この三年間、書きなぐってきた詩のようなものも、このプログにあるものだけで400を越えるようになりました。
僕の人生に似てその詩行もなりふり構わず後ろを振り返らないので、
失われた詩篇もたくさんあります。
まれに尾崎さんは詩集を出さないのか、と聞かれることがあります。
お金がないから出さられへん、と答えています。
これには負け惜しみもありますが、一生本にならなくてよい、という気持ちが本当にあります。
たぶん僕はインターネット出身の「詩人のようなもの」だからでしょう。
わずかに光って、消えていくのが気持ちよい。
詩と思想、現代詩手帖などの詩誌に、ときにいわゆる「ウエッブ詩はクズ」という
ちょっと失礼な論調の詩評が見受けられます。
僕はネットをほとんどしませんので、他の方の詩を云々資格はありませんが、僕の詩に関しては本当のそうだと思うのです。
靴下のはき方から、歯磨きの仕方、大小の便の仕方と同じく、僕の言葉は誰かから教えてもらい真似たものまかりです。
僕の詩はもちろん物まねですし、だからクズだと言われても仕方ありません。
しかし、流れ星はクズでできているのです。
最期に問われるのは
そのクズと呼ばれたものが、
本物とぶつかっているかどうか、と云うことだけです。
わずかに光ってみたくて、
このブログから選んで「鳩よ」と題する詩集をウエッブ上に編んでみます。
コンセプトは、「クールでかつ暖かいもの、明快なもの」
僕は校正魔なので、期限は三月一日にします。
おーい、鳩よ。