけられることなく、あなたの恐れに
応答してくれるでしょう。

怒りが悪いもの、間違ったものだとされている社会に住んでいる我々は、それを健
全な形で表出する方法を知りません。ただ拒絶し、蓋をし、溜め込んでいるだけで
す。ほとんどの人が怒りを内部に溜め込み、最後には爆発させてしまいます。小さ
な怒りを感じたとき、その都度口に出して「私は怒っている」という術を身につけ
ていないからです。今日怒りを感じたら、その場で「怒っている」と口に出し、明
日別のことで怒りを感じたら、またその場で怒っていると言えばいいのです。

死を間近にしたとき、人は溜め込んできた過去の怒りを一挙に爆発させることがあ
ります。もし病院に、気が済むまでそこで怒りを吐き出すことができる、専用の部
屋があったらどんなにいいでしょう。誰かに怒りをぶつければ、事態はますます悪
化していきます。怒っている人のそばにいて気分がよくなる人は誰もいないのです
から。怒っている人は、実は孤独な人なのです。

私たちは癒えるために、いろいろな感情を経験し、それに熟達するために地上に生
まれてきました。乳児や幼児はいろいろな感情を経験し、慣れていきます。泣いて
は悲しみの感情をやりすごし、怒っては怒りの感情をやり過ごします。その正直さ
において、死の床にある人たちはしばしば乳幼児だった頃のその人に似ています。
彼らはストレートに「怖い」「いやだ」と口にすることを思い出します。私たちも
彼らのように正直に自分の怒りを表現することを学ばなければなりません。怒りを
溜め込まず、やり過ごす生き方を身につけなければなりません。それは可能です。

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先の「恐れ」のレッスンでは、ほとんどの危惧や懸念は死への恐れに帰結すると学び

ました。そして「怒り」の背後には、その「恐れ」が隠されている。 上記の例を見ても、

突き詰めると、孤独に陥る不安、生活ができなくなる不安→生きていけなくなる→死

への恐れとなりそうです。

社会に対する怒りもまた、生活不安、貧富格差拡大によるものが多く、死への恐れに

帰結すると言えます。

 

という事は、死への恐れを克服することによって、爆発的な「怒り」の感情は抑えられ、

また怒っても、怒っているという思いを相手に伝える事が容易になるのかもしれません。

 

ともあれ、自分自身の感情とシッカリ向き合い、怒りにフタをせずに、放出させながら、

怒りを溜め込まない術を身に付けたいものですね。高ぶる感情を穏やかな感情へと

代えることができるのならば、きっと、この「心」の乗り物である「体」の維持にも良いこ

とでしょう。

 

次回からは「遊び」のレッスンです。こちらも目からウロコですよ~(笑


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6 コメント

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Unknown (慈慧)
2012-08-21 10:50:43
あのダライ・ラマでも、怒ることはあるんだそうです。
でも、心の表面は波打っていても、底の方は
穏やかなんだとか。

仏教では「三毒の煩悩」というのがあり、それは
「貪欲・瞋恚・愚痴」(とんよく・しんに・ぐち)の三つです。
略して「貪・瞋・痴」(とん・じん・ち)といいます。

この三大煩悩のひとつ、二番目の「瞋恚」とは、
怒りの心のことです。

「貪欲」とは、むさぼる心、欲のつきない心。
「愚痴」とは、無知・無明、真理に暗く愚かな心。
以上の三つが、人間が克服すべきとされる
根本的な三つの煩悩とされます。

この「貪欲」も「瞋恚」も、「愚痴」から発生すると
いわれており、「愚痴」は根本煩悩ともされます。

真宗的には、嬉しい時にも悲しい時にも怒った時にも
ひたすらお念仏、になると思います。
これを煩悩を断ずることなく涅槃を得る、とされ、
「不断煩悩得涅槃」といいます。

ところで、画像のアオガエル?アマガエル?、
とっても可愛いですね~
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Unknown (SHIGE)
2012-08-21 10:59:53
何かが思い通りうまくいかなくて
誰か(え?誰?爆笑!)にイライラ怒っていたつもりでも
よーく考えると
自分のふがいなさ、能力不足と感じるの自信の無さ
そんなのが原動力だったりします。
自信が有ったら
何が起きても
腹は立たないです。
どーんと来い!って生きたいな。ふー。
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Unknown (慈慧さんへ)
2012-08-21 17:42:13
ダライ・ラマさんでも怒りますか^^

まあ誰だって理不尽な要求を突きつけられたら、
怒らないわけにはいきませんからね。

戦うときは戦う。怒るときは怒る。
しかし、心の奥底は穏やか・・・

であれば、表面的には怒っても、血圧が上がること
はない・・のでしょう^^


略して「貪・瞋・痴」(とん・じん・ち)といいます。

欲、怒、愚痴ですか。

知らないから愚痴る。ですね^^

>真宗的には、嬉しい時にも悲しい時にも怒った時にも
>ひたすらお念仏、になると思います。
>これを煩悩を断ずることなく涅槃を得る、とされ、
>「不断煩悩得涅槃」といいます。

煩悩を断じないというのがいいですね。

ひたすら念仏を唱えるという作業は、祈りプラス
高ぶっている感情を収束させる時間の流れの
効用もありそうですよね。

アマガエルです^^
可愛いでしょう、綺麗に丸まって^^
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Unknown (SHIGEさんへ)
2012-08-21 18:03:44
ふふふふふ・・
SHIGEさんに、こう書かれちゃうと、
どうも、いろいろ具体的に想像しちゃうなあ(爆笑)

「カチン」とくる・・・って感じですよね^^

「そんな事言われたって、解んないよ!」
みたいな^^

自分もありますよ、知識の無い物事に対して、
えらそーに言われたりすると・・・(笑
近しい人ほど、そんな感情が爆発します。
ほどほどに離れた人なら、ほーそうですか、
くらいですむところですが・・。

なんででしょうね?

魂レベルが近いからでしょうか?(笑
だから、「くやしい!」みたいな感情が、
「怒り」に変換されるのかもしれませんね^^
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Unknown (慈慧)
2012-08-22 10:06:40
仏教で言う「愚痴」と「愚痴る」とは、
実は違う意味なんです。

仏教の「愚痴」は、無知・無明、真理に暗いため
愚かな生き方をしてしまうことで、
愚痴をこぼすのとは、実はちょっと違うんですね。
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Unknown (慈慧さんへ)
2012-08-22 11:17:39
ほんとだ。goo辞書で調べました。

[名]言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。「くどくど―を並べる」

[名・形動]《(梵)mohaの訳。痴・無明とも訳す》仏語。三毒の一。心性が愚かで、一切の道理にくらいこと。心の迷い。また、そのさま。

まあ、無知で道理に暗ければ、なかなか自分の思い
通りにはいかず、「愚痴る」ようになりますよね(笑
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