尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

「実存からの冒険」 西 研著

2007年12月31日 23時58分54秒 | 読書記録
再読ですが、今年最後の読書となりました。
僕が学生の頃(30年近く前です)、さかんに云われた言葉で、今、ほとんど死語となった言葉に「実存」と「疎外」があります。
時代の要請で、死語になるべき運命だったかもしれません。
我々の日常というものが、「実存」と呼ばれたものから全面的に逃走した結果であり、疎外されきった人間によって無自覚に再生産されている、ということもできるでしょう。バブル経済の破綻以降、この二つの死語にくらべて、盛んに使われる言葉は「閉塞感」ですが、我々の気分を言い表すにはふさわしいけれど、なんの展望も開けない概念だと思います。

本書は日本に輸入された「ポスト・モダン」の思想がなんであったか、ということを説明し、その勢いで、ニーチェとハイデガーとヘーゲルを、自分がよりよく生きるための人生哲学として読み直し、若い読者に提供しようとしたものです。
暗い顔して読んでから、難しい言葉で皆を煙にまくための「哲学入門書」ではなく、ほんとうにそれぞれの生きる場所で、「よりよく生きるための哲学」になっています。

   【抄録】(P.246)
 
 自分のいままでや現在をなんども考えてみる、という内省の方法だけでは、自分はなかなかみえてこないことも多い。批評というやり方は、共感や反感をもとにして自分を確かめられるというところがいいところなのだ。
 こうやって自分を解きほどいていくことは、コトバの秩序を自分なりに編み変えていく、ということでもある。私たちの〈世界=内=存在〉の了解は、コトバのかたちをとっているから、了解が深まることはコトバを編み換えることなのだ。じっさい、ぴったりしたコトバが見つかると「わかった」という実感がやってくる。

 まさに「これや、わかった!」という経験は、詩を推敲していたり、他の人の詩を何度も読んだりしていて、ついにぶち当たる体験でもありますね。

           みなさん、いいお歳を!!

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愛なんて

2007年12月30日 20時37分40秒 | 決定稿集(カメラオブスキュラ)
愛なんて
まねをして
走ること

水が走れば
ミズバシル
火が走れば
ヒバシル
風が走れば
カゼバシル
星が走れば
ホシバシル
父も走ったろう
母も走ったろう
そして今
君が走った
まねをして
僕が走り出す

僕の
毛が走る
血が走る
眼が走る
歯が走る
声が走る
骨が走る
尾が走る

ケバシリ
チバシリ
メバシリ
ハバシリ
コエバシリ
ホネバシリ
オバシリ
バシリと
バシル

君の上を
いいえ
君の
どまんなかを
バシリと
バシル

そうして
命がつきること
愛なんて

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野も花も工場も

2007年12月30日 14時50分24秒 | 詩の習作


澄み渡る
青い空のことを
鏡のように思う日々がある
なぜその凹面に
都市や野原や山脈が
映し出されていないのか
なぜ微笑むわたしたちの姿が
そこにいないのか
一筋の淡い雲をみつけて
息を吹きかけ
ハンカチで拭いながら
考えたのだ

わたしたちも
野も花も工場も
ほんとうに
青かったのである

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沈黙

2007年12月29日 22時17分40秒 | 詩の習作
一つの言葉で
少なく見積もって
十の言葉が死んでいきますよ

ほら
といって
彼女の指の方を見ると
雪のようなものが
ちらちら
光って
降りてきた

ええ
そうやって
死んだ言葉が降り積もって
あなたも ぼくも
できているのでしょう
と言いかけて
また なにか殺す気がして
曇天をにらんだまま
そのままになった

そのままである

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月と星の折り紙

2007年12月29日 00時10分27秒 | 詩の習作
確かに
希望なしには
生きのびることができない
若い日々があった
それは真昼の星
のようなものであった

しかし
いつしか
見えない星を
信じて歩む
真昼の道よりも
窓辺から
月も星もない
真っ暗な道を望んでいるのだ

月と星の折り紙の手をとめ
疲れた旅人は

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中之島公会堂

2007年12月28日 00時30分40秒 | 尾崎まことの「写真館」

大阪市内で一番きれいなスポットかもしれません。

三脚なしで撮れたのは、感度
800に設定したおかげです

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どうどう(リメイク版)

