尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

「人は海から来たのに」

2009年02月28日 23時28分06秒 | フォトポエム
昨日
暮れても暮れなかったものが
またしても今日
明けても明けないのだ

その時
海鳥が三羽
視界を横切った
というほかに
この世界を説明する方法は
あるのだろうか

海を怖れるのは何故だろうか
死にたくないのは何故だろうか

人は海から来たのに
海へ帰った人は
ひとりもいない

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正義

2009年02月27日 00時17分33秒 | 詩の習作
愛を想い描くことのできる人間にとって
愛してしまうほど簡単なことは他にないのだ
愛を想い描くことのできない人間にとって
愛してしまうほどいかがわしいことは他にないのだ
恨んで戦争をしかけるほうがまだ正義に思えるのだ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅が咲いた

2009年02月25日 22時37分16秒 | 詩の習作
梅が咲いた
誰かが灯すにちがいない
梅の明かりで
人だけが過去である
とわかる

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砂丘

2009年02月24日 23時53分35秒 | 尾崎まことの「写真館」
2008.2/15.鳥取

「海と砂丘」


こんなに
鮮やかな拡がりのなかで
わたしとは何であろうか?
時間は妄想ではなかろうか?
もうわたしは
一本の樹のような
言葉にさえなれないのだ

海風が
わたしに代わって答えた
そのときわたしは
風景の影
つまり端的に
記憶である

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[tuki]

2009年02月23日 23時51分27秒 | 尾崎まことの「写真館」
「始祖の鳥」


わたしが後を
つけてくるツキを見ているのか
ツキが
壊れるまでわたしを見つづけているのか

失われた記憶のなかで
ツキが叫びだしそうだった
わたしを認めるのがいやで
わたしが叫ぶよりも少しはやく

母の顔の
始祖の鳥が
夜の空一面に羽を拡げ
はずかしい悲鳴をあげるように

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オルガスムス

2009年02月14日 01時06分09秒 | 詩の習作
たくさんの神様たちが
窓から手を振っている

数珠のような急行列車が
前葉頭を通過するのです

これでしばらくは生きていける
と彼女は言いました

僕だって踏切で
手を振っています

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにかほんとうのことをひとこと

2009年02月14日 00時50分22秒 | 詩の習作
なにかほんとうのことをひとことでも
誰かに言ってみたい
と思う夜を過ごしたことはありませんか?

そんなときぼくたちは嘘もつけない
不思議な夜にいるということ
をやっとあなたに言ってみました

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千年の孤独

2009年02月13日 00時07分50秒 | 詩の習作
ミステリアスな闇と星のなかに
千年を立ち続けるだけだったら
この樹はこんなにも寂しくはならないだろう
朝が来て闇と星が去り
陽光が震えている梢の先端まで照らし出すとき
彼は自分の孤独で黄金色に体を染めるのだ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改札

2009年02月12日 00時24分34秒 | 詩の習作
この世の改札口で
到着駅も知らずに
言葉という切符を買った
車窓から腕を伸ばし
いま切符をとばさんばかりにしている

運転手には会えないだろう
しかし車掌はやってくる

言葉を買ったくせに
客はだれもしゃべらない
口元でひらひらさせるばかりだ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動物学校

2009年02月11日 23時46分14秒 | 尾崎まことの「写真館」
「交差点…写真考」


詩というものは、
言葉に頼っていることからして、
どこか人間的なおめでたいところがあります。
詩人というものの孤独は、つまるところ通じると思っていたはずの言葉が
意外にも通じなかったということで、
中也にしろ朔太郎にしても、お坊ちゃんのような、
どこが間の抜けたところがあります。
かれらは言葉をあきらめていないのです。
もちろん、その純粋な失意が、日々言葉が通じない非情の世界に生きていて、ほんとうのところ、言葉をあきらめている凡人のわれわれに感動を呼び起こすのです。

