またまたラジオ、身の上相談ネタです。身の上相談の中で、「他人と過去は変えられない」
という言葉が聞かれました。
「他人と過去は変えられない」を検索すると、なんと約 273,000 件ヒットします。
更に、スペースを一つ進めると
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」で約 233,000 件ヒット。
誰が言い出した言葉かは、解りませんが、コレほどヒットするということは、現代の日本人
の魂の琴線に触れる言葉なのでしょうね。(12/25の日経プラス1には、自分を元気づける言
葉として18位にランクインしている)
ところで、身の上相談の内容は、相談者の奥さんが、数年前から夫の両親と同居して暮らし
ているが、その両親お互いの仲が悪く、どうしたものかというものでした。そこには仲が悪
くなった原因があるのですが、それはあくまで伏線であり、長い時間をかけて築かれていっ
た両親の問題があり、そう簡単には変えられるものではない、他人と過去は変えられないと
カウンセラーさんは話されていました。
ですから、その両親お互いの仲をどうにかしようとするのではなく、その奥さん自身の両親
を見る見方を変える事です、それが回答でした。
最近、身の上相談を聞いていてよく思うことは、相談される方は、困っていたり、悩んでい
たり、煩わしく思っていたりと、当然、自分自身が嫌な状況にあるから相談するのですが、
相談者自身の思考回路を変えてやる事で解決することは実に多いという事です。
要するに、困り事や心配事、悩みは、自分自身で作り出しているもので、その時の自分自身
の思考回路ではオーバーヒートしているような状態だということです。育ってきた環境や、
家族、先生や友人、メディアも含めて、自分自身を自分で形作っていくのですが、その枠組
みが小さいとこのような状況になるのですね。
「他人と過去は変えられない」
しかし、他人も過去も、こちら側から自分自身の枠組みを広げる事によって、今まで思いこ
んでいた感覚と違った見方ができるようになるのかもしれません。例えば、ものすごく嫌悪
感を抱いていた人が、時間が経つと反面教師となって感謝する対象になったり、当時許せな
かった人が、自分の経験が増えるにつれ、その人の気持ちが解り許せるようになったり・・。
そして
「自分と未来は変えられる」
そう、自分自身の枠組みを取り外してやれば、まさに無限の可能性が広がっているのです^^
そう・・
すべては自分。。
自分が変われば、周りも変わる。。
それによって、他人も過去も・・変わる。
いろんなことがあった過去も・・
いつかは笑顔で見つめることが出来る。。
それには、自分だけでは乗り越えられない事も。。
枠組み・・・大切ですね。。
自分の周りを取り囲むつながり・・・
私たちはそんなもので支えられているのですよね。。みんな変われるんです!
今年、私はタカラモノを頂きました。。
そっと包んで・・
次は・・誰かに分けてあげようと
思います。。
☆ ☆ ☆
今年もいろいろお世話になりました。
来年もpawさんにとって、
健康で、笑顔いっぱい広がる1年で
ありますように・・・
新しい年も・・
どうぞよろしくお願いいたします。
良いお正月を・・・。♪
マノア
変わってってほしい
と思うのも他人をコントロールしたい欲望か?
そのままで良い、と思うのもあまりに寂しい。
と思いつつ、
目の前のぬめっとした難題の壁、
突然、オン&オフの0と1のデジタルで出来たデータがジグソーパズルが崩れ落ちるように
消える。
目の前の悩みは
横の人には無縁の壁
自分で作成した積み木の城
崩すのも自身。
突き放せない、
でも
愛せない。
親族のことはなかなか難しいです。
相手を「こう」だと決め付けず
自身をも「こう」だと決めつけさせない、
のが自衛策か?
見えている「こう」は
どのみち積み木の城
大きな魂の端っこが
小さな鏡に映った反射を模倣して組まれた。
積み木はいずれ土に帰って行く。
人よ、自由であれ!
そして、ありがたいお話をどうもありがとうございました。
近すぎるんでしょうね。
太陽や星や月や風や・・・
植物や動物や・・・
人の創りだしたものや・・・
人の言葉や・・・
音楽や絵画や・・・
そんな魂の琴線に触れる出来事によって、
自分自身の魂が揺さぶられて、
刷り込まれていた小さな枠組みを壊し、
何の先入観にも捕らわれない、
本当に大切な事、大事な事を識るのです。
そのことを識るために、わたしたちは、この世
を「生き込む」のです。
こちらこそ、いろいろとお世話になりました。
2011年、manoaさんによい風が吹きますように
お祈りしております^^
変わってほしい
気がついてほしい
もし、その思いが、真っ当な動機から発するも
のであれば、「願い」として天は受け入れるの
ではないでしょうか?
そのままでよい
は、ともすれば、放置・放任であり愛の介在が
ないのかもしれない。
「認める」は、あくまでも水平線から上へ向か
う心のベクトルだと思う。
親族のことは難しいですよ、ホントに。
「人を見る」ことは自分自身の心に写しだされ
た鏡。
でも、自分で自分自身が近すぎて解らないよう
に、親族・肉親もその次に近いわけですから、
パーソナリティ、現象我、自我または低我が、
強く表現されてしまいます。
自分自身を識る~自己客観視ができるようにな
ってくると、その近しい人たちも見えてきます。
「憎しみ」が「哀れみ」に代われば、その感情
を手放すことができるでしょう。
いいでしょ、ネコちゃん♪
埼玉の畑の脇に止めてお弁当食べていたら、
ミャ~ミャ~いいながら、運転席脇のタイヤ
の辺りで、お腹を見せながらゴロゴロしてきた
のでした(笑)
人懐っこい(タイヤに懐っこい?・笑)
ネコちゃんでしたよ^^