これまでの宮沢賢治の作品にに関する研究や紹介は、背景にある彼の宗教や思想と彼の実人生の歩みから解読するものがほとんどであった。
千葉さんはこの著書で、そうではなくて作品を作品として読むことから、新たに賢治を探そうとした。
キイワードは「春と修羅」における「まことのことば」である。
ラカン派の精神分析理論を援用し、言葉を人が獲得する経緯から、「修羅」の解明は圧巻である。
詩人による「私だけがわかる私の賢治」に閉口された方は、ぜひ一読を。
オンリイテキストに限定しようとされたせいで、新しい賢治像の提示とともに、ある種の不自由さや平べったさが少し残る賢治論でもあった。
著者の後書きにもあるように、それは次回の賢治論に期待したい。
千葉さんはこの著書で、そうではなくて作品を作品として読むことから、新たに賢治を探そうとした。
キイワードは「春と修羅」における「まことのことば」である。
ラカン派の精神分析理論を援用し、言葉を人が獲得する経緯から、「修羅」の解明は圧巻である。
詩人による「私だけがわかる私の賢治」に閉口された方は、ぜひ一読を。
オンリイテキストに限定しようとされたせいで、新しい賢治像の提示とともに、ある種の不自由さや平べったさが少し残る賢治論でもあった。
著者の後書きにもあるように、それは次回の賢治論に期待したい。