光だけしか見えないことを選択してしまったとき、ともすると人々は、光のために闇を
破壊しようと考えてしまう。でも、あらゆる瞬間に、常に、ちょうど充分な闇があり、
ちょうど充分な光がある。どちらも、お互いの、存在を証明するために存在していると
言っていい。闇がなければ光は存在しないし、光がなければ闇は存在しない。
心と体と霊を一つにした者たちは、幸いである。彼らは二度生まれし者たちである。
意図と結果は、同じエネルギーの両端だ。君から出たものは、必ず君のところに
戻ってくる。必ずそうなる。必ずしも同じ規模、同じ形で戻ってくるとは限らないが、
そのエネルギーは、夜のあとに朝が来るのと同じ確かさで、必ず戻ってくる。
君の内なる声は、君を導き、励ますためにそこにいる。たとえ君が戦場に出たとしても、
それは必ず君とともにそこにいる。その声は、君に奉仕すること、君の進む道をお膳立て
することしか知らない。それは、君に行く道を照らし、君を保護するだろう。君に力を与え、
君を勇気づけるだろう。君が聞くこの内なる声は、君の源と君をつなぐ狭い道だ。
君の内なる声は、キリスト領域への帰り道を知っている。そしてそれは、この世界にある
ような善悪の観念を知らない。
自分が本当に誰なのかを思い出す準備を、すべての人間が整えているわけではない。
ほとんどの人間は、どこに自分を組み込むかのほうが大切だ。我々の世界の精神
風土は、生存する必要性の周囲に形成されていて、その中では生存することが何よりも
重要なんだ。