~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

俗に染まらず、俗を離れず♪

2009-07-19 07:25:54 | ・スピリチュアリズムからの風景


’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)


同じ生活環境の中にいても、心の感知するアンテナの方向を変えてコントロール
することによって、違った世界で生きることが可能です。いわゆる俗に染まらず
、しかし俗から離れずに行きてゆく手法です。

霊界側から言わせると、霊界側が本当の世界で、こちらの世界は幻なのだそうです
が、そうは言われても、わたしたちは、この世界での悩みや苦しみで頭の中は占領
されるわけですから、生きている今この時を避けて通るわけには行きません。

私たちは、知らず知らずのうちに各々が自分の世界を自分自身で作り上げていま
す。それは、魂レベルで引き継がれているものと、今生で育ってきた環境によるも
のとで形成されているのでしょう。

この自分自身で作り上げている世界(一つの枠や鳥カゴのようなもの)にいると、
自分の考えや思いは当然正当化されるわけですから、良きにつけ悪しきにつけ居心
地はよいわけです。しかし、生活環境等が緩やかに変化している等のうまくバラン
ス・調和がとれているときは良いのですが、対人関係がうまくいかなかったり、孤
立感が強まってくると、ストレス増加、閉塞感、違和感などで自分の世界が脅かさ
れるようになります。

また、愛する人との死別、大きな挫折、大病、燃え尽き現象などの大きな環境の変
化も、自分自身の人生に対する価値観などが変わり、自分自身で作り上げてきた世
界が崩れ始め、不安定な状況となります。

このような頑固なまでの自分自身で作り上げた世界を柔軟な枠組みの世界、あるい
は、より大きな鳥カゴにするために、スピリチュアリズムの考え方は非常に有効と
思われます。

例えば、対人関係などにおいては、人はそれぞれ自分自身の課題を背負ってこの世
に生まれ変わってきているのだから、根本的に人それぞれの生きる道がある。だ
から、人それぞれが違っていて当然だし、比べる必要もない。これは、あなたと私
は違うんだから関係ないという事ではなく、あなたという存在を認め、登る道は違
っても同じ山を目指してお互いに頑張って登っていこうということです。このよう
に考えれば、相手に人に対して極度の執着心に陥ることも無いし、無視するような
ことも無い良好な人間関係が続けられるのではないでしょうか。

また、愛する人との死別は、ホントに悲しいものですが、その人の魂は、永遠に生
き続けているのだということを知れば、悲しみも癒されます。たとえ肉体が滅んで
も魂は生き続ける・・・それは、可愛がっていたペットも同じです。生命のあると
ころには必ず霊が存在します。’千の風になって’の歌詞は、気休めではありませ
ん。まさに地上を離れた霊のメッセージソングです。

大きな挫折、大病など・・この世で生きていれば、いろいろな事があります。その
渦中においては、押し潰されてしまうのではないか、もう終わりだと思うのは当た
り前です。しかし、神様は、背負えないほどの荷物は与えません。影を知らなけれ
ば光の有り難みは解りません。辛く悲しい体験を乗り越えることによって、自分自
身の世界観はより大きくなっていくことでしょう。

さらに、私たちは肉体を捨てても生き続けるということは、精神や心が生き続ける
ということです。ならば、この自分自身でこしらえた世界をずっと維持していくわ
けです。
そしてその世界には、善きにつけ悪しきにつけの’悪しき’、いわゆる憎しみや妬
みなども含まれています。ですからこの世界で生きている間に、対人関係による感
情を改善・修復していけば、良好な世界観を携えて向こうの世界へと旅立つことが
できます。

また、そうすることによって、この世では身体・精神・霊 のバランスも整い健康
維持にも繋がります。そして、心の世界が主体ですから、自分の言動や行動の動機
は間違っていないか、自分の良心の声に従っているかをいつも自問自答しながら自
分の歩む道の確認作業も重要です。

このように考えていけば、俗に染まらず、俗を離れず、浮き草のように流されず、
地に足を付けた生き方へと繋がり、自分自身の小さな個の世界を、遥かに大きな世
界へと広げることが可能となるのです。