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フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

「いまなぜ青山二郎なのか」 POURQUOI JIRO AOYAMA MAINTENANT ?

2006-09-24 21:14:05 | 日本の作家

昨日の新聞で、プライスコレクションの若冲展が京都で始まったことを知る。東京では見ることができなかったので、「京近美」 こと国立京都近代美術館へ向かうためバス停まで行ったところ、長蛇の列。それを見ると疲れを押し戻すだけの力は残っていなかった。また昨日の余韻を楽しんでおこうと考えたこともあり、今回は諦めて帰ることにした。

新幹線に乗り込むとタバコの煙がむんむんと立ち込めている。禁煙席を買ったはずだが、どうしたことだろう。一瞬戸惑ったが、またやってしまったことに気づく。切符売り場が混んでいたため自動販売機で買ったのだが、そこで禁煙と喫煙を確かめずに何気なく選んでいたのだ。これで2回目になる。徐々に何かが進行しているようだ。3時間余り、たっぷりと passive smoking をしながら白洲正子の 「いまなぜ青山二郎なのか」 を読んで帰ってきた。

この本では、骨董、装幀、絵 (個人的には好みではなかったが)、文章をものした青山の人となりを、彼が付き合っていたいろいろな人とのやり取りを通して語っている。彼の4人の奥さん、小林秀雄 (との友情と破綻)、河上徹太郎、中原中也、永井龍男、大岡昇平、今日出海、野々上慶一などなど。その中から印象に残ったところを抜き出してみたい。

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 銘柄にとらわれず、外観に惑わされず、本物の中の本物を発掘するのが青山二郎が志したことである。「創造」 といったのはそういう意味で、一旦悟得すれば万事に通ずる眼を持つことであったから、命を賭けることも辞さなかったに違いない。

 「絵から何かを感じとることと、絵が見えるということとは違う。」 絵を見るのには修練が要る。では、眼を鍛えるにはどうすればいいか。「私の場合、それは目を頭から切り離すことだと思う。批評家に借りた眼鏡を捨てて・・・自分の裸の眼を使うこと。考えずに見ることに徹すること」 ― これは青山さんの持論でもあった。

 もちろん知識はあるに越したことはないが、ものを見るときは忘れなくてはいけない。すべてを捨ててかからねばならない。ジィちゃん (青山のことを白洲はこう呼んでいる) のいう 「感じ」 なんてものはとうの昔に私は卒業していたが、「感じ」 から 「物」 が見えるところへ移るまでに、たとえば此岸から彼岸へ渡るほどの飛躍が要る。・・・人間にとって、目玉だけになることがいかに難しいか、ジィちゃんが教えてくれたのはそういうことであった。

 何事につけてジィちゃんは 「意味深長」 という言葉を嫌っていた。精神は尊重したが、「精神的」 なものは認めなかった。意味も、精神も、すべて形に現れる、現れなければそんなものは空な言葉にすぎないと信じていたからだ。

 文章というのはおかしなもので、自分で書く場合はむろんのこと、人のを写しても、ただ漠然と読むのよりよく理解できるものである。私の頭がにぶいのかも知れないが、昔の人たちは肉筆で書写することによって、文章の裏側にあるものまで読みとったのではあるまいか。

「ぜいたくな心を清算する (はぶく) 要はない。ぜいたくに磨きを掛けなければいけないのだ。」

 ジィちゃんは畸人でも変人でもなかったが、卓越した人間であったことは確かである。生きることに命を掛けた、といってはおかしいが、その日その日が真剣勝負であり、そんな素振りを見せることさえ恥辱としたといえようか。「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」 と、小林さんはいつもいっていた。
  「天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るといふ事が屡々起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌ふからだといふ事にならう。」
 これは小林さんの 「モオツァルト」 の一節であるが、そのまま青山二郎の生きかたに通ずる。

 この時、ジィちゃんはまたしても小林さんといっしょに大仁と湯河原に滞在し、「富岡鉄斎」 を書いた。今、それについて述べている暇はないが、「大雅の及ぶべからざる所は、その画を描くつもりがなかったと云ふところにある」 と語った鉄斎の言葉が耳に残っている。別言すれば、それは 「余技」 であったということで、「余技」 にこそ人間の真実があるとジィちゃんは信じていた。州之内徹さんが、「装幀もする青山二郎」 といみじくも評したように、文章も書く、絵も描く青山二郎であり、彼の人生そのものが余技であった。

