尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

脱皮

2006年06月30日 23時26分29秒 | 短詩集

隠れて
脱皮しても脱皮しても
また蛇

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皮膜

2006年06月30日 21時24分39秒 | 詩の習作
空は
一枚の青い皮膜ではないだろうか
はがせば
高く飛びすぎた鳥の落ちてくる
あなたは
一枚の肌色の皮膜ではないだろうか
はがせば魂の血がにじむ
世界は
一枚の透明な皮膜ではないだろうか
はがせば
神の泣いている

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私の幽霊

2006年06月30日 00時19分40秒 | 詩の習作
幽霊は脚がないという
私の幽霊は脚だけがある
どんな男に殺されたのか
あるいはどんな男に捨てられて
死んだのか

夏の雨脚を
巧みに改行しながら
深夜にやって来て
まだ濡れている
美しい白い脚を
僕の目の前で
斜めにそろえた

あなたの詩にはポエジーが無いわね
脚の間だから
僕の原稿を見て
声を出した

膝頭を押し開いた
けれど花火は上がらなかった
頭や乳房や胴と一緒に
思い出は消されていた

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2006年06月29日 13時30分17秒 | 短詩集
自分が
死ぬということを
納得できかねて
空に
曲がってのびてきた
あなたの



コメント (2)
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熊野純彦「レヴィナス入門」

2006年06月29日 13時15分38秒 | 読書記録
レヴィナスという哲学者はたいへん陰気な哲学者である。
その哲学にふさわしい陰気な時代が来たから、
読んでいるとかえってその場所が
ポット明るくなるというものである。

入門書となっているが、なかなか。
近頃安直な紹介本が多きけれど、これは本気で読者に伝えようとしている。
ひつこく繰り返すレヴィナスと自分の言葉で、迫ってくるものがあった。

抄録。(レヴィナス「存在するとはべつのしかたて」のまた引き)

☆傷つく身体(P180)
身体の「表面における感受性の直接性が、つまりそのつど世界に直―接し、い  わば逃げ場をもたない感受性が、その「傷つきやすさ」において、すべての能動性、能動的な指向性よりも先に、つまり意識の働きのてまえで傷を負ってしまうからである。(略)
 強いていうならば、感受性はみずから傷を負うこと、じぶんが傷つくことではじめて、対象を感覚的に把握する

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蒼い電気

2006年06月29日 09時14分34秒 | 短詩集
声が上ずるほどだった
指先や唇に
ひたひたと
さざ波が寄せていた

それでも
白い乾いた砂浜は
満ちてくるものに気づかず
通り過ぎた

海は僕の後ろで
光っていた
海が光る度
僕は蒼い電気を帯びたのだった

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今朝も

2006年06月29日 08時58分58秒 | 短詩集
寝て覚めて
今朝もこの体や

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レヴィナス「実存から実存者へ」

2006年06月28日 21時14分23秒 | 読書記録
 サルトルやハイデッガーなどの実存主義的用語に慣れ親しんでいる人でさえ、この本でレヴィナスが述べている事柄が痛い程わかる人と、全くわからない人に分かれるのではないだろうか。論理的理解力よりも、その人の倫理的素質というものが、この書物に対する、理解の可能性を左右するのだと思う。
冒頭を抜き書きしますので、ぴたっと来た方は、本屋さんでこの本を買って一人で勉強してください。

☆この「存在」(ある、という根源的出来事…尾崎注)とは、いかなる存在者(名指して○○がある…と言えるような、コップとか机とか、つまり個々の事物…尾崎注)も自分がそれだとは主張しない無名の存在、個々の存在者ないし存在者たち
を欠いた存在であり、ブランショの比喩を借りていえば絶え間ない「騒動」であり、「雨が降る(il pleut)]とか「夜になる(il fait nuit)といった表現と同様に非人称の〈ある(il y a)〉である。(中略)

☆「壊れた世界」とか「覆された世界」という表現は、今やありふれた常套句と化してしまったが、それでもやはり掛け値なしの感情を言い表してはいる。
諸々の出来事が合理的な秩序から乖離(かいり)してしまい、ひとびとの精神が物質のように不透明になって互いに浸透し合えなくなる、そして多様化した論理は相互に不条理をきたし、〈わたし〉はもはや〈きみ〉と結びつきえない、その結果、知性がこれまでおのれの本質としてきたはずのものに対応できなくなる――こうした事態を逐一確認してみると、たしかに、ひとつの世界の黄昏(たそがれ)のなかに、世界の終末という古くからの脅迫観念が蘇ってくる。(中略)
実存は世界より先にある。そして世界の終末という状況のなかで、私たちを存在に
結びつける第一の関係が立てられるのだ。(中略)
世界の消滅によって(世界が終わったと思うことによって、あるいは意識の指向性を現象学的にエポケーすることによって…尾崎の注)、私たちは存在に注意を巡らすようになるのだが、その存在とは一個の人格でも一個の事物でもないからだ。それは、ひとが存在しているという事実、〈ある〉という事実なのである。

