8日、NHKのラジオで’いのちの対話’を聴いていた。
画家?である娘さんが、父の力になればと療養中に
絵を枕元に飾ったりしたそうだが、ほとんど動けなく
なっていた父にとっては、絵を見るどころか、おそらくは
病院の殺風景な天井しか見れなかったらしい。
娘さんが、病院の亡父のベッドに横たわった時、
それが解り、愕然としたそうである。
その後、その娘さんは、病院の天井に絵を描く活動を始める。
絵の題材も病気の方の治癒力を高めるようなものを選んでいるようだ。
相手の立場に立って物事を考えることの難しさ・・・。
日常の飛び交う会話の中にもありますよね。
時々、何て言葉って不便なのだろうと思うこともあります。
思わず、通訳しましょうかと思ってしまう場面も。
言葉の中から真意を読み取る力を養っていきたいものですね。
ところで、
梅がこんな感じです^^
画家?である娘さんが、父の力になればと療養中に
絵を枕元に飾ったりしたそうだが、ほとんど動けなく
なっていた父にとっては、絵を見るどころか、おそらくは
病院の殺風景な天井しか見れなかったらしい。
娘さんが、病院の亡父のベッドに横たわった時、
それが解り、愕然としたそうである。
その後、その娘さんは、病院の天井に絵を描く活動を始める。
絵の題材も病気の方の治癒力を高めるようなものを選んでいるようだ。
相手の立場に立って物事を考えることの難しさ・・・。
日常の飛び交う会話の中にもありますよね。
時々、何て言葉って不便なのだろうと思うこともあります。
思わず、通訳しましょうかと思ってしまう場面も。
言葉の中から真意を読み取る力を養っていきたいものですね。
ところで、
梅がこんな感じです^^
亡父と娘さんの伝えきれなかった思いを
亡くなった父と同じベッドに寝てみて
始めた知った、なかなか分らないという
事があるものなんですね。
兄が妹を殺害した、というショッキングな
事件は、何故なのかといくら考えてもまるで
闇の淵へと引きずり込まれてしまいます。
「夢がないよね?」と言われただけで
果たして妹を殺めるだろうか?
事実夢がないとしても、それが原因となるのか?
いくら考えても合点のいく回答がありません。
兄と妹に「いのちの会話」のなかったのは
どうしてだったのだろうか?
真冬だというのに一時暖かだったので
梅が咲きだしたのでしょう。
相手の態度や言葉から心の奥にある
本音等に気付いてあげられないことって
よくありますね。
私も80近い両親と暮らしていますが
身体が弱ってきていろいろなことが
できなくなってきたり、記憶力が怪しく
なってきたりして、転んだり、家に帰って
これなくなったり、火の消し忘れなど
最近多くなりついつい強い口調で
接してしまい、言い過ぎたな~と
後で反省したりしています。
思いやりって自分に余裕がないと
忘れがちになってしまいます。
イライラする時でも一呼吸して
笑顔とユーモアで優しい言葉を
かけてあげたいものです。
実行は難しいですが
一歩一歩~♪
”命の対話”時折放送されていますが、今回は聞き逃していました。
<相手の立場に立って物事を考えることの難しさ>
ほんとにそうですね。
言葉を通して相手が言いたいと思っていても言えないでいる”沈黙の心”まで察してあげようとする努力が、思いやりの深さかなと思ったりもします。
言うは易し 行なうは難し
ですが・・・。
100人いれば100人の思いと考え方があります。
このお父さんも、絵を見なくたって、飾って
もらえるだけで娘さんの愛を感じ、幸せだと
思っていたかもしれません。
兄が妹を殺害した、というショッキングな
事件は、表面上は、何故?と理解できませんが、
通常の心理状態を逸脱する深くて暗い闇の中
へと入り込んでしまった結果なのでしょうね。
やり切れませんね・・・。
ここのところ冷え込んでいますね。
昨夜は、何だか喉が痛くて、ちょっと熱っぽくて
早々に床につきました。
正月疲れかなあ。。。。。
昨日から世間も本格的に始動。
身体が慣れずにちょっと悲鳴をあげています^^;
通じないこともありますよね。
相手の態度や言葉から心の奥にあるものに
気づくのは、さらに困難極まることだと思います。
こういう気遣いって日本の風土に
よるものでしょうか?
海外では言葉に出さなければ内面的なものは
通じないとも言われていますよね。
そうですか、ご両親と暮らされているのですね。
pawの両親はすでに他界していますが、
義父がすぐ近くで独り暮らしをしています。
自分に余裕の無い時に限って何故か問題が
発生して、ゆとりを持って対応できないことが
多いんですよね~、そういう運命なのかなあ。。。
コミュニケーションの話ですが、
相手の耳が開いている時に、言葉を放り込んで
やらないと通じませんね。
むやみやたらに言葉をかけても空回りしちゃう。
聴く耳を持った時・・・タイミングですね。
その点、ブログはいいですよね。
自分の向かう時間が出来たときに
見てやりとりを行う。
とても、自然体でコミュニケーションとれる
ツールだと思います。
という事で、これからも宜しくです^^
う~ん、’沈黙の心’いい表現ですねー!
その’沈黙の心’に気づいてコミュニケーションが
取れるのは、日本人ならではの文化では
ないでしょうか?
おもてに表現されないもの・・・
それに
気づく
気を使う
気を回す
気を配る
他にも’気’の付く言葉が一杯ありますね。
そんな’気’をいかに使うか?
使いこなせるようになるか?
が’思いやり’や’相手の立場になる’キーポイント
のように思います。
相手の立場になろうとする余り、
おせっかいになっちゃうこともありますよね。
その人が成長するために、あえて気を配って
見守ることだってあるかもしれません。
うう・・・・難しい・・・・。
ボチボチいきましょう^^
気が付きました・・・。
私がイスに座っているよりも低いのですよ。
これでは、街の埃も人ごみの中も、辛いかもしれません。
それなのに、急いで歩かせてしまったりしていました。
小さなことに気付いてあげないで、自分の目線で物事を
解釈していた自分を反省したところでした。
pawさんのブログを読んで、うなずいてしまいました。
きれいな梅のつぼみ・・・
これを見ていたら、やさしい気持ちになりました。。
pawさんのやさしい心が表れているようですね。
ここにも伝わってきましたよ・・・。
ありがとう・・・。
そうですよね、子供の目線になると
随分違う世界になりますよね。
歩きながらの喫煙で大人の手の位置が
子供の顔に近くなって危険なことを促す
テレビコマーシャルをやっていました。
飛行機のシートも、まるで浴槽の中に
押し込まれたような感じで子供には辛いですよね。
物理的にも精神的にも、子供の視線で
接してあげられたらいいですよね。
今日は黄色の蝋梅が綺麗に咲いている場所を
発見しました。春はまだまだ遠いですが、
間違いなく季節は流れてゆきますね^^
シェアさせてください・・・
事後報告ですが、宜しくお願いいたします。
マノア
拙い文章ですが・・・・^^;
優しい風が皆さんの心の中に
吹けばいいですよね^^