ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

今年最後の更新です。

2006年12月31日 | 木馬の事

 トンボ邸のお餅つきのムービーです。(写真をクリックしてください。)
昨日 恒例のお餅つきが行なわれました。今年は腰痛を押して 我が家のも一緒についてくださり、感謝感激です。かの有名な 竹下景子様と息の合ったお餅つきごゆっくり見てください。

 これが出来上がりです。それにしてもどうしてあんなにいい奥さんに こんなチャランポランの旦那さんなんでしょうね。それが不思議な私です。竹下景子さん今年もトンボさんをお借りして、本当にいつもありがとうございます。

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 暮れに書き忘れたんだけど、忙中閑じゃなくて 閑中閑の木馬での事。
そんなイリコさんだけバタバタしていた店でぼんやりと新聞読んでいたら、思わず噴出してしまった。いや~笑いました、可愛いのよ、この投書のおばあちゃん。63歳らしいけど。中国新聞の「こだま」の欄ですけ。
面白いので そのまま載せます。

「これ以上年金が減って食うていけんようになったら、わしゃあ国会議事堂の前で抗議の割腹自殺するんじゃけぇ」
「食うに困るようになってからじゃぁ、東京までの旅費がなかろうに」
「そりゃ それぐらいは残しとくんよ、片道でええんじゃけえ」
「へぇ じゃが変わったもんよのう。勤めとったころは金も要らなきゃ名も要らぬと毎晩のようにバーのはしごをしとったのに」
「あの頃は給料引きで掛け金払りおうとったけえ、年金はちゃんともらえると思うとったけぇよ。」
「そうそう 私も給料の七割は保証されると聞いとった。」
「それがどうなら、今は給料の半分も口座に入っとりゃせん。」
「そうよのう、まったく当てが外れてしもうた。」
「お宅は二人でがっぽがっぽ年金が入ってうらやましいといわれるが、税金や電気ガス代を引かれた後は酒とタバコがやっとで、さびしい話よ。」
「40年、雨の日も風の日もえっと休まず働いてこれじゃけんね。」
「それにしてもこの冬はさむうなりそうなが、年よりはどうすりゃええんかのう。」
「布団かぶって寝とるより手がないんかねぇ。」

仲良しの御夫婦の姿が目に浮かぶ。
私はこういうの好きで、こういう関係で夫婦はありたいと思っていたので余計に羨ましく笑ってしまった。

 さて今日はお休みです。
イリコさんと大掃除、高いところはトンボです。しもちゃんもかけつけてくれる。(頼んだわけではありません、自主的に来てくれるんですから、あしからず。)

年末になり天気が回復して本当によかった。お掃除がはかどるし、ガラス窓もたちまち綺麗になりました。

明日はお休みです。

1月2日から また営業します。皆々様どうか木馬をよろしくお願い致します。

 晴れ 15℃


今年も色々とお世話になりました。

2006年12月30日 | 四方山話

    

 隣のおやじさんの今年最後の写真です。

昨日は島根県地方は、寒波襲来で、雪 風  霰、の大荒れの一日でした。
トンボに言われた。「こういうえっちゃんみたいに旬の写真は、すぐ掲載せんとだめよ、生のリアルな写真なんだけぇ。」で今日載せました。

 今年はブログでは隣のおやじさんには大変お世話になり、写真が素晴らしいのでブログも冴えました、ありがとうございました。(写真をクリックしてください。)

  2006年も余すとこあと一日、もうじき終わる。
他の人はどうだか知らないが、私はこの一年 もの凄く短かった。前にも言ったと思うが、“おめでとうございます”といって寝て起きたらゴールデンウィークになっていて、又寝て起きたら、お盆になっていて、又寝て起きたら、秋祭りになっていて、又寝て起きたら、暮れになっていたという感じである。あっと言う間とまでは行かないが、あっ~~~~と言うくらいの感じかな。

