尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

目蓋(まぶた)

2006年10月29日 20時36分37秒 | 詩の習作
いつからであろうか
おそらく
人類の誕生とともに
こともあろうに
光が
真っ白に
盲(めしい)てしまった
ごらん
モノのうえを
ホコリを払いながら
光の指が
這っている

愛撫を受けるやいなや
モノの世界は
銀色の目蓋を
かたく閉じるのだ

世界は
永遠に閉ざされた
目蓋だと
思っているだろう
あるいは
開かない貝だと
思っている
光も
君も

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夢の王

2006年10月27日 23時52分12秒 | アバンギャルド集
母が死ぬとき
闇に黄金の蝶が舞う夢を見た
それからというもの
愛する人が去ったり
小さな動物が死ぬ度に
色とりどりの
夢を見なければならなかったのである
たった一度
自分が死ぬときだけ
もう夢は見ないで
はっきり目覚めていて
笑ったのである
王は

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亀山博士

2006年10月25日 00時02分45秒 | アバンギャルド集
亀山博士は
ラーメンの汁をすすり終え
干上がったハチの底を見やりながら
おっしゃったのだ
 君、想像したまえ
 人間はすでにいないんだ
 地球もね
 神様だけだ
 …そんな宇宙は奇妙に歪んでいて
 寂しいだろう?

神様は風邪をひくでしょう
僕の答えに
博士はハチの縁を
箸でパチンと叩いた
次の客に押されるようにして
僕たちは屋台を出た

博士と別れてから
古ぼけた煙草屋のある角で
ちょっと酔って
まるで彼女にでも電話するみたいに
絶対に話し中の
携帯電話の番号を押した
月もないのに
群雲が光っていた
話し中である
自分のしていることが
あの神様のように寂しかった

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2006年10月24日 21時40分38秒 | 詩の習作
たとえではない
まさしく女は門である
非情であれ薄情であれ
無情であれ有情であれ
僕は沢山の門をくぐったが
くぐってもくぐっても
出たことはないのである

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襤褸(ボロ)

2006年10月22日 11時27分12秒 | 詩の習作
襤褸を身にまとう君は
真水の海に没している
石の階段に座り
頬杖をつき
海を湧きたたせながら
沈み行く夕日を
同じような黄金の目で眺めている

君の右腕が
支えている球体は
君の頭ではなく
地球だと
僕は知っている

君の背中は
神の汗で濡れている
そして僕といったら
嘘をつく度に
頭が痛くなるので
その優しすぎる
君の首に
(まるでネギの根本の
 白いところが青く変わってい
 部分のような)
触れたいが
触れたら死ぬことは
僕の詩が知っている

ことばは襤褸である
しかし
詩はことばではない
そして
僕は君を愛している

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フランケンシュタイン

2006年10月12日 10時24分33秒 | 左子真由美さんの詩

なにもかも
忘れてしまったけれど

右手は
ふるえている
左手に言う
この縫い目は
偶然なんかじゃない
運命だよ
僕たち
一緒にいることだよ

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手鏡

2006年10月11日 23時37分51秒 | 短詩集
手のひらをみると
自分が映っている
笑いかけても
笑わない

冷たい水を
飲んでみる

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火星も金星も

2006年10月11日 22時57分21秒 | 詩の習作
夕暮れだ
ほんとうに
夕暮れだ

傷つかずに
人は
美しいと
いうことが
できるだろうか

夕暮れだ
傷口のような
夕暮れだ

火星も
金星も
これ以上のことはない

もういいだろう

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オムレツ

2006年10月10日 23時53分02秒 | 詩の習作
夢の中では
なんでもできるのだ
自死以外は
ということを
わかりながら
というか
わかっているので
夢の中で
また
飛び降りた

夢には底がない

外に出て
歯を磨いた
生活よりも
夢の消耗で
髪の毛が白い
昼飯には
いつもより黄色い
オムレツを食った

もてはやされる詩は
あいかわらずでたらめの詩ばかり
もっとでたらめを書かねばならない
と本気に思いながら
御堂筋を歩いていると
天に向かって永遠に
落ちていく人がいて
その人が
僕を批評し続けるのだ
でたらめはでたらめだと
笑いつづけるのだ
オムレツと一緒に