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この中で、赤瀬川原平の 「千利休」 (岩波新書) が面白いと書いてある。「いずれ」 のリストに入れておきたい。

今回、古代ギリシャの 「劇場」 に向かう人を気取り、場所を変えて観察しようという魂胆で京都に足を伸ばしたが、いろいろとよい刺激を受けたようである。

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Unknown (さなえ)
2006-09-25 08:50:03
ここ数年、青山次郎と白洲正子が取り上げられることがずいぶん多くなっていますね。ああいう種類のすっきりとした贅沢そして暮らしぶりに憧れるのも日頃の殺伐とした生活の反動なのでしょうか。しかし、平成の貧乏人たる私には逆立ちしても無理で、せめてもと、白洲正子愛用とやらのウィスキーグラスをつい求めてしまいましたが、肝心の自分の目を大きく開いてなかったので、自分の趣味とは少々外れてしまいました。
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訪問ありがとうございます。 (paul-ailleurs)
2006-09-25 18:35:45
確かに白洲正子は最近取り上げられているようですが、文章は私の母親の代の人が話しているような感じで、うまいのか下手なのか。女性は昔のことをよく覚えているようで、いろいろな逸話が出てきていました。今回の方たちの生活を見ているとそうできれば面白そうですが、実際にやってみると意外に大変そうな印象を持ちました。ただ美を愛でながら(見つけながら)生活するということならできそうな気がしました。

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青山二郎の眼 (雪月花)
2006-09-28 08:40:44
はじめまして、こんにちは。雪月花と申します。青山二郎と千利休をキーワードにこちらへまいりました。貴記事を興味深く読みました。

この夏に東京渋谷の松涛美術館で青山のコレクションを初めて見て以来、青山のことを調べておりました。小林秀雄、白洲正子を骨董の世界に導いた天才の眼とはどんなものだったのか─ 赤瀬川原平氏の本を読むにいたって、千利休と青山の共通点が見えてきました。そんなことを備忘録のつもりで拙い記事にしましたので、トラックバックを送らせていただきました。

またうかがいます。有難うございました。
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はじめまして (paul-ailleurs)
2006-09-28 20:33:29
コメントとTBありがとうございます。今回は偶然に青山二郎という人に出会いましたので、まだよくわかりませんが、私と共通するところもあるようで親近感を持ちました。早速貴ブログを読ませていただきました。赤瀬川原平の利休にも言及されていて参考になりました。いずれ私も読んでみたいと思います。貴ブログのほかのところも少しだけ訪れてみましたが、雰囲気があり和みを感じました。リンクさせていただきます。よろしくお願いいたします。
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お礼 (雪月花)
2006-09-29 09:05:06
paul-ailleursさん、おはようございます。雪月花です。

トラックバックと丁寧なコメントを頂戴し、うれしかったです。有難うございました。まずはご報告です。リンクしていただいて感激です。こちらからもぜひリンクさせてください‥ いえ、もうリンクしちゃいました ^^ 下記のページの「随筆など」のカテゴリでご確認いただけます。

http://blog.goo.ne.jp/setsugekka_2/e/5287cbf553fad3d75f248ec945d352f4



わたしは師走初旬に信楽へ出かけようと思っております。こちらのサイトのセンスに惹かれただけでなく、paul-ailleursさんの思索の世界を拝見するのが楽しみです。今後もうかがわせてください。よろしくお願いします。
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はじめまして、お邪魔致します。 (あべまつ)
2006-10-01 15:46:35
はじめまして。青山二郎を追っかけていましたら、こちらにたどり着きました。



今、青山二郎を読んでいるところですが、厳しい眼の持ち主で、一つ一つ、衝撃を受けています。

そんな人達の中に入りたがった、白洲正子さんもまた、何という方なのでしょう?と。



でも、それが余技であったと言われることの凄さ。

こちらをまたゆっくり拝見させて頂きます。



物事の精神を見ることについては、日仏とても似ているところがありそうです。

生活が美に溢れているところも。

 
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訪問ありがとうございます (paul-ailleurs)
2006-10-01 22:54:02
つい最近その存在を知ったばかりで、青山本人の本はまだ読んだことがないので余りはっきりとしたことは言えませんが、少なくとも白州さんの言葉を頼りにすると面白いユニークな生き方をされた方だと思います。そうせよと言われてもできるようなものではないのが残念ですが、誰も気づかないところに美を見つけるという姿勢には共感するところがあります。いつもくどい文章だと言われるのですが、またお越しいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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