2007年12月27日 22時14分35秒 | 決定稿集
「どうどう」


あなたとは
会うことはないと思います
すれちがっても分からないでしょう
それでも私はテレビや雑誌や友達が
あまり言わないだろうことを
むしろその反対のことを
あなたの心の黒板にくっきり
伝言したいと思います

愛とか夢とか希望とか
とても大切です
しかしもっと大切なことを
愛なんて夢なんて希望なんて
何もなくても
どうどう生きていきましょう

お猿だった大昔から
ほんの少し前まで
愛など夢など希望など
どこにもなくて
食べていたのは
そんな言葉ではなくて
野ウサギや芋を分け合って
生きてきたのです

辛いことにも負けず
けっこう仲良く
笑って暮らしていましたのに
あちこちの戦争で出来た
国境線をまねたのか
人と人との間にきつい線を引き
おれの愛だのお前の夢だの
おれたちの希望だの
やかましく言いだすようになってから
ご覧なさい
人と人とが共食いを始めた
じゃあないですか

言葉など食えなくても
恥ずかしくはありません
自分より
弱い人を食うほうが恥ずかしい
芋だけ食って屁を放ち
みんなを笑わせて
元気に生きていきましょう

黒板消しで消してしまう前に
もう一つ
そんなあなたは
とても優しいですから
愛とか夢とか希望とか
どうどう生きていく
あなたへの
ほんのおまけです

すれちがっても
わからないけど
またすれちがう人よ
さようなら


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夜のライオン・石のライオン

2007年12月27日 00時22分27秒 | 尾崎まことの「写真館」
夜の都会に吠えています。

息もせず
吠えている
石のライオン

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凧 (リメイク決定版)

2007年12月26日 11時08分01秒 | 決定稿集
「凧」



あなたの姿は
とうとう
見えなくなったけれど
細い絆を
懸命に握りしめている
地上の
小さな手を信じる

風に煽られ
くるくる回っては
胸の結び目に
ピュッと引く
人差し指を感じ
僕はふたたび
青い階段を駈けのぼる


   (前より、わかりやすく素直に表現しました)



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メリークリスマス♪賛美歌~

2007年12月25日 01時09分39秒 | 日記
     (撮影;尾崎)

1980年代は失われた日本の十年ともいわれることがあります。
経済的にはいわばバブルといわれ、日本は(かつて戦争に負けた)アメリカを追い抜いて世界一になったとほぼ全員が、うかれていた時代です。経済だけではなく思想界でも構造主義を標榜する「脱構築」が流行し真理などないのだと言わんばかりに、遊べや遊べの時代を援護していました。
 僕の三十代と重なり、この十年を昆布メーカーの営業をしていましたが、何かがまちがっていると不安でした。今、すべての問題を○○の「システム」が悪いという言い方で、すべて組織や組織間の構成の問題にする傾向がありますすが、実はバブルの時代に、日本人という「人」が、ひとりひとり悪くなっていったのではないかと、僕は思っています。
 さて、毎日の生活そのものが、大切な何かから逃げている、という不安で僕は近所の教会に通ったことがあります。教会といっても路地裏にある小さな個人宅でした。毎日曜、青年のギターに合わせて、がらにももなく感動しながら賛美歌を歌っておりました。二年ちょっと家内と一緒に通いましたが、どうしてもイエスが人間の罪のために十字架に架かった、という一番肝心な教義に納得できずに今日に到っています。
 クリスチャンではありませんが、ふるえるロウソクを胸に抱いて歌う美しい響きに「がんばってや」と心で声をかけました。壮年の時代の希望と不安を思い出し、胸がじーんとしていました。

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時限爆弾

2007年12月22日 22時49分46秒 | 決定稿集(カメラオブスキュラ)
こうして自分の自我をば人類の自我までに拡大し、
結局は人類そのものと同じく私も破滅しようと思うのだ。
(ファウスト)

ということを認めうるほど
自覚的でもないし度胸もないだろうが
今日、人々は
すべてのものが仕掛けられた
時計のなかにすんでいると思っている
どっこい僕だけは
そうはいかない
つまり
僕は時計のなかに住んでいるのではない
しかし
僕のなかに時計が住んでいることを認めよう
そうだ、苦々しくもあるが認めよう
一日が終わると
【今日も爆発をしなかった】
その無事は眉間に小じわをつくり
キリキリ時計を巻き戻すからである
ちょうど一日分だ
あしたが来ないように

