「一つの経験に一つの人格」
ただその人間の形をしたのが、ひょこひょこ歩いている、だから人が一人いるというのではなくて、そこに他の人の経験をもっては置き換えることのできない、経験が存在しているのです。…
私は三歳の女の子を亡くしましたけれども、ほんの片言しか言えない子が、もう親がそこへ入っていくことのできない、人格というものを持っています。子供だから判断はなにもできませんけれども、あるときには親の言うことを拒絶する、怒って泣く、親をもっても置き換えることのできない人格を、その子供は持っています。
そのように一人一人の人間は、一つ一つの経験によって定義されます。あるいは人間の人間的特質を定義するものこそ、この経験というものにほかなりません。
(P.66~67)
ただその人間の形をしたのが、ひょこひょこ歩いている、だから人が一人いるというのではなくて、そこに他の人の経験をもっては置き換えることのできない、経験が存在しているのです。…
私は三歳の女の子を亡くしましたけれども、ほんの片言しか言えない子が、もう親がそこへ入っていくことのできない、人格というものを持っています。子供だから判断はなにもできませんけれども、あるときには親の言うことを拒絶する、怒って泣く、親をもっても置き換えることのできない人格を、その子供は持っています。
そのように一人一人の人間は、一つ一つの経験によって定義されます。あるいは人間の人間的特質を定義するものこそ、この経験というものにほかなりません。
(P.66~67)