☆哲学が存在をめぐる問題であるならば、哲学はすでにして存在を引き受けである。そして哲学がこの問い以上のものだとすれば、それは哲学が、問いに答えることではなく、この問いを克服することを可能にしてくれるからである。そいて存在をめぐる問い以上のものがあるとすれば、それは真理ではなく善である。

☆異郷性(P112より)
芸術は諸々の事物を世界から浮き立たせ、そのことによって事物を一主体への帰属
という状態から引き離す。(略)
絵画や彫刻や書物といったものは私たちの世界に属するのだが、それをとおして再現された事物は私たちの世界から離脱しているのだ。(略)
芸術はいかに写術的なものであっても、その対象に他性という性格を伝えわたす。
芸術は、対象を裸のままで私たちに差し出す。
ドラクロアの世界があるようにヴィクトル・ユゴーの世界があるわけだ。芸術的現実とはひとつの魂の表現手段なのだ。この事物たちあるいは芸術家の魂の共感によって、作品の異郷性は私たちの世界に統合される。他人の他性が共感によって近づきうる〈他我〉であるかぎり、事態はそのようになるのだ。
コメント (1)
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ほとばしる

2006年06月28日 20時45分51秒 | 詩の習作
夏を感じると
催眠術にかかったように
蛇口から
水がほとばしる様子を
見つめてしまう
僕が水で
水が僕だったとしても
この世に
変化はないだろう

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大王

2006年06月27日 21時17分14秒 | 詩の習作
たくさんの出会いがあって
たくさんの別れがあって
その間
たくさんの人が生まれ
たくさんの人が死んでいき
四季は移ろい
風景は変わりはて
こうして僕は老いたのだ
それを人は
時と時の間のせいだというが
時間のほうは
少しも動かないで
「オレはあの時のままだよ」
と僕に告げるのだ
大王の如く

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パレード

2006年06月27日 10時38分40秒 | 詩の習作
大人は
絶望を隠している子供だ
ということは
大人ならほんとうは
知っている

生きるとは
絶望しないことではなくて
絶望を派手な衣装の下に隠しながら
パレードに参加することだ

しかし我々はみな
パレードの先頭を争う
裸の王様だ

騒がしさだけが頼りなのだが
一瞬太陽が目に入れば
何も聞こえなくなり
地に倒れるのだ
もちろん裸で

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言葉がリンゴを

2006年06月26日 22時46分38秒 | アバンギャルド集
言葉というものが
物質であるとは
冗談を言っているみたいだけれど
こうもじぶんの言葉が
通じないと
物質だね
墜落するんだ
リンゴなんだ
転がっているんだ
だれも気がつかないね
ここまで歩いて来た者は
少ないんじゃないか
人間が言葉をじゃべるなんて
嘘っぱちさ
言葉が人間を喋っている
言葉がリンゴを食っている

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遠い声

2006年06月26日 22時26分30秒 | 詩の習作
生きている人を離れて
死んだ人の声を
思い出してみる

それほど親しくなかった
小学生のT君の声がするのに
父の声が
どうしても思い出せない


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雨が降ると

2006年06月26日 21時16分30秒 | 詩の習作
雨が降ると
私にも流れでるものがある
油断してはならないと
眉間を少しこわばらせ
自分を血のように思ってみる

濡れた景色や信号や
人々の色とりどりの傘が
幽霊のように移動する

轍にできた水たまりを
車が激しく跳ね上げたとき
私はすでに流れ出た
黄昏の風景として
一人前に傘をさしている

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裏庭

2006年06月25日 11時27分29秒 | アバンギャルド集
私は私の顔の裏にいる
目の裏にいる
皮膚の裏にいる
影の裏にいる
言葉の裏に張りついている

私の裏の裏庭は
海である

浜で神様が
私を裏返しにして
干すのである

皮膚の裏では
潮騒のざわめきが
いつも聞こえる
ゆっくり
太陽に
反りかえる

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