幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」御文章と死別

2014-12-13 | 

http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu2/


こんにちは、筬島です。

昨日、ご案内しましたように今日から、

『白骨の御文章』についてお話ししますね。

(前回の記事はコチラ


「朝(あした)に紅顔(こうがん)ありて

  夕(ゆうべ)に白骨となれる身なり」



の一節が有名で、日本の名文100選にも選出される『白骨の御文章』。


そこには、古今変わらぬ人間の姿が描かれています。


ではまず、全文を読んでみましょう。


【白骨のお文】

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。

されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。

今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。

我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。

されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。

既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。

あわれというも中々おろかなり。

されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。

                      (蓮如上人)



「御文章」とは、「お手紙」ということ。

 (文は、レター。恋文は、ラブレター)

切々と無常がつづられたこの手紙の背景には悲劇がある。

それは、京都に住む、青木民部という下級武士にまつわる話。


彼には、目に入れても痛くない愛娘・清女(きよめ)がいた。

気がつけば、父ちゃん父ちゃんとついて回っていた娘も十七歳。

すっかり美しくなっていた。


そんな折、一つの縁談の話が持ち上がる。

相手は、身分の高い武士。

またとない良縁に、とんとん拍子に話は進む。


嫁に出す淋しさは言い知れなかったが、

それを思いきるように、先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具をそろえる。

ただただ娘の幸せを願ってのことだった。



すべて準備は整った。

これまでの思い出がよみがえり民部はまんじりともしないまま、

挙式の朝を迎える。


ところが、いよいよ挙式という日……

娘が急病に倒れ伏せた。

決しの手当も空しく、そのまま帰らぬ人となってしまう。


美しき娘は、灰となり煙となり、残ったのは生々しい白骨のみ。


火葬の後、その白き骨をジッと見つめた民部は、

「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」

と絶句する。



あなたは想像できるだろうか?

愛する娘を、それも結婚式の当日に失うことを……



力を落とし、生きる気力をなくした民部は、後を追うように急逝。

五十一歳だったという。


度重なる無常の嵐の激しさに、民部の妻もまた翌日、三十七歳で愁い死してしまった……。
 



近くに住まいしていた海老名(えびな)五郎左衛門。

彼は、山科本願寺の聖地を財施したほどの熱心な真宗門徒だった。


青木一家の悲劇を目の当たりにし、

世の無常をはかなんでいたが、なんとその二日後、

今度は、海老名五郎左衛門の娘もまた、急病で亡くなったのだ。

清女と同じ十七歳だった。



昨日は他人の身、今日は我が身。

世の無常を聞かされてはいても、まさか身内にそんな不幸が起ころうとは、

思いもしなかった、


葬儀の後、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門。

涙に晴らした赤い目で、蓮如上人(れんにょしょうにん)に、無常についてご勧化をお願いする。


その願いを聞き入れ、著されたのが『白骨の御文章』なのです。


次回に続きます。




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