朝、昨日仕入れたばかりのアフリカの音楽を聴きながら周辺を散策する。言葉も音楽としてしか聞こえない。これも面白い。また道に迷ってしまう。方向感覚がなくなるといった方が正確だろう。新聞を買うために歩き始めたがなかなか見つからない。20分ほど歩いたところでやっと開いているところがあったので中に入る。Le Figaro の日曜版を買う。この新聞を見たときに、成田からの飛行機の中で読んだ広告にこの新聞社が特集でサン・テグジュペリを取り上げていることを思い出す (このブログでも彼についての記事があります)。店の人に聞いてみると目の前にあった。表紙には、
Entre ciel et terre
Saint-Exupéry
Le Petit Prince a 60 ans
空と大地の間
星の王子さまが還暦
とある。日本でも記念の本や新訳が出されたという話を読んでいた。写真が新鮮で美しく、ひとつひとつの記事も短く読みやすそうである。
日曜の朝、カフェで日曜版の新聞を読みながら時間の流れを味わう喜びを知ったのは、ニューヨーク時代だろう。海外に出る時には、その再現をどこかで求めているところがあるようだ。1時間ほど経ったところでホテルに戻り、テレビをつけると討論番組をやっている。テーマは "L'homme est-il programmé pour croire ?" 「人間は信じるようにプログラムされているか?」 である。これが番組のテーマになりうるのはやはりフランスか、と改めて思う。ちなみに参加者は、哲学者の Luc Ferry、神経科学者の Lucy Vincent (この方、外国人のアクセント-英語?-あり)、それからプロテスタントとカトリックの神学者であった。内容を理解できるところまで行っていないが、司会者の 「今日の結論は?」 との問いに、Luc Ferry が "Impossible !" と笑いながら答えたところで終わっていた。
信じるかどうかを迫られると、人は哲学的にならざるを得ないのかもしれない。アメリカにいる時に研究室で働いている私より若い女性から、信仰について考えなければまともな人間になれませんよ、というようなことを言われたことがある。考えたことがない、あるいは考えることを避けてきたのだからいかんともしがたい。今になってみると、そのあたりに深みを欠く一因があるのかと思うこともある。
いずれにせよ、私なりのフランスの日曜の朝を味わう。
僕の場合、まず両親を信じています。自分に対する愛情をですね。おそらく。
家族愛のようなものを、信じたいなと思っています。日本はよく無宗教、信仰心の薄い民族といわれますが。なにかしら、安心を何かに求めていたいと人は思うような気が僕はします。
今、私には祖母がいて、妻があり子が一人、妹がいて、親しい友人がいます。
自然と信じられる人間が身近にいる、そんな環境でいられればさいこうですね。
デハ、よい旅?を過ごされることを祈ります。
精神衛生ももちろんですが、食べるものにも気を付けください。では。
こちらの精神衛生は大丈夫だと思いますが、今日もこちらで研究をされている方とのお食事で、相当に食べ過ぎてしまいました。明日は体を使わなければならないと思っています。では、また。