~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

2018.6.8~10「山形旅行記」7(寒河江市・慈恩寺)

2018-07-17 16:34:40 | ・神社・お寺

2018.6「山形旅行記」7(膝折温泉)

2018.6 肘折温泉でノンビリ過ごした後、山寺にでもと思ったのですがお疲れモードだったので、とりあえず
寒河江方面へ。国道458号の肘折~寒河江方面は通行止め(冬期間(例年11月初旬から6月中旬頃まで)通行止めのこの区間、
通行可能時でも、標高差約700m・行程約40km中 1/3 程度未舗装・幅員の狭い悪路。)の為、来た道を戻ったのだけれど、
帰ってから調べてみたら、458号を北上すれば良かったみたい。ちょっと遠回り(県道57号~県道331号~国道458号)
しちゃったみたい。

県道57号より

県道331号より(もしかしたら県道57号だったかも)

寒河江で有名な「チェリーランド」にちょこっと寄りました。

三日間、天気はなんとかもってくれました。未だ時間があったので寒河江の慈恩寺へ。

慈恩寺(じおんじ)
・山形県寒河江市にある仏教寺院で現在は慈恩宗の本山。
・創建年 伝神亀元年(724年) 開基 伝行基
・行基によって見いだされ、聖武天皇の勅によって創建したとされる。
・その後、鳥羽天皇の勅で再建され後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。
・平安時代は荘園主である藤原摂関家から、鎌倉時代から室町時代にかけては地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が
 滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。
・江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。
・修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮し帰農する坊が続出した。
・本尊は弥勒菩薩で脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する国内でも珍しい五尊形式である。創建当初
 八幡大菩薩を鎮守として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の
 一山寺院として慈恩宗を称する。
・境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された。by wikipedia

山門(慈恩寺正門)

元文元年(1736年)築造。3間1戸の楼門造で、入母屋造、八脚門で銅板葺(もと茅葺)。

迫力あります。

本山慈恩寺本堂(国重要文化財)

元和4年(1618年)最上氏により築造。桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、茅葺。明治41年(1908年)、
当時の古社寺保存法により特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定。本尊木造弥勒菩薩、釈迦如来坐像、
地蔵菩薩坐像、不動明王立像、降三世明王立像、木造騎獅文殊菩薩、木造騎象普賢菩薩、十羅刹女像、木造二天王立像、
木造如来坐像及び両脇侍立像、木造如来立像、木造菩薩坐像、木造力士立像などを安置。by wikipedia

三重塔
当初、慶長13年(1608年)築造されるも、文政6年(1823年)焼失。文政13年(1830年)再建。本尊木造大日如来坐像。

隣接する熊野神社

慈恩寺は山形盆地葉山の山裾の、寒河江川扇状地より一段高い段丘上に位置する。院坊屋敷地と境内地は概ね東西700m
南北200mの範囲に収まる。扇状地辺縁は標高約125mで仁王坂を上ると標高約146m、参道を160m進むと標高156m。

とても歴史のあるお寺でした。歴史を蓄積した静かな空気・空間でした。

山形駅より。

ステップ台^^

いや~楽しい旅でございました。出羽三山、残る「月山神社」。いつか参拝せねば!
開山期間 7月1日〜9月15日
月山神社本宮のある山頂まで、月山8合目より徒歩3時間弱。下山も徒歩3時間弱。一日がかりの登山ですね~。おわり^^


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