君の額に今
さわっていったのは
風ではない木の葉ではない指ではない
唇ではない
あのひとの昨日のことばである
ことばだけが
さわることができるのだ
君という孤独に
さわっていったのは
風ではない木の葉ではない指ではない
唇ではない
あのひとの昨日のことばである
ことばだけが
さわることができるのだ
君という孤独に
3/11以来、読むに耐えうる本はほとんどない…と感じているのは、僕だけではないでしょう。
この『重力と恩寵』は例外です。今だからこそ、彼女の言わんとすることの何かが実感できるのだ、とも言えます。以下、P.51からの引用です。
極端な不幸が、完全に達したこのたましいの中に生じさせる神の不在とは、どういうものなのだろうか。…(略)
…あがないの苦痛(イエスの十字架上の苦しみ―尾崎記)を通して、神は悪の極みの中にも存在する。なぜなら、神の不在とは、悪にあい応じた形での神の存在の仕方だからである。―その不在は感知できるのである。自分の中に神がいない人は、神の不在を感知することができない。
悪の単調さ。なにも新しいものがない。そこではすべてが等質である。なのも実在するものがない。そこでは、すべてが架空のものである。(P.117より)
この『重力と恩寵』は例外です。今だからこそ、彼女の言わんとすることの何かが実感できるのだ、とも言えます。以下、P.51からの引用です。
極端な不幸が、完全に達したこのたましいの中に生じさせる神の不在とは、どういうものなのだろうか。…(略)
…あがないの苦痛(イエスの十字架上の苦しみ―尾崎記)を通して、神は悪の極みの中にも存在する。なぜなら、神の不在とは、悪にあい応じた形での神の存在の仕方だからである。―その不在は感知できるのである。自分の中に神がいない人は、神の不在を感知することができない。
悪の単調さ。なにも新しいものがない。そこではすべてが等質である。なのも実在するものがない。そこでは、すべてが架空のものである。(P.117より)
「雨の日の花火」
壁のような頬をてらし
打ち上げ花火は打ち上がり
夜空ではなくて
瞳の中の漆黒に咲いている
愛するものと肩を寄せ合い
人はあの時のように抑えて
オーと声を漏らし
見ているものは花火ではなく
はかなさである
あなたはひとつの部屋である
あなたの中で
宇宙がひとり腰掛けて
これからのことを
黄色や緑で思案しているのだろう
あなたには厳重な扉がある
扉には小さな鍵穴があいている
目が丸く働き者の
蜜蜂だけが鍵である
あなたの中で
宇宙がひとり腰掛けて
これからのことを
黄色や緑で思案しているのだろう
あなたには厳重な扉がある
扉には小さな鍵穴があいている
目が丸く働き者の
蜜蜂だけが鍵である
詩人とは詩を書く人のことではない
詩人とはもっとも静かで目立たないところの
生き方の選択である
詩の住み家となることを選ぶのだ
言葉ではなく沈黙において
詩人の喜びも悲しみも
そして孤独は
目ではなく彼の耳にある
詩人とはもっとも静かで目立たないところの
生き方の選択である
詩の住み家となることを選ぶのだ
言葉ではなく沈黙において
詩人の喜びも悲しみも
そして孤独は
目ではなく彼の耳にある
「野の花」
小さな野の花の美しさに連なるものたちのために、
私は外国語を学ぶように少しづつ愛を覚えてきたのである。
それゆえ、たとえ相手が自分よりとてつもなく大きなものであっても
もの言わぬもののために、闘わねばならないことがあると知っている。
自由とは自分であり続ける激しさである。
あの日に摘んだ一本の野の花の記憶のために。