片足をあげろ
というと
時計の分針のように
ぴゅっと
あげてしまうものがいるだろう
お前のあれを太陽にお見せ
というと
野の花のように
見せてしまうものがいるだろう
もし
そのものたちがいなければ
自分の死ということが
厭わしいだけで
決して悲しくはない
この
頭も顔もない
美しいものたちに囲まれて
死んでいくことの
痛ましさ
そして最後の息は
抗議であろう
というと
時計の分針のように
ぴゅっと
あげてしまうものがいるだろう
お前のあれを太陽にお見せ
というと
野の花のように
見せてしまうものがいるだろう
もし
そのものたちがいなければ
自分の死ということが
厭わしいだけで
決して悲しくはない
この
頭も顔もない
美しいものたちに囲まれて
死んでいくことの
痛ましさ
そして最後の息は
抗議であろう
ただ今。東京から帰ってきました。
ずっと長野隆さんの伊東静雄論を読みながらの道中でした。
東京の、人はやたら多いが、どこか喪の儀式のように粛々と運ばれていくような風景と、伊東静雄の自己完結的な詩情が重なり、不思議な感覚を覚えていました。
伊東静雄は抒情詩の代表詩人と思われており、僕も偏愛する詩人の一人ですが、ひょっとしたら抒情の死を鏡で反射したような、「反抒情詩」ではないかと直感するところがあります。なかなかうまく言えませんけど…、先入観を捨てて、研究してみる価値はありそうです。
天候のせいもあったでしょうが、東京はどこかかなしげでした。
それに比べて大阪へ帰ってくると、アジアの唸りのようなどよめきがありました。明日からまたそのどよめきのなかで、自分もまた少しはどよめいてしまうのです。しかし、東京の中でなければ、まぎれない自分の哀しさというものも、あるようです。
ずっと長野隆さんの伊東静雄論を読みながらの道中でした。
東京の、人はやたら多いが、どこか喪の儀式のように粛々と運ばれていくような風景と、伊東静雄の自己完結的な詩情が重なり、不思議な感覚を覚えていました。
伊東静雄は抒情詩の代表詩人と思われており、僕も偏愛する詩人の一人ですが、ひょっとしたら抒情の死を鏡で反射したような、「反抒情詩」ではないかと直感するところがあります。なかなかうまく言えませんけど…、先入観を捨てて、研究してみる価値はありそうです。
天候のせいもあったでしょうが、東京はどこかかなしげでした。
それに比べて大阪へ帰ってくると、アジアの唸りのようなどよめきがありました。明日からまたそのどよめきのなかで、自分もまた少しはどよめいてしまうのです。しかし、東京の中でなければ、まぎれない自分の哀しさというものも、あるようです。
ぶ厚い眼鏡をかけて
亀山博士が新聞の
朝刊を拡げるように
読んでいる
他ならぬ
詩を
おもむろに
顔を上げて
言うのだ
詩はこんなもんじゃない
少し悲しく
少し苦しく
そのくせ
少し嬉しくて
だから
ブラックコーヒーの
香りをさせて
何度でも
僕に言うのだ
詩はこんなもんじゃない
むかし
ゼンマイ仕掛けの
お猿の玩具があった
平らなところに置くと
腰を浮かせながら
シンバルを鳴らすのだ
ラッシュアワーの
冬のプラットホームで
白い息を吐いている
知らない人ばかりに
取り囲まれて
嬉しくなって
腰が浮いてきて
そんな玩具に
なりかけることがある
押し黙る
人々が好きさ
ねえ
ゼンマイを
巻いてよ
ゼンマイ仕掛けの
お猿の玩具があった
平らなところに置くと
腰を浮かせながら
シンバルを鳴らすのだ
ラッシュアワーの
冬のプラットホームで
白い息を吐いている
知らない人ばかりに
取り囲まれて
嬉しくなって
腰が浮いてきて
そんな玩具に
なりかけることがある
押し黙る
人々が好きさ
ねえ
ゼンマイを
巻いてよ
「けれどそれだけだった」
嘘をついては
いけない
場所に立って
嘘をついた
木と水と風
花も毛虫も
あたりは
いっそう
静まりかえった
けれど
