尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

「対談 現代詩入門 大岡信・谷川俊太郎」

2008年01月17日 23時20分38秒 | 読書記録
1982~1983年の大岡さんと谷川さんの対談である。
現代詩の抱えている問題という点に関して、(読者をほとんど失ってしまった深刻さを除いては)当時、すでに出そろっていたことが、読み取れる。経済的にはバブルの崩壊した90年代を、失われた10年と揶揄されたりするが、文化的には80年代から日本の「失われた50年」というようなものが始まったのではないだろうか。

  〈抄録〉

   凝縮された言葉へ
谷川「だから、そういうふうに、表現の手段やメディアが非常に多様化してきたというところに、逆に言うとまた、現代詩の持っている一種の特別な質というものが見直されるということもあると、僕は思うのね。そういう形で、詩があまりにも普通の人間の暮らしの中に拡散してきているから、そういうものだけではどうしても満たされないものが出てきた場合に、やはり、詩という極度に凝縮したような形のものを求めるという動きも、ぼくは同時にあるような気がするんだよね。」P.29

  
現代の意識の表現
大岡「…そうでなくて、どちらかといえば無神経に、平然とお喋りを繋げていくところがある。それは欠点なのか…まあぼくは欠点だと思う。詩というのは、短い言葉でもずばっと言えるところがないと、散文と繋がってしまうからね。…それから、行間の余白が持っている力に、いまは信頼が置けなくなっているということは僕も同感だな。」P.76

谷川「でも、母語のまつわりつくようなものがいやだ、そこから逃れたいというのは、ぼくは戦後詩人に共通してあったとも思うんだよね。」
大岡「うん、あった。」
谷川「だけど、そうやってもっと明晰な個というもの、批評できる個というものを打ち立てようと思ってがんばってきて、ふっと気がついてみたら、もう核家族の世の中になっている。しかもその核家族すら危ういような世の中になっているという感じがあるよね。」P.145



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あばずれ | トップ | ハルマゲドン »
最新の画像もっと見る

読書記録」カテゴリの最新記事