尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

「リズム」

2006年01月29日 00時52分20秒 | 自選詩集
 リズム


懐かしいリズムが
遠くから聞こえてきて
男は立ち止まり
振りかえった
しかし 街は 
いつもと変わら
景色である

男は知らないのだ
自分の背が
花と小鳥を
しょっていることを
 そして 失意は

青いガラスであった
黄色いガラスであった
赤いガラスであった
男はガラスを
通り抜けてきた
 そして 背中は

男の裏庭だった
砕けるごとに
青い花が咲いた
黄色い花が咲いた
赤い花が咲いた

男は空耳に
かすかに
笑って
また歩き始めた
空に
ひばりがあがった
 そして 歩行は

男のリズムであった


 (昨日の「裏庭」を改題、改稿しました。)
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草壁焔太「五行歌入門」

2006年01月28日 00時59分18秒 | 読書記録
五行歌とは著者の草壁焔太(くさかべえんた)氏が、万葉以前の古代歌謡と大正末期から昭和初期にかけての口語短歌を参考にして考案され、詩歌運動として普及された新しい詩形ということである。

詩論の中心はは「五行歌は、日本に和歌という古い詩形があり、そこから派生した俳句があり、その悲しそうな節まわしが千三百七十年も日本詩歌の基本メロディだと信じられたことに対して、それを修正するために起こった詩歌である。」
これをうのみにするわけではないが、七五調をリズムとしてではなくメロディーとして捉えていることに、新鮮な驚きを得た。
ちょっと考えれば当たり前で、門外漢にとって、俳句も短歌も、同じような節回しに聞こえる。
小野十三郎は、「リズム」は思想である、と言っていたが、「メロディー」は思想であると言ってくれた方が、彼以後の現代詩にとってわかりやすく、結果もうすこし読まれ愛される詩が生まれていたのではないかと思う。
小野は「歌うな」と檄をとばしたが、小野にあって現代詩にないものは実はメロディーである。(そういう僕は、ほとんど声すら出ていないのではないか。)
短歌と俳句のことは知らないので何とも言えないが、この書を、むしろ低迷続ける現代詩のアンチテーゼとして読ませていただいた。
詩人の「前衛」気取りが鼻についたり、あるいは日記を行分けにしただけの「現代詩」なるものに嫌気がさしたなら、ぜひ一読されたい。

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地平線

2006年01月27日 22時14分55秒 | 短詩集
追えばどこまでも遠ざかる
不思議な地平線を見つめ
君は立ちつくした
そこは 誰かが見ている
地平線の上だ
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ピアノはいらなかった

2006年01月27日 00時54分15秒 | 詩の習作
 「ピアノはいらなかった」

貧しい部屋だった
ピアノもギターなかった
ラジオのスイッチを切ると
音符の形をした小鳥たちは
窓から夜空へと
消えていった
それで
二人の部屋は
いくぶん明るくなって
まっさらな
五線譜になった

まぶしすぎるぐらいだった
だから
ピアノはいらなかった
ギターもいらなかった
灯りを消して
僕らは
新米の音楽家になった

彼女もあの部屋も
今ではどうしているんだか
でもね
ラジオを止めて
話を止めて
耳を澄ませば
あたりはいくぶん
明るくなるんだよ

そろそろ
ピアノを弾いてくれ


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「親から子へ伝えたい17の詩」双葉社

2006年01月24日 21時35分49秒 | 読書記録


ぐずぐずすることよりも、成長することを選びなさい。
堕落するよりも、成長することを選びなさい。
呪うことより、祈ることを選びなさい。
死ぬよりは、生きることを選びなさい。
        (オグ・マンディーノ「この世で一番の奇跡」部分)
というような質的に立派な内容の詩が、17選ばれている。
価格も千円に抑えてあるし、何よりも詩の間に挟んである、世界の子ども達の絵がかわいい。
現代版の「論語」みたいなもので、一つ一つの詩も、その選択も、文句のつけようのないところが、わずかに文句のあるところかも。
この本には載ってないけれど、もしあなたが読まれて胃にもたれたら…ということで消化剤になるような吉野弘さんの、これも立派な詩を、老婆心ながら処方しておきます。
そして、子どもが小学校にでも入る頃には、この17編を読んでやろうと意気込んでいる、若いママさん自身へへ。

  「祝婚歌」(部分)

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがよい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがよい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
……
    
       

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トニー・マイヤーズ著「スラヴォイ・ジジェク」

2006年01月24日 00時36分36秒 | 読書記録
2006年1月22日読了
「スラヴォイ・ジジェク」トニー・マイヤーズ 青土社 2400円

現代思想ガイドブックと題された青土社のシリーズの一冊である。

マイヤーズはジジェクの発想源として、ヘーゲルとマルクスとラカンをあげる。
マルクス主義の伝統に沿って、イデオロギーを批判しようとする動機を、ジジェクの著作の背後に見つける。
ヘーゲルからは弁証法を取り入れている。
ラカンからは分析の枠組みと用語を適用している、と見る。
おおざっぱに言うと、ジジェクはラカン理論の応用みたいなところがあるので、
この著書も難解なラカンの入門書として読めなくもないだろう。
ラカン…もうアカンと言った詩人がいたぐらいで、もちろんラカンがこんなにわかりやすくては、もうラカンではない。笑