それだけだった
嘘をついても
しかたない
場所に横たわって
また
嘘をついてみた
それから
ほんとうに
泣いた
けれど
それだけだった
木と水と風
花も毛虫も
誰も
いなかった
嘘をついては
いけない
場所に立って
嘘をついた
木と水と風
花も毛虫も
あたりは
いっそう
静まりかえった
けれど
それだけだった
嘘をついても
しかたない
場所に横たわって
また
嘘をついてみた
それから
ほんとうに
泣いた
けれど
それだけだった
木と水と風
花も毛虫も
誰も
いなかった
「夢で会いましょう」
きっと
むかしむかし
二人は
夢で会いましょう
と約束したのだろう
たとえば雨上がり
校庭の
ジャングルジムで
だから僕らは
パンをちぎって
ほおばっても
夢のようである
都会の
ジャングルジムで
きっと
むかしむかし
二人は
夢で会いましょう
と約束したのだろう
たとえば雨上がり
校庭の
ジャングルジムで
だから僕らは
パンをちぎって
ほおばっても
夢のようである
都会の
ジャングルジムで
「ハミングバードの歌」
つむじ風が
また僕を
追いぬいていった
希望だとか
欲望だとか
僕の日々の声を
巻きあげていった
ゴーゴーと響く
うなりのなかを
葉っぱのように
登っていった
上昇する
回転のなかで
生きている父や
若い母や
あったこともない姉の
笑い声が
ハミングバードの
歌のように
聞き分けることができた
あとは
とっても静かな
青空だった
つむじ風が
また僕を
追いぬいていった
希望だとか
欲望だとか
僕の日々の声を
巻きあげていった
ゴーゴーと響く
うなりのなかを
葉っぱのように
登っていった
上昇する
回転のなかで
生きている父や
若い母や
あったこともない姉の
笑い声が
ハミングバードの
歌のように
聞き分けることができた
あとは
とっても静かな
青空だった
「けれどそれだけだった」
嘘をついてはいけない
場所に立って
嘘をついた
木と水と風
花も虫も
あたりは
いっそう
静まりかえった
けれど
それだけだった
嘘をついてもしかたのない
場所に横たわって
また
嘘をついてみた
それから
ほんとうに
泣いた
けれど
それだけだった
木と水と風
花も虫も
誰も
いなかった
言葉が
うどんを
食べてます
つるつる
言葉が
ゲロをは
きました
げろげろ
言葉が
スズメの
ふりをしました
ちゅんちゅん
言葉が
会議を
開きました
がやがや
言葉も
やがて
黙ります
うどんを
食べてます
つるつる
言葉が
ゲロをは
きました
げろげろ
言葉が
スズメの
ふりをしました
ちゅんちゅん
言葉が
会議を
開きました
がやがや
言葉も
やがて
黙ります
1982~1983年の大岡さんと谷川さんの対談である。
現代詩の抱えている問題という点に関して、(読者をほとんど失ってしまった深刻さを除いては)当時、すでに出そろっていたことが、読み取れる。経済的にはバブルの崩壊した90年代を、失われた10年と揶揄されたりするが、文化的には80年代から日本の「失われた50年」というようなものが始まったのではないだろうか。
〈抄録〉
凝縮された言葉へ
谷川「だから、そういうふうに、表現の手段やメディアが非常に多様化してきたというところに、逆に言うとまた、現代詩の持っている一種の特別な質というものが見直されるということもあると、僕は思うのね。そういう形で、詩があまりにも普通の人間の暮らしの中に拡散してきているから、そういうものだけではどうしても満たされないものが出てきた場合に、やはり、詩という極度に凝縮したような形のものを求めるという動きも、ぼくは同時にあるような気がするんだよね。」P.29
現代の意識の表現
大岡「…そうでなくて、どちらかといえば無神経に、平然とお喋りを繋げていくところがある。それは欠点なのか…まあぼくは欠点だと思う。詩というのは、短い言葉でもずばっと言えるところがないと、散文と繋がってしまうからね。…それから、行間の余白が持っている力に、いまは信頼が置けなくなっているということは僕も同感だな。」P.76