 でも 今年も数え切れないほどたくさんの方々に来ていただき、笑ったり、元気をもらったり、ブログを続けていてつくづくよかったななぁ と思った一年でもありました。

このブログが始まった時から仲良くしていただいてる大切な方々に加え、今年は遥かオーストラリアからQLDさんも来て下さいました。奥様との会話がユニークで面白いブログです。
出雲弁日記のこまっちさんは、とても優しい孫思いのおじいさまです。
病院嫌いの私にはとてもためになるブログ美樹の部屋の美樹ちゃんもいつも遊びに来てくださりありがとうございました。
そしてmayumiちゃんと同郷の地球によーこそのあやかし姫さまは いつも暖かい優しいコメントで随分と慰められました。
そうそう 北海道から可愛い可愛い、SAORIちゃんも受験勉強の合間に遊びに来てくださりありがとうね。来年しっかり希望の高校に合格するように、お祈りしていますよ。

さて どんじりに控えしは~、素敵な(多分ワタクシメより若いと思う。)フルタイムさん、本当に心にグサッとるような、しっかりしろ!と叱咤激励されるような素敵なコメントを頂きました。

 どうか 皆々様、よいお年をお迎えください。
 来年も このブログ及び 木馬を宜しくお願い致しす。

 晴れ 12℃


頂き物のお料理レシピ。(写真をクリックしてくださいね。)

2006年12月29日 | 料理

  

 

 今週も頂き物でお料理を作ってみました。(時計回りです。)

①ニンジンの昆布巻き。

②大根とぶりの粗煮。

③ふろふき大根。

④ニンジンサラダ。

⑤イカ刺し。 

 おすすめお料理

①ニンジンの昆布巻き。

早煮え昆布に、豚ロースをひき、ニンジン、ニンジンの葉(茹でて灰汁抜きをする。)
をそろえて巻く。爪楊枝でとめて、落し蓋をして和風の出しでコトコトと煮ました。
このニンジンの葉っぱが美味しい。

④ニンジンサラダ

ニンジンを千六本に切る。
このニンジンにサラダオイルをまぶして、レンジで1分くらい(シャキシャキ間が残るように)加熱する。

玉葱 パセリ、をみじん切りにして、シーチキンとあえて、レモン お塩 胡椒、お醤油少々でドレッシングを作り、ニンジンとあえる。
美味しいです。

今年もいただいたら、さぁ どうお料理してやろうかと楽しみなんです。

いただいた野菜はほとんどあますとこなく、全て使わせていただきました。
本当に美味しかったです。

 雪 風強い 4℃

追記

イリコさんに言われた。

「そのちゃん、今後当分の間は 大根はノーサンキューですからね。いいかっこして『まぁ ありがとう、嬉しいです。この大根みずみずしいしね。』なんて言ッたら駄目よ。この際はっきりと、この前頂いたのがまだありますので、なくなりましたら、連絡いたしますからそのときに又お願い致します。というんよ。」

大丈夫よ 切干大根にしますから・・・


今年最後の頂き物。262~273番目。

2006年12月29日 | 頂き物

  

   

  

 

 今年ももう後僅かになりました。

本当にたくさんいただき 感謝の言葉もありません。

お陰をもちまして エンゲル係数もぐーんと下がり、美味しい旬の無農薬ばかりのお野菜で口が肥えてしまい、贅沢になりました。

まとめて載せたお野菜などばらして勘定すると 一日に何か一つは戴いてる勘定になります。

もう感謝しきれません。そしてお返しなど出来ませんが、これからも精一杯の笑顔と美味しいコーヒーでおもてなしをして感謝の気持ちとさせていただきます。

本当にありがとうございました。


つきに見放された乙女(じゃない?)達です。

2006年12月28日 | 木馬の事

 ショッピングセンターの正面玄関です。
昨日と うって変わって昨夜から大荒れの江津です。
自転車がみんなひっくり返っていました。

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 踏んだりけったり・・

風がもの凄く強くて、折角イリコさんが綺麗にしたカウンターの窓ガラスも、見るも無残な姿に。
ここに来てこんなに時化るとは 思わなかった。

 さてさて 今日の木曜日は 今年最後のロト6の日。(以前にも書いたが、イリコさんとケチTと3人で買い続けているのです。)

 「もう 私行きたくない。宝くじ売り場のお姉さんが いつも気の毒そうに『今度こそ当たりますように。』といって鼻で笑うんよ。今年も駄目だったね、1000円が2回当たっただけよね、そうそう買いそびれた幻の高額当選、あれでつきが落ちたんだね。」(これも以前に書いたが、忘れて買わなかっロト6が4等が当たっていて、もの凄く悔しかった事があるのです。)

「イリコさん 行ってよ。」「でも私は車が運転できないよ。」

もう仕方ない、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで(少々 大袈裟?)嫌々行くことにした私。(だって 又きたよ、“木曜日の外れ券のおばちゃん”が と言うような目付きでものすごく気の毒そうな顔で見るんだもの。)

上の写真のスーパーの入り口で、ロト6の申し込みカードを確かめようとエコバックから出したとたんに、風に、「あ~ ~ ちょっと待って!どこ行くの?待って!待って!」

無様な格好で追いかけたけど、国道に飛んでいって見失ってしまった。
もう~ついてない。
仕方なしにもう一度帰って 番号を書き直したけど、さっきの番号は思い出せないし。イリコさんと二人して、又考える。

もしかして 飛ばしたのが当たっていたりしてね。どうせそんなとこでしょう。つきに見放された私たちの運命はね、イリコさん!

 曇り 時々雨 時々雪 5℃


基本的国語力。

2006年12月27日 | 四方山話

 

 夕べの4丁目の夕日です。
ではなくて嘉久志代4自治会界隈の夕日です。辺りが茜色に染まりました。
歩道橋の上から見たら、都野津方面が真っ赤でした。暖かい年の暮れ、いいのか悪いのかは別として のんびりと田舎の一日は暮れて行きます。
右は今朝の歩道橋です。(写真をクリックしてください。)

 今年の師走はまれに見る暖かさと、季節風の少ない穏やかな気候からか、おかげで暮れという慌ただしさも追い詰められたような気も起こらない。私だけかもしれませんが・・もうじき今年も終わりますね。あぁ 早いなぁ。

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 よりによって 国語の先生に言われたらしい。

今日シゲジィが来て言った。
「たかねという字があろう、富士のたかね、あの字をわしは高嶺と書いたら K先生が高根と書くんだといってペケにしやーがった、わしゃ今でも高嶺が正しいと思っている。」

「国語の先生が間違えるわけないよ、自分が間違ったんじゃないの?」とは言ったけど、最近はアナウンサーも時々間違えるよね。
少し前も スポーツ女子アナが、一球(いっきゅう)をひとたまと言ったし、誰だったか順風満帆を、じゅんぷうまんぽと言ったのも聞き逃さなかった。

・・・・まぁ そういっても私も偉そうなことはいえない。基本的国語力なんてまったくゼロに等しいと思っているから。
変換だっていつも間違えてるし、この前なんか吝嗇が読めなくて、辞書引いたし。
それで以前間違えて調べた言葉を書いてみると、

いやが応にも→は正しくは いやが上にも または いやが応でも

知ってか知らずか→ は正しくは 知ってか知らでか

大地震→ は正しくは おおじしんと読む。

上意下達→は正しくは じょういかたつと読む。

これらは このように書かないと変換の文字も出てこない。

 いつも 変換の時に困って お客さんに聞いたり 調べたりする。 確かにその時は「なーるほど」と納得するのですが、又使うときに忘れてしまうので、どう対処したらいいのか、頭悩めているのです。でもこれは基本的国語力以前の問題かも・・・

曇り 雨 午後晴れ 15℃ 暖かい 


植草トンボ。

2006年12月26日 | 木馬の事

 ラスベガスと見間違うほどキラキラ、チカチカ、(ラスベガスに行ったことないけど。)
 この季節になると毎年 木馬の近くの新川沿いに飾り付けられた、このイルミネーションを見るために大勢の人々で賑わう名物光景です。
私もデジカメで撮影に行ったのですが、なんせ カメラもおもちゃ、腕もまったく駄目で、映像が流れるんです。で、困った時の隣のおやじさん頼み。
お願いして撮影して頂きました。

都会と違って明かりの少ない田舎の事、鮮やかさと美しさに見とれてしまいました。

  あわてんぼうのサンタクロースじゃなくて、忘れんぼうのサンタクロースかな?
しもちゃんが、色々と気にかけてくれて 今日クリスマスケーキを買って来てくれました。「お父さんにも、おばあちゃんにもあげて」と。
ここのところ この時期になると落ち込んでいた私。ありがとう、しもちゃん!

早速イリコさんと半分切って それをまた半分に切って頂きました。
いつものように、ぺティナイフについた生クリームはイリコさんと半面づつ指でぬぐって舐めたのは、いうまでもありません。ティッシュに食べさせるのはいかにも勿体ない。しかし冷蔵庫に入っている残りが気になる私達。我慢、我慢、太るものね。折角ダイエットに成功したのにね。あ~それにしても気になる。

  いやはや、なんとも、返す言葉もない。
今朝ヘルメット姿で現れたトンボ。
「何?その格好は?」
「朝 起きたら腰が痛くて、歩行も困難な状態で、車の乗り降りもままならないから、バイクで来たんよ。」
「それはわかったけど、ヘルメットは取ったら?」
「転倒した時の頭部の保護のためよ。ここはヘルメットかぶってコーヒー飲んじゃ行かんのかね。」
丁度コーヒー飲んでた隣のおやじさんが、私達の会話を聞いて思わず噴出してしまった。
すかさずトンボが隣のおやじさんに言った。「おやじさん!そうは言ってもおやじさん!おやじさんは年がら年中、光沢のあるヘルメットまがいのような物を身につけているじゃございませんか?おやじさんは転倒しても毛我がないでしょうが、私は近々餅つきのイベントが控えてますので、怪我するわけにはいかないんですよ。」
もうー 大爆笑の木馬でした。

 イリコさんの逆襲が始まった。
「竹下景子さんが、襲ってきたんじゃないの?女コニシキの・・」
トンボは今日ばかりは腰を抑えてしてやられたというような顔をして「いつ景子は近づいてきたんだろう、自覚症状がないんよ。」とバカなことを言っている。
 しかしよほどこたえたのか、いそいそと病院に行くトンボ。
若くて美人のスタッフばかりと評判の某整形外科に行ったみたい。

午後になり、又ヘルメット姿でやってきた。開口一番、
「ナーンとえっちゃん、綺麗なスタッフばかりで、腰の辺りを触ってくれたら もう夢み心地で、安物の風俗店に行くよりよっぽどいい。出来る事なら座薬も入れて欲しかった。@アットさんは誘おうにも遠いので、こういう話はジンちゃんよ。萌ちゃんよりいいよ、一緒にどうですか?

「で、 どうだったの?腰の症状は?」
「レントゲン撮ったけど異常なし、今日の治療はブロック注射と電気治療よ、明日から暫く電気治療に通院だ。少し楽しみ、フフフ・・」

この助平ェ おやじが・・・

曇り 15℃ 


未完

2006年12月25日 | 私ごと

 この場をお借りしてお礼申し上げます。

 今日は夫の祥月命日です。
あの日以来 もうどうなってもいい、と自暴自棄になった日々。
私に繋がる多くの人たちの暖かい励ましが、どれだけ私に生きる望みを与えて下さったか・・・ 
本当にいつも支えてくださりありがとうございます。

トンボが言った。「いつまでも、いつまでも、悲しい、悲しいといって。お父さんは天国できっと楽しんでいるわな、天国はいいとこなんよ、それが証拠に帰ってきたものが誰一人おらんだろう。」と丹波哲郎のような事を言う。

 そんな私達がライフワークと決めていたのは、夫が6号で休刊していた同人誌の「瓦」をまた自費出版することでした。でもその思いを遂げることなく逝ってしまいました。私一人ではとても遺志を継ぐことなど出来ません。残念ながら私にはセンスがないのです。
そんな私がこの同人誌に参加したのは5号からでした。
私事ですが、その当時の思い出話を書かせてください。

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 ある夏の日。・・・昭和40年

 「随分 遠いね。」
圧し付けられるようなジリジリした陽射しと、せみ時雨の昼下がり、私は砂利道を歩きながら言った。
 私は白いつば広の帽子にノースリーブの花柄のワンピース、白いサンダルを履いて、スケッチブックを抱えてお昼前の汽車に乗った。
 
 浜田駅には 彼が迎えに来ていた。お百姓さんがかぶっているようなひさしの付け根に黒いビニールのリボンを巻いた麦藁帽をかぶり、風に飛ばされないように白い紐が首に絡みついている。足元は下駄を履き、白の綿パンに紺のポロシャツ姿だった。麦藁帽子には180円の値札が付いていて笑った。途中で買って来たらしい。

 彼はいつもというより仕事以外はすべて下駄履きだった。いつだか聞いた事がある。
「下駄が好きなの?」
「下駄は日本人が考え出した最高の履物だよ、指に力を加えることで、つぼに刺激を与えるし、踏ん張る事でしっかり歩ける。だいいち駅のホームのベンチで寝るときなど二つあわせたら枕の代わりになる。」そういった。

  汽車から降りて来た私を、上から下までいくぶん眩しそうな目つきで まじまじと見つめて、「いいね、ワンピースは好きだよ。」と言った。
  
 初めてのデートは、生湯にある亀谷窯業所だった。汗かきの私は、砂利道のゴロゴロとした石ころに脚をとられてサンダルがすべり、くねくねしてとても歩きにくかった。歩きながら路の途中で、暑さで伸びきったような蛇を何匹も見た。
青い2トントラックが砂塵を上げて通って行く。そんな砂利道の道端にはススキが茂り、その茂みの中に小さな対のお地蔵さんが赤いエプロンをかけて立っていた。
入道雲に遮られた坂の砂利道を見上げて、私は少々うんざりしながら歩いた。
 
 亀谷窯業所では日曜日だというのに機械の動く音がしていた。よく聞くとそれは一定のリズムでガチャガチャガチャガチャと聞こえていた。工場の中は風が通り汗ばんだ身体や顔にひんやりとした風は心地よかったが、粘土の乾燥したような匂いが充満していた。私は汗で髪の毛がへばりついた首筋を何度もハンカチで拭った。
彼は入り口にある事務所に入り 工場の人と雑談していたが しばらくして出てきた。機械の動く音で聞き取りにくかったが、「スケッチを許してくれたから、危なくないところで描かしてもらって」と言った。 

 うまく描けるかどうか不安だったが、粘土で出来た瓦がいたるところにまるでドミノみたいにお互いに重ならないように規則正しく干してあり、違う種類の瓦を何枚かスケッチした。
「もういい」と言うと彼はスケッチブックに目を通して、「じゃ帰ろうか?」事務所の人にお礼を言ってまた同じ道を二人で歩いた。
来る時見つけた食料品店の前まできたら、「ちょっと待って。」と言いながら店に入ってラムネを2つかかえて出て来た。
汗をかいた後でもあり水滴のいっぱいついた瓶を一気に飲んだら 冷たく冷えていてとても美味しかったが、のどがチリチリして涙目になった。
帰りの駅までの道のり、「次回の“瓦”のカット(挿絵)に使うよ。」と彼は言った。  

 

 そうして 出来上がったのが「瓦」の5号でした。

彼の記事が(未完)となっているのが、悲しい。

 晴れ 18℃ 今日も午後から暖房なし。


天皇誕生日

2006年12月24日 | 四方山話

 波子海岸・・・昨日のことです。
 

 お昼のローカルニュースで、アクアスの街路地に植わっているツツジが狂い咲きをして驚いていると流れていた。

丁度そこへケチTがやってきたので、「アクアスに行こう。あんたみたいに狂い咲きの写真を撮りに行こう。」と誘ったら流石にそんじょそこいらのケチとケチの度合いが違う。
「車は どの車か?」という。
「勿論 あんたの車よ、私のぼろマーチじゃ 乗り心地もよくないし、音楽も聞けないし・・」
「ガソリン代は?」
「あんた 本当にドケチだね、あそこまでいくらガソリンがいる?」
よく考えてみたら私が一番ケチかもしれないが、あんた男だろ!とにかく引っ張って出かけた。

 流石に シーズンはずれなのか、天皇誕生日の祭日にもかかわらず、ほとんど駐車場もガラガラ。しかしどこを見渡してもツツジの咲いている街路地は見当たらず、仕方無しに波子の海岸を写して帰ることに。
今年の夏は酷暑だったのであれだけ賑わっていた海水浴場も 今はひっそり。

その日本海の水の色が、水平線の辺りは濃い群青色、次第に色が薄くなる。空の青さにぼかしのような縁取りのような色はどうしてできるのだろうか?
そしてどうして毎日色が違うのだろうか?
潮の流れと 太陽の当たり具合と、周りの気温の変化でそのように日々違って見えるのだろうか?
誰か教えてください。どうして日によって日本海の色は違って見えるのでしょうか?
太平洋はこんな現象は起きないのでしょうか?

 さて 話は少しそれるが、最近祭日に日の丸を掲げている家庭が少なくなったように思えるのだが、今日は天皇誕生日だからか、国道沿いの家に日の丸を掲げた家を何軒か見た。で私なりに日の丸、君が代を書いてみました。

 私は 難しいことは全然わからない単純思考回路の人間だけど、安倍政権の教育基本法改正とは、「愛国心」を養う心というもある。
私達の少し前の子供達は学校で教育勅語なるものを唱えさせられたけど、私の小学生の頃は元旦は学校へ行き、講堂に集まり、日の丸に一礼して、君が代を歌い、新年の挨拶をして祝ったものだけど・・・
いつからかこういうのもなくなったね。

 戦争体験世代の中に根強くある、君が代への反感 それは、戦時中には大日本帝国の象徴として使われたということだから、まぁ 鈍感な私もわからなくもないが、しかし 私はぼんやりしてとぼけているから、「日の丸」「君が代」に何の情念もイデオロギーももっていなくて、国旗 国歌は必要だと普通に思っている。

 とは言うものの、「君が代」は古今集以来千年余の歴史を持っているということは、あながちおろそかに出来ない重さではあるよね。
 
 何はともあれ オリンピックで選手が金メダルを取り、君が代が流れて日の丸が上がると涙が出るほど感動するのも愛国心だと思うのだが・・・

話はまたちょっとそれるのですが、久々に登場の某スーパーの店長
コーヒー飲みながら「今日は祭日だったんだね。」
「店長 天皇誕生日ですよ。」
「お客さんに、『今日は天皇誕生日だから日の丸を掲げんさい。』と言われたが、自分の誕生日も過ぎてから思い出すのに人の誕生日なんか知らん。といったよ。」

日の丸も以前お正月に掲げていたら子供がはずして振り回して遊んでいたから、もうやめたといってました。

 

 

 この暖かさは異常では?  勿論晴れ。エアコン要りません。


頂き物のお料理レシピ。(写真をクリックしてくださいね。)

2006年12月23日 | 料理

  

  

 頂き物のお野菜で作りました。(時計回りです)

①大根の皮とニンジン、糸こんにゃくのキンピラ。

②里芋のゆず味噌田楽風。

③大根のカクテキキムチ。

④太葱とがんもどきのふくめ煮。

⑤春菊の胡麻和え。

⑥いろいろお野菜の豚汁。

⑦白菜のお漬物。

今週はポピラーですから 作り方は書きませんが、ゆずたっぷりと、葱たっぷりと贅沢に使わせていただきました。

晴れ 15℃  暖かい。