底を歩いていた

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ゆめがゆめみる

2006年10月08日 00時47分22秒 | 自選詩集
ゆめがゆめみる
あかるみに
ぼくは 
どこいった

おきるがおきて
はしるがはしり
しゃべるがしゃべり
はたらくがはたらいて
だまるはだまった

たべるがたべて
うんこするがうんこして
きっすがきすして
かえるがかえり
ねむるがねむった

ゆめがゆめみる
くらやみに
あなたは 
どこいった

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山折哲雄「『歌』の精神史」

2006年10月07日 23時40分52秒 | 読書記録
著者から読者へ(抜粋)
 いま、叙情が危ない。われわれのこころの世界が乾き上がり、砂漠化しているのではないか。叙情を受け容れる器が損傷し、水漏れをおこしているからではないか。
 叙情とは、万葉以来の生命のリズムのことだ。魂の躍動をうながし、日常の言葉を詩の形に結晶させる泉のことだ。それが枯渇し危機に瀕しているは、時代が平板な散文世界に埋没してしまっているからである。歌の調べが衰弱し、その固有のリズムを喪失しているからだ。
 いまこそ、「歌」の精神を取り戻すときではないか。

*   *

 おっしゃやる通りだ。短歌は知らないが、現代詩とは魂の抜け出た後の、ミイラの叫びである。かつて小野十三朗は批判精神を堅持するために「歌うな」といったが、われわれはもう「歌えない」のだ。
 詩のことはさておいて、しかし、現代が叙情の喪失の危機であるという時代認識は、むしろ「近代」の属性であって、近代から区別されるわれわれが生きている「モダン」の特性としては、叙情の喪失後をいかに生きるか?、新しい叙情の創出、にかかっているのではないか。
うまくは云えないけれど、そこまで来ていると僕は思う。山折さんは、伝統的詩歌と歌謡に底流する叙情の本質を、「生命の高揚感と無常観」に見ている。まさにその本質に対して、近代化の結果である人工的な現実(新しい自然)が、無効を宣言しているのではないか。
だから我々を育んできた叙情が無用ということではなくて、叙情を蘇生させるためには、因果律的ではないあたらしい感覚と認識の枠組みが必要だと感じる。
 文明の最後尾をほとんど落伍者のよにに歩いている、詩のわずかな可能性はそこにあるのだろう。皮肉ではなく、ミイラ君がんばれ!と言うべきだ。(まこと)

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鉛筆

2006年10月06日 22時43分57秒 | 詩の習作
鉛筆を削ると
詩が書ける
詩が書けると
自分がちびる

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傲慢と悲惨

2006年10月06日 22時29分31秒 | 詩の習作
自分は自分であると
一生の間一度も疑ったことのない顔
その顔が寝ている顔

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2006年10月05日 22時06分59秒 | 詩の習作

という
今 が
わからない
まったくわからないなら
わからないで
次から次へと通過する
今 の連結を
プラットホームの急行列車
のように
見ないでやりすごすのだが
わずかに目眩しながら
今が今に
来るようなことがある

JR東西線の
天満橋には
キリンの首の
ジッパーのような
長いエスカレーターがあり
その金属の階段を
天の方へ
運ばれていくとき
今 が
14才未満のように
通電して
わかりそうな気がして
後ろへ倒れそうになった

今の意味を
脊髄で
わかった人は
止まない
オルガスムス
のために
みな狂った

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朝の指

2006年10月04日 23時37分29秒 | 詩の習作
顔を見ると
むかつくが
ナイフで削られた
ばかりような
朝の指を見ると
いとしい

砂場では
腕を根と見なし
指を毛根と思い
砂をぷすぷす
突き刺した

満員バスの中で
所在なさそうな
白い指を探すことがある

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