フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

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J'OBSERVE DONC JE SUIS

マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (I)

2006-09-25 20:29:43 | Marcel Conche

二三ヶ月前だろうか、IFJ のメディアテークに行ったところ新しい雑誌に目が行った。PHILOSOPHIE MAGAZINE という哲学雑誌である。いくつか面白そうな記事があったが、モンテーニュを師と仰ぐ、無神論者 athée (この言葉については異議があるようだが) のこの人について読んでみることにした。

マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (27 mars 1922 - )

御年、84歳。今年に入って "Avec des « si ». Journal étrange" という新しい本を出したのを機に、アン県 Ain の自宅でインタビューを受けている。タイトルは、« La mort ne peut plus m'enlever ma vie » (「死はもはや私の人生を奪うことはできない」) となっている。印象に残った件を数回に分けて紹介したい。

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「自ら哲学する」 とは、まず最初に根底を揺るがすような一つの経験に動揺し、圧倒されることである。ショーペンハウアーは、すべての哲学はただ一つの (特異な) 考えを発展させたものにしか過ぎないと言っているし、ベルグソンもその考えを引き継いだ。

Philosopher par soi-même, cela veut dire être initialement voulversé par une expérience fondamentale. Schopenhauer a dit que toute philosophie n'était que le dévelopement d'une unique pensée. Bergson a repis cette idée.

私の哲学の元になった経験は、アウシュビッツや広島の子供たちの苦しみを絶対悪 (mal absolu) 、すなわちどんな視点からも正当化できないものとして自覚したことと関係している。それは神の存在を疑わせるのに充分ではないか。私は神学哲学者 philosophes théologiens や神の正当化を非難するが、啓示を信じる人に私の非難は向かわない。

私はキリスト教の中で育ったが、信じることなく早い時期から神学的な世界の見方を拒否していた。それで青春時代に哲学に傾斜していった。

哲学とは、人間の理性のなせる技で神に出会いようがない。それゆえ、真の哲学はギリシャのものである。神なき精神性。デカルト、カント、ヘーゲルなどはキリスト教信者で、信仰を見つけるために理性を用いた人たちである。その意味で、彼らは影響力から言っても偉大な思想家ではあるが、真の哲学者とは私は考えていない。近代の真の哲学者はモンテーニュである。彼は信仰と全く離れて、特に当時の社会に浸透していた一神教から全く独立した視点で作品を書いた。

La philosophie, c'est l'œuvre de la raison humaine et elle ne peut pas rencontrer Dieu. C'est pourquoi la vraie philosophie est grecque. La spiritualité sans Dieu. Les philosophes de l'époche moderne -- Descartes, Kant, Hegel -- sont des chrétiens qui utilisent la raison pour retrouver une foi pré-donnée. Je ne les considère pas comme des philosophes authentiques. Ce sont de grands penseurs par leur influence. Mais le vrai philosophe de l'époche moderne, c'est Montaigne. Il a écrit son œuvre dans une grande indépendence à l'égard des croyances collectives, notamment à l'égard de la croyance monothéiste qui imbibait la société.

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彼が無神論者という言葉に抵抗があるのは以下の理由による。

J'hésite, cependant, à me dire athée, car le mot "Dieu" a peu à peu perdu, pour moi, toute signification. Il me paraît sans objet, et je ne cois pas qu'il y ait lieu de nier ce qui n'est rien." ("Le destin de solitude")

「しかし私は自らを無神論者と言うことに躊躇を感じる。なぜなら、「神」 という言葉が私にとって徐々にそのすべての意味を失ってきたからだ。それは私には根拠のないものに見え、したがって実体のないものを否定する理由はないと考える。」 (「孤独の運命」から)

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