「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
実は、幸福な人は自己中心主義からいちばん遠いところにいる人です。幸福な人は不幸
な人より親切であり、愛と許しの力をもち、しばしばボランティアなどで他者に奉仕を
しています。不幸な人は利己的な行動に走りやすいですが、幸福な人は自然に利他的な
行動をとるようになります。
真の幸福は出来事の結果ではなく、状況に左右されるものでもありません。幸福になる
かどうかは、周囲で起こっている事が決めるのではなく、あなたが決める事なのです。
幸福になるか不幸になるかは、周囲で起こることによって左右されるのではなく、起こ
ることにどう対処するかによって左右されます。起こっていることをどう解釈し、どう
了解し、心にどう取り込むかが、その人の幸福を決定するのです。そして、物事をどう
了解するかは、その人の物事との関わり方によって決まります。物事からレッスンを学
び、物事と自己の真実を想起するバランス点はそこにあります。相手や状況の中の最悪
の側面を見る傾向があるか、最良の側面を見る傾向があるかによって、事態は大きく変
わります。物事を見るときの傾向は、特定の方向に注意を向けようとする習癖は、自ず
から強固なものになっていきます。
幸福は、幸福な瞬間を経験することからやってきます。その瞬間を引き伸ばしていけば
いいのです。ある日、五分間だけ幸福を感じている自分に気がつく。次は、ふと気がつ
くと、一時間、幸福を感じている。やがて一晩、そしてついには一日中、幸福を感じる
ようになります。
不幸の最短経路は、物事を比較することにあります。自己と他者を比較している間は、
けっして幸福にはなれません。誰かと比較して惨めになるためには、なんの努力も要り
ません。比較というこの自己破壊的な行為には、しかも、比較する他者さえ必要ではあ
りません。過去または未来の自分と比較するだけで、同じ惨めさを味わえます。ところ
が、幸福は、誰と比較することも無く、自分の過去やありうべき未来に照らし合わせた
りすることもなく、今ここで、ありのままの自分を「これでよし」と感じるところから、
やってくるのです。その人の感情やその人のリアリティは、周囲の事情によってではな
く、その人の思考によって規定されるものなのです。
幸福は「・・・・たら」とは無関係に、今ここで選び取るものです。
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相手の気持ちを考えて行動するとき、すでに自分の要求・欲求は無くなっています。但し、
そこには「見返りを期待しない」ことが重要です。「これだけしてあげたのだから」の気持ち
が起きたら、すでに動機が違っています。「与え尽くしの愛」によって、より幸せに近づくの
でしょう。
身に降りかかる出来事への対処法・・・例えば、車を運転していて壁にぶつけたとします。
その出来事を「ああ・・・車をぶつけてしまった。何てことをしてしまったんだ。」と思うのか、
「ああ・・・壁で良かった。誰も怪我をしなくて良かった。」と思うのか・・・選択するのは自分
自身です。誰かに何かを言われたとき、その文言を良くとるのか(肯定的に解釈するか、
悪くとるのか(否定的に解釈するか)・・・それもまた選択するのは自分自身です。
「隣の芝生はよく見える」・・・幸せ(と思われる人)な人と比較する・・・ラジオを聴いても、
テレビを見ても、新聞を読んでも、比較するような物事は、そこらじゅうにあります。それら
の情報に惑わされてはいけない。そして、昔は良かった、あの頃は輝いていたなどと、
過去の自分と比較してもいけない。「今、ここで、この状態で幸せを感じる心」を育てなけれ
ばいけないのです。
仏教には「自利利他」という言葉があります。
他人を利することをすることが、
廻り廻って自分を利することになる、
という意味です。
幸せのためには、やっぱりこの「利他」が大事ですよね。
ネガティブスパイラルに陥っている人は、
とかく物事をネガティブに捉えがちですが、
起こったことをポジティブに受け入れることも
大事ですよね。
人と自分を比較するのもよくないですね。
人は人、自分は自分。
あるがままの自分を受け入れることですよね。
物事を比較して、好きとか嫌いとか、美しいとか醜いとか、
金持ちとか貧乏とか、善とか悪とか、
そういう二元対立的な考えにとらわれて
それに執着するのもよくないですね。
不二一元論といいますか、
不一不二(一にあらず二にあらず)の考えが
仏教ではよいとされます。
要するに我執が苦の元なんですよね。
今度、何かの折に使おうっと^^(笑)
「自利利他」・・・その言葉の響きから、
カタカナで書いてみる。
「ジリリタ」・・・なんか不思議な文字ですねー^^
「他人は自分の鏡」と見るところから
境界が曖昧になり二元が薄れてきますよね。
そう、ネガティブスパイラル・・・私的にも年に何回か
ありますが、かなりの速さで「切り離し」ができる
ようになってきましたよ^^
育った環境や、人と比較する競争の激しい世代
でしたから、「比較」を壊すまでに、私的には、
そこそこ時間がかかりました。まだ無意識に比較
したりすることは正直あります。
ここ数ヶ月での自分の収穫は、「過去の自分自身
とも比較してはいけない」という事でしたね^^
「我執」かあ・・・・
と、連想してしまうのが「政治家」かなあ(笑
「国民の為」の、もっとも根っこの動機を
持ち続けることができるか?がカギですね^^
人間は弱いものですからやはり、そこからのほうが
入りやすいのでしょうね。。
これには納得です。。
そして・・幸せは過去でも未来でもなく・・今感じるもの。。
今・・なんですよね。。大切なのは。。
それを繋げていけばいいのですよね。。
ポジティブな考えをこの先にも・・・。
一人じゃ難しいから・・
相棒が必要で・・共に前向きに歩んでいける関係は
大切だと感じています。。
まさに・・・人という字ですね。。
話、ずれたら・・ゴメンナサイ^^
でも、それにしがみついてはいけないのかも
しれませんね。
その「感覚」を学ぶということでしょうか。
そうそう、繋げていくという感じ^^
しかし、順風満帆のときには問題ありませんが、
ネガティブな状況の最中でも、その状況に囚われず
に、小さな幸せを紡いでいく事ができるか?・・です。
それは、おそらく誰しも難しいことでしょうね・・・。
そこに「相棒」の違った目線や感覚、魂に届く言葉など
に触れ、異なった世界観などを構築することができれ
ば、また一つ成長していくのかもしれません。
ちょっと言葉が硬くなっちゃった(笑
私と最初に出会う前かな(40うん年)www
ベトナム出張ですか?もう帰国されたのかな。
久々に会いたいですね。
10月に荻窪でクラス会がありました。
久保田先生は、残念ながら体調不良
で来れなかったんですけどね。
写真は、4歳くらいなのかなあ。
いやはや、随分と時が流れたものです。
会いたいですね^^
おお!fqvのブログ、復活しましたね。
また、ちょこちょこ覗きにいきます^^