谷川「でも、母語のまつわりつくようなものがいやだ、そこから逃れたいというのは、ぼくは戦後詩人に共通してあったとも思うんだよね。」
大岡「うん、あった。」
谷川「だけど、そうやってもっと明晰な個というもの、批評できる個というものを打ち立てようと思ってがんばってきて、ふっと気がついてみたら、もう核家族の世の中になっている。しかもその核家族すら危ういような世の中になっているという感じがあるよね。」P.145
現代詩の抱えている問題という点に関して、(読者をほとんど失ってしまった深刻さを除いては)当時、すでに出そろっていたことが、読み取れる。経済的にはバブルの崩壊した90年代を、失われた10年と揶揄されたりするが、文化的には80年代から日本の「失われた50年」というようなものが始まったのではないだろうか。
〈抄録〉
凝縮された言葉へ
谷川「だから、そういうふうに、表現の手段やメディアが非常に多様化してきたというところに、逆に言うとまた、現代詩の持っている一種の特別な質というものが見直されるということもあると、僕は思うのね。そういう形で、詩があまりにも普通の人間の暮らしの中に拡散してきているから、そういうものだけではどうしても満たされないものが出てきた場合に、やはり、詩という極度に凝縮したような形のものを求めるという動きも、ぼくは同時にあるような気がするんだよね。」P.29
現代の意識の表現
大岡「…そうでなくて、どちらかといえば無神経に、平然とお喋りを繋げていくところがある。それは欠点なのか…まあぼくは欠点だと思う。詩というのは、短い言葉でもずばっと言えるところがないと、散文と繋がってしまうからね。…それから、行間の余白が持っている力に、いまは信頼が置けなくなっているということは僕も同感だな。」P.76
谷川「でも、母語のまつわりつくようなものがいやだ、そこから逃れたいというのは、ぼくは戦後詩人に共通してあったとも思うんだよね。」
大岡「うん、あった。」
谷川「だけど、そうやってもっと明晰な個というもの、批評できる個というものを打ち立てようと思ってがんばってきて、ふっと気がついてみたら、もう核家族の世の中になっている。しかもその核家族すら危ういような世の中になっているという感じがあるよね。」P.145
「ふう ふう」
ふう ふう
なあ おっさん
希望はもういらんな
若いときはええけど
今となっては
しんどいだけや
いるのは
やらしい欲望やで
欲望を
うどん粉みたいに
こねて叩いて
うすく延ばすこっちゃ
おれらの
まな板の端までな
ふう おっさん
曇った目がね拭いて
見てみい…
ちゃう、ちゃう
誰がねえちゃんのミニスカート
覗いてみいゆうた
びっくり箱
ちゃううんやで
百年たっても
なにも出てけえへん
新聞の顔やがな、顔
生き残っとるのは
顔見ただけで
ふう ふう
どすけべいやがな
希望なんか
関係あれへん
すけべいの順番で
えらなりよった
なあ おっさん
黙っとるけど
この素うどん
うまいなあ
ふう
ふう ふう
なあ おっさん
希望はもういらんな
若いときはええけど
今となっては
しんどいだけや
いるのは
やらしい欲望やで
欲望を
うどん粉みたいに
こねて叩いて
うすく延ばすこっちゃ
おれらの
まな板の端までな
ふう おっさん
曇った目がね拭いて
見てみい…
ちゃう、ちゃう
誰がねえちゃんのミニスカート
覗いてみいゆうた
びっくり箱
ちゃううんやで
百年たっても
なにも出てけえへん
新聞の顔やがな、顔
生き残っとるのは
顔見ただけで
ふう ふう
どすけべいやがな
希望なんか
関係あれへん
すけべいの順番で
えらなりよった
なあ おっさん
黙っとるけど
この素うどん
うまいなあ
ふう