ということで
あしたは来ないのである
時はいつも今日である
あした爆発のあしたは来ない
と念仏して爆発はしない
もしあしたが来れば気がつかない

(誰がしかけたか? という問いは空しい)

世界は時計のなかに住んでいる
という近代思想も
夜な夜な深読みすると
なかなか切ない
僕が夜な夜な自分を巻き戻すように
誰かが宇宙の外から手を差し入れて
キリキリ巻き戻しているのだろう
地球という青い時計を
いつも今日であるように


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ファウスト

2007年12月22日 00時54分02秒 | 読書記録
残された人生の時間がどんどん過ぎ去って行くのは、僕も今生まれたばかりの赤ちゃんと同じ条件であるはずだ。けれど、さすがこの歳になるとテレビを見て夢のように蕩尽してしまう時間が、気分転換の他は、もったいなくてできなくなってきた。あした死ぬかもわからない自分であるが、この急行列車は人生の4分3を通過し、終着駅まで残りは4分の1を切った実感を持っている。
そういう焦りのような気持ちもあるのだろう、若いとき何度か読もうとしてそのつど挫折した経験のある本を、今年は意識して読んだ。ハイデッカーの「存在と時間」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、ゲーテの「ファウスト」。
読み終えるためにそれぞれ一ヶ月以上かかってしまったが、後悔はない。


          【抄録】(第一部 P.119)

  ファウスト
君にいったじゃないか、快楽など念頭にないんだと。
私は目もくらむほどの体験に実をゆだねたいのだ…(略)
全人類に課せられたものを、
私は自分の内にある自我でもって味わおう、
自分の精神でもって最高最深のものを敢えてつかみ、
人類の幸福をも悲哀をもこの胸に積みかさね、
こうして自分の自我をば人類の自我までに拡大し、
結局は人類そのものと同じく私も破滅しようと思うのだ。

  メフィストーフェレス
何千年のあいだ、この堅い食べ物を
噛みしめてきた私のいうことをお聞きなさい。
産声をあげてから棺桶にはいるまで、
誰ひとりこの古いパン種を消化(こな)せたものはないんです。
私らのいうことをご信用なさい、この大きなご馳走は、
だた神というやつのために作ってあるんですよ。

 神が使わしたに違いない、メフィストーフェレスを憎みきれる人は少ないと思うが、この最後の怖ろしい一行は、ひょっとしたらゲーテの確信でもあったのではなかろうか?

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あーあーあー!

2007年12月21日 23時20分18秒 | 詩の習作


詩になる前のいちいちの言葉には
眼があり鼻があり口があり耳があり手があり脚があり性器まであって
自分の細胞をかけずり回っているように思うことがある。
それは神経衰弱の兆候かとも思うが
それ以外に言葉などないような気もする。
いつのまにか、自分は言葉で話しをしてはいない
言葉とお話をするだけだ。

話が合わないと
昼間では目がつり上がってくる。
駆け込んだトイレではこんな場合
水を流しながら
ただ、あーあーあーという。
黙っているとこんな真昼
誰がしょんべんしているかも分からなくなる。
つまり、あーあーあー
がしょんべんしていることになる。
しょんべんをするようなお前は
まだ詩ではなかろう
あーあーあ
おまえの正体はロマンチックな悔恨だ
便座から立てよ
立てよ

罪は許された
と誰も言わない
誰も言えない
そして
立つだけだ

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それでも

2007年12月21日 10時20分17秒 | 詩の習作

ついに
瞳は開かれたまま
蜃気楼は信じない
それでも
夢を見るだろう

ひとりの砂漠では
夢が唯一の批評だろう
夢が最後の批評だろう
一滴の涙は
黙りこむ海だろう
海が夢を見るだろう

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プラットホーム

2007年12月18日 00時51分03秒 | 決定稿集(カメラオブスキュラ)


急行列車が
目の前を
すごいスピードで
通過したとき
ドアに体を寄せていた
少女と
眼があいました

いいえ少女は
もう人間では
無かったかも知れません

時間の線路の上を
疾走する記憶が
ほんの一瞬
プラットホームに
立ちつくす
僕を見つけたのです

覚えているのは
名前でも声でも体でもなくて
いつも傷痕です

ひょっとしたら
少女は幽霊
だったかも知れません
それはどうでもよいことです
覚えているということ
以上に



(2007年12月09日 詩の習作を改作)

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