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詩を書く雨

2006年01月23日 13時15分13秒 | 詩の習作
僕らの指は十行の雨
悲しいときは
顔を覆い
悔しいときは
十行を握りしめた

欲しいときには
嵐になって
疲れたときには
十行の隙間から
都会を見ていた

そして僕らは
さよならするとき
パラッと
ふらせたね
詩を書く雨を
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キーボード

2006年01月23日 12時25分17秒 | 短詩集
指は
五行と五行の
雨である
詩を書く
雨である

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遅れる男

2006年01月22日 11時06分31秒 | 詩の習作
わたしのために
この男はいつも遅れている
待ち合わせがなくても
今という時間から
遅れている
黄色い椅子に座っていても
座っていることから
この男は遅れてしまっている
ほころびた
青いクッションのように

コーヒーを呑んでも、
そのほろ苦い液体が
胃にとどくのは明日だ
そう、いつも明日だ
そして
明日が来れば
この男はもういない

この男
忘れてしまっているが
私と明日
待ち合わせしている
しかし明日が来れば
この男はもういない
いつもこの男は遅刻だから
わたしのために

わたしは
この男の
忘れてしまった
時計
悲しい思い出だ

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北原白秋「白い月」

2006年01月21日 21時30分03秒 | 好きな詩と詩論抄
  「白い月」
    わかかなしきソフイーに

白い月が出た、ソフイー、
出て御覧、ソフイー、
勿忘草(わすれなぐさ)のやうな
あれあの青い空に、ソフイー。

まあ、何んて冷(ひや)つこい
風だろうね、
出て御覧、ソフイー、
綺麗だよ、ソフイー。

いま、やつと雨が晴れたーー
緑いろの広い野原に、
露がきらきらたまつて、
日が薄すりと光つてゆく、ソフイー。

さうして電話線の上にね、ソフイー。
びしよ濡れになつた白い小鳥が
まるで三味線のこまのやうに溜つて、
つくねんと眺めている、ソフイー。

どうしてあんなに泣いたのソフイー、
細かな雨までが、まだ、
新内のやうにきこえる、ソフイー。
ーーあの涼しい楡の新芽を御覧

空いろのあをいそらに、
白い月が出た、ソフイー、
生きのこつた心中の
ちやうど、かたわれでもあるやうに。


 目で読むと「ソフイー」のリフレインが多少ひつこいのではないかと感じましたが、日下武史さんの朗読を聞くと、このために催眠術的な効果があって心地よいです。現代詩にはない、音楽的な詩です。
さて、この詩の背景にある、本当のことは知りませんが、今はもうそこにいないソフィーに、あたかもそこにいるように、白い月の情景を切なく語りかけているような、詩として読みました。
(実際に一緒にいる恋人に、今見ている情景をこんなに細々述べるのは不自然ですから)
自分の心情をまったく述べないのに、女への哀切が伝わってくるのは見事としか言いようがありません。
最期の二行は白秋の実感ではないかと思います。(まこと)
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一枚の神様

2006年01月19日 18時52分09秒 | アバンギャルド集
冷却された
コンクリートの電信柱
貼ってある売家の
赤い黒い
広告が
木枯らしに
めくれている


人ではなくて
忘却の紙に
そうたびたび
お辞儀されては
狂って死んだ
一枚の神様かなんかが
残した愛
その差しだした手首
ではないかと
もうなんか
泣きそうだ

汚い言葉で
歯ぎしりしながら
こんな
美しくもなんともない
景色のなかで
生きてきた
自分がもう
取り返しようもなく
懐かしいんだ
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怪談

2006年01月19日 00時28分18秒 | 詩の習作
目をつぶり
肘をつき
顔を掻いていると
次第に
父の顔になってゆく
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2006年01月19日 00時07分02秒 | 詩の習作
寝床の中で
蟻の顔を思い出している
そいつは
自分の顔ぐらい大きい

沢山見たはずなのに
一つしか思い出せない
そいつは
仏像のようだ

そいつは
眠りに落ちていく
僕を見ている

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旋回

2006年01月18日 11時20分12秒 | 少年詩集
朝という
まばゆいテーブルに
拡げる地図
縮尺は
百万分の百万

僕は乾いた鳥
百万分の一
の鳥

勇気だ
勇気


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山はそしてわたしは

2006年01月17日 15時11分27秒 | 自選詩集
こんな夜
山は林道に腹を
横切られているのだろうか
山は峠に肩を
越えられているのだろうか
山は雪に顔を
埋められているのだろうか
山は風に髪を
鳴らされているのだろうか

こんな夜
山はそこに
そびえているのだろうか

夜が明ければ
山に 
ヤーとか
呼ばれてみたい

けれど
山は
そしてわたしは
名前のあるものだろうか


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