さて、カメラをぶら下げて歩くだけで、
普段は気がつかず通り過ぎてしまっている
面白い被写体に出あうことができます。
不思議なことに僕は
いつも自分にしゃべりかけながら
写真を撮っています。
時間の流れの中にありながら
時間を切り取っていくということ、
その切り取り方が、道具と偶然に便りながら
もうひとつの自分であるということなど、
いつもファインダーの中は、
非情と情の交差点にあります。
そして、非情と情は立体交差になっており、
俯瞰の位置からは交わって見えるはずですが、実はどこまでも
擦れ違っているのです。
シャッターを切る前後に、
僕は、ただしゃべり続けます。
その言葉は、誰かに通じると言う望みから、
全く見放されています。
だから、撮るのです。
撮っているのは僕ではなくて、
言葉のすれっからし、
かもしれません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009年02月11日 22時48分11秒 | 詩の習作
もう少しで春である
たとえばバスに乗り合わせた
見知らぬひとの
指先のひとついひとつが
陽光をあびて透きとおり
小さな顔に見えたりする

若い手ばかりではない
苦労した手もあるが
その先はみな
新芽のように明るんで
空へ伸びようとしている
空があまりに高いので
もじもじ
鼻などかいたりしている

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結果と原因

2009年02月10日 00時31分47秒 | 詩の習作
愛さないということは
もっとも簡単な
人生の結果
もう
なにもかも
終わりだということ

愛するということは
もっとも簡単な
人生の原因
これから
なにもかも
はじまるってこと

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書斎

2009年02月09日 23時54分30秒 | フォト日記


六畳の部屋から、正面奥に見えているパソコン部屋(二畳)を撮りました。
床に散在しているのはカメラバッグ類です。
掃除もきらい、整頓もきらい…ほとんど小屋状態です。
(僕は豆類が好物なので、食べかすのせいでしょうか、
細君は鶏小屋の匂いがすると言ってます)

悩みはこの部屋が二階にあることです。
だいぶ処分したり、一階に移動しましたが、
それでも本の重みで家が少し傾いて来ました。
床がぬけないか心配です。

自分がなんのために本を読んでいるか、
僕の場合、はっきりしています。
あるかなしかの「希望」を細々とでも維持するためです。
もし本を読まなくなると、もっとすごい詩を書いたり、
もっとすごい写真を撮ったりするだろうな、と思います。
でも絶望したらおしまいですからね。
…ということで、自分の底が抜けるよりも、二階の底が抜ける可能性を
選んでいるわけであります。エヘン!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙のまんなか

2009年02月09日 23時12分42秒 | 詩の習作
真っ昼間
わたしにしか聞こえない
声がきこえる
たぶん宇宙のまんなかから
昨日の
わたしの声が聞こえる
わたしはここにいるのに
明日の
わたしを求める
昨日の
わたしの声が聞こえる

真夜中
宇宙の壁に
背中をくっつけながら
わたしは書いている
明日
宇宙のまんなかにいる
わたしにしか
届かない手紙を
昨日の
宇宙のまんなかにいる
わたしのために
落っこちそうな端っこで
書いている

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真「植物園」

2009年02月08日 23時28分00秒 | 尾崎まことの「写真館」
黄昏時の少し前
西日を受けて
突然輝きはじめるのは
天王寺公園の正門から見て右側の動物園ではなく左側にある
ガラスの植物園です。
熱帯植物の植わっている植物園の室内は、
もちろん温室ですがあまり人気がなく、
先日訪れたときはたった一人でした。
むせかえる匂いは、僕にとって生のものというより
死に親しいものと感じられ、
こわくなりすぐ退散しました。

植物が吐き出す酸素を動物がいただき、
動物が吐き出す二酸化炭素を植物がいただく…
という関係だけだと、共存共栄ですが、
お互い栄養素として食べ合う関係という意味では
のっぴきならない関係にあることは間違いないですね。

活躍したスポーツマンや芸能人に対して「輝く」という言葉を使いますが、
大嫌いな使い方です。
輝くのは星や月や植物園で充分だと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする