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ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

(5)「邪魔」奥田英朗著(講談社)・・3/14読了

2011年03月20日 | 本の事

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<あらすじ> 
不良仲間とつるむ渡辺裕輔、妻の死後、不眠症に悩む刑事久野薫、念願のマイホームを手に入れ、家族四人で暮らす平凡な家庭の主婦及川恭子。三人の人生は、ある一つの事件をきっかけにして、静かに狂い始める。それぞれの抱える裏の事情がもつれ合いながら、互いに追い詰められていく彼らに訪れた、最終局面は・・・・

やっぱり奥田英朗は面白い。
『最悪』『無理』との三部作と言われていて、両方ともとても面白かったので、いつか読みたいと思っていた本。
手法もテーマも大体似ているが、『最悪』でいちばん目立っていた人物は鉄工所のしがない社長さんで、『邪魔』はパートの30代主婦なのだ。大藪春彦賞受賞ということだけど、やはり相変わらず心理描写がうまいし面白い。ホントどこにでもいる普通の人がドツボにはまっていく心理というか、とても他人事じゃないと思った。

もうひとつこの小説のテーマは、井上刑事が不良少年祐輔に言った言葉。
「人間、将来があるうちは無条件で幸せなんだよ、それから先はぜんぶ条件付きだ。 家族があるとか、住む家があるとか、仕事があるとか、金があるとか、そういうものを土台にして乗っかってるだけだ。」

テンポが良くてすらすらと読んでしまったのですが、でも、ラストが不思議と清々しかったのは救いかなぁ・・・
人間、どうにもならないところまで堕ちててしまえば、意外に「後は野となれ、山となれ」って言うように開き直れるものなのかも・・・

そんな思いで読み終えました。

とても面白かったです。


(4)青べか物語・・山本周五郎著(新潮文庫)・・3/3日読了

2011年03月06日 | 本の事

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山本周五郎は昭和の初めに千葉県浦安町に移り住み、そこでの見聞・体験をもとに構築したのがこの『青べか物語』だということらしい。といっても、この作品はあくまで小説であって、舞台は浦粕町という架空の町名であり、江戸川ではなく根戸川が海にそそぐ河口の漁師町という設定となっている。 
町の人たちから「蒸気河岸の先生」と呼ばれる「私」の一人称で語られており、長短30余に及ぶ挿話が一編の長編小説を構成しているという不思議な物語なのだ。

時々吹き出したり、そうか、昔の千葉はこうだったのか、と思えたり、とても面白かった。
今のディズニーランドのあたりですよね。

山本周五郎はとても心根の優しい小説が多いので大好きなのだけど、この物語も、貧しい中にも、時には狡猾に、時には人生の悲哀を織り交ぜながら、きれいごとではなく、貧しいことは辛く、哀しい、だが、そんな中でも生きのびようとする人間のたくましさが、赤裸々にさらされてたように思えた。

おわりにの章で、『私は浦粕から逃げ出した。その土地の生活にも飽きたがそれ以上にこんな田舎にいてはだめだ、ということを悟ったからである。』
ぶらりと浦安にスケッチに出かけ風景が気にいったから住みついたという割には、そんなことを書いている。
でも8年後に再訪、さらに30年後の再々訪の物語を通し、あの時代、ほんの数年住み着いた主人公と、その土地で生きる人々との関係はいったい何だったのか、長い年月をかけて主人公に考えさせているのも、とても興味深かった。
そしてここに行きたくなかった理由もおかしい。
それは小説のネタにしているからだ。登場人物に会いたくないからだ。

山本周五郎やはり、大好きな作家です。


(3)「苦役列車」・・(西村賢太著)を読む

2011年02月25日 | 本の事

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芥川賞第二弾です。
とても偉そうですが、今回の芥川賞は二作とも久しぶりに、本格的な小説ではないかと思いました。
それほど面白く読みました。

そして二人は普段の生活が天と地、雲泥の差とでもいいましょうか、深窓の令嬢と、日雇い作業員、その日暮らしの男性がダブル受賞したのだから、それもとても興味がわくというもの。
とにかく、生活環境、風貌、小説へのアプローチの仕方など、すべての面で対照的、いやぁ、小説の種類ってこんなにあるのですね、表現形式の持つ豊かさとでもいいましょうか、そう思わせてくれたダブル受賞はよかったなと思ってしまいました。

辛口審査員の石原慎太郎も久しぶりに『体臭の濃すぎる作品だけど、この作者の「どうせ俺はーー」といった開き直りは、手先の器用さを器用さを越えた人間のあるジェニュインなるものを感じさせてくれる』と、絶賛していた。
ジェニュインっていったいどういう意味なんじゃ、と調べてみたら、「正真正銘の、本物」ということらしい。なら最初からそういえばいいのにね。

で、この小説はいわるゆ私小説で、著者の十代から、二十代のころの劣悪な生活体験を描いたもので、主人公貫多は中卒で 父は性犯罪で逮捕、友も恋人もいない。日雇い仕事で知り合った同い年の専門学校生日下部と友だちのようになり、いっしょに酒を飲んだり風俗に行ったりするが、日下部交際相手の女子大生美奈子と三人での酒席で取り乱し、結局かれらとは住む世界が違うのだということを思い知らされ、それから数年経ってもまだ日雇労働の日々、ポケットには藤沢清造の私小説だけがあった。

というもので、「破滅型私小説」です。
私小説って、私は太宰治が一番にあげられると思っていたが、田山花袋の「蒲団」が始まりなのですってね、新聞に書いてありました。

中卒でも逮捕歴があっても、文才のある人はいいですね。
「風俗に行こうと思っていたけど、受賞が決まっていかなくてよかった。」「こんなダメ男がいると知ったら、ホッとする人もいるんじゃないか」
受賞の弁もおかしいです。

雲り時々 薄晴れ 13℃ 


(2)「きことわ」朝吹真理子著(文芸春秋)・・1/16日読了

2011年02月17日 | 本の事

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 本屋にて文藝春秋三月特別号を購入。
芥川賞を受賞した二作品が全文掲載されているから。
で、早速、「きことわ」を読んだ。

”きことわ”とは、主人公の二人の名前からついたもの。
貴子は葉山にある別荘の持ち主の娘、永遠子はその別荘の管理人の娘で、永遠子のほうが七歳年上。
この別荘で小学三年生の貴子と、高校一年生の永遠子がまるで血のつながった姉妹のように、持ち主の母親の運転する車でやってきて、楽しい充実した日々を過ごすのだ。
母親の死によって二人は会わなくなるが、別荘が処分される事態になったため、二十五年ぶりに再会する。
二人で片づけ物をするうち、様々な道具や物に絡んだ時間が出没し、彼女らの過去と現在の生きてきた様子がシャッフルして書かれている。
記憶や行動、そして夢の中の回想や現実、そして過去の人物、年齢の違いや、それらが入り混じり、時々行きつ戻りつして繰り返し読む。
祖母、母、永遠子、その娘4代の繋がりと生の煌めきというか、女性の老いが、髪をとかす行為の中に鮮やかに描かれる。
また 最初、貴子の母の車の中で素肌をからみ合わせ、互いの腕や足がどちらのものかわからなくなったり、髪の毛がどちらのものかわからないといった描写には、うーーーん凄いと思った。
うまく書けないけど、この物語のテーマは一時間が十日になったり、五年が三秒で済んだりと
瞬間と永遠とがもつれてふとしたうちに百年千年と立ってしまう。
 というようなことではないかと。勝手に思ったのでした。

うん、これぞまさしく芥川賞だ、と思えるようで、読み応えがあり、ある意味すごく古典的な小説で、久々に征服したなぁ、と思った小説でした。

雨 10℃ 


(1)魂萌え!・・桐野夏生著(新潮文庫)1/10読了

2011年02月16日 | 本の事

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 今年はトンボが本を買わないといっているので、新刊が読めないのがさみしい。
そんな時、ジンちゃんが、「これ、ママさんにお勧め!」といって見せてくれた本です。
初めて読む桐野夏生。

63歳で夫の隆之が突然逝ってしまった。残された妻の敏子は59歳の平凡な主婦。
小津安次郎の映画の主婦を思い出してしまったが、それほど古い感じの中流階級の敏子。それほど平平凡凡と生きてきたであろう敏子が、夫の死後発覚した愛人に驚き戸惑う。さぁこれからどうするの。
しどろもどろの敏子の優柔不断さにイライラするも、それでも前向きに生きて行こうとする姿が描かれていて、うん、そうこなくちゃと自然に応援しているのだ。

夫に先立たれたのは私も同じ、そんなこと頭に描きながら読んでいった。
敏子は夫の死によって、なにも知らなかった自分に気づき、今まで置かれていた立場を自分の心に説明することが出来ず、ひどく混乱するのだ。
それはこれから先の生活上の不安もさることながらそれより、夫の生前中から既に起きていた様々な家族の問題を、知らなかったというより、避けてきたことにあるのだ。

私もこの主人公と同じ経験をしていてよくわかるのだけど、主がいるということは、世間の嫌な風も受け止めてくれ、ワンクッションおいて、感じることができた。
温かい胸にすっぽりと埋まっていれば安心して生きて行けた。一人になるとそういうことも含めてすべて自分で立ち向かわねばならない。いざその立場になると、立ち向かう気力も術も薄れているということ、そして自分はなんて無力で つまらない人間のだと思うのだ。
敏子は家族が恙無く暮らしていれば、なにも問題はないと思っていた。が突然夫に死なれて、恙無くという言葉が、本当の孤独を隠していたということに気づくのだ。

しかし、これではいけない、しっかりしなければと、次第に自分の言葉で自分の足でちゃんと歩く姿が描かれていて、やっと安心させられる。
たった8ヶ月の間に、いろいろな経験も、問題も経験し、最後は少し騙されて、簡単に人を信じてはいけないとも学習する敏子でした。

ジンちゃん、なかなか面白かったです。有難うございました。

晴れ 10℃


(53)獅子のごとく(講談社)黒木亮著・・12/25 読了

2010年12月26日 | 本の事
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 <ストーリ>
就職した邦銀に実家を破綻処理され、暗い執念を抱えた男・逢坂丹。留学先の米国で投資銀行に転職した逢坂は、ひたすら勝つことにこだわり、違法すれすれの手段も厭わない獰猛な“獅子”となって、バブル真っただ中の日本へ舞い戻った。
官僚の接待漬け、小泉改革、リーマン・ショック─激動の日本経済を背景に、頂点を目指して闘いつづける男の光と陰を描き出す、著者真骨頂のリアルフィクション。(「BOOK」データベースより)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今年最後の本。
面白かった。
多分私が今年読んだ本の中でベスト10には入ると思う。

いやぁ それにしても少し前 勝ち組、負け組とか、時代の寵児とか言われて騒がれていた時、もう少し新聞や週刊誌を読み流さずに じっくり読んでおけばよかったとつくずく思う。

「あんたには少し難しいかもしれんよ、経済小説だけけ、でも読むんなら2日で読みんさい。旬の本は旬に売れないと売れ残るからね。」といって見せてくれたのだけど、どうしてどうして、読みだしたら辞められなくなってしまった。

読み終えた感想は一言でいえば、『一将功なりて万骨枯る』
「あたしは成功して金持ちになりたいんです。世の中、金を持ってる人間が一番強いじゃないですか」
実家に関する出来事がきっかけで、そう公然と口にする逢坂丹は、大手都市銀行を経て、米系投資銀行で、パートナーにまで登り詰める。
その銀行に実家を破綻処理された逢坂丹は心に闇を抱え、当時の銀行上司檜垣に復讐を誓うのだ。

出世競争が激しい投資銀行に入ってからは、目的を達成するためには手段を選ばなくなっていき、それは年々エスカレートしていった。人をたらしこむのがうまいが、他方で、利用価値がなくなった者に対する見切りも早い。当然、敵が多くなるわけで、法律すれすれの人生を突き進んでいくことに・・・

というわけで、難しい経済用語や説明の部分は飛ばして読んでも十分楽しめるし、それに実在の人物がバンバン出てきて え??ええんかいなこんなこと書いてと思ってしまう。
そしてそのように見れば村上ファンドの村上さんや、ライブドアの掘江さんなど、この本ではまだまだ子供扱いされてるなぁと思う。
ライブドアのフジテレビ買収によるホワイトナイトや、楽天のTBS株買いの話も書いてある。
官僚の接待漬け、小泉改革、リーマン・ショック等々・・・
日本の経済の有り様はこういうことなのか、ノーパンしゃぶしゃぶとはこういうことだったのかぁ・・
お金儲けは運だけではない、やはり頭がよくなくちゃ。
そういう意味でもとても興味深く読みました。

雲り時々雪 4℃

(52)「硝子の葦」桜木紫乃著(新潮社)・・12/19読了

2010年12月24日 | 本の事
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この本と、後一冊で、今年のブックレビューは終わります。
読んだ端から忘れてしまうという、悲しい現実に打ちひしがれながら書いています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 面白かった。
どれくらい面白かったかといえば、昔、松本清張が次々とベストセラーを発表していた時、ちょっとこの作品は書きすぎて疲れが出ているかな といった時のような感じです。

<あらすじ>
愛と憎しみは、相殺できるの?母の愛人だった男が、私の夫。愛なんて、最初からなかったはずなのに。意識を失ったままの男。漆黒の骨にしかなれなかった女。狂い出した日常-怪物たちが覚醒する。「BOOKデータベース」より・・・

というわけなのですが、
飲み屋にいた厚岸署の刑事は、店を震わせた大きな衝撃に驚いて表に飛び出した。彼は、一軒のスナックがすさまじい勢いで燃えている光景と、中に人がいると叫ぶ男を目撃する。
そして幸田節子という厚岸出身の三十歳の女性の遺体が見つかる。そこから物語は、この女性の過去へさかのぼってゆくのだ。

釧路湿原を見下ろす丘の上に建つそこそこのラブホテルのオーナーの夫人だった。夫とは親子ほど年齢が離れている。
しかもこの夫は以前は厚岸で飲み屋を開いている節子の母親と関係があった。釧路の高校を出た節子はやがて母親の愛人を奪う形で結婚することになった。
異常な人間関係だが不思議とどろどろとした生臭さは感じさせない。節子が醒めていて、夫も実に寛大なのだ。
節子は結婚しているのに、会社の顧問会計士と関係しているのだもの。

その節子は歌を詠む。最近歌集も出版している。その短歌の会で佐野倫子という主婦と知り合う。彼女には小学校二年の娘がいる。節子の歌は性愛が主題になっているのに対し倫子は家族の幸福を詠む。お金もちの旦那、幸せな家族。羨ましいと思っていたら・・・
ある時、節子はまゆみという倫子の娘の身体のあちこちに傷があるのに気がつく。家庭内暴力か。
幸福そのものに見えた倫子の家庭にひびが入っているのに気づく。そして他人に関わるまいとしていた節子が倫子と幼いまゆみを助ける破目になり犯罪に手を貸してしまうのだ。

義理の娘との関係、趣味でつながった倫子とはその後どうなるのか、その虐待の娘とは…
彼女らとの関わりのところは意外性もあってこの先どうなるんだろ?
この話にこの展開は必要なのか?その意図は?と次々とテンポが良く退屈しない。

でもこの後はネタばれになりますので詳しくは書けませんが、きちんと計算された物語で、くどくどと倫理観を説くようなのもなく読みやすさも手伝って ぐいぐいとひっぱられるような感じで読み終えました。
サスペンスとしては面白かったと思います。

さぁ 後一冊、早く読み終えなくちゃ・・・

蜘蛛り時々晴れ 11℃

(51)密姫村(角川書店)乾ルカ著・・12/16読了

2010年12月22日 | 本の事
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 今年もたくさん本を読ませていただき 感謝はしているんだけど、どうしてもトンボ殿に言いたいことがあるんです。
それは、水嶋ヒロ小説「かげろう」を私に見せないで売ってしまったこと。
いつもただで読ませていただいているわけじゃないんです。
ちゃんと甘い物与えているのに、全くけしからん。
で、少々おかんむりな私です。

ただ、水嶋ヒロが先だって受賞した時のインタビューが少し偉そうだったというか、謙虚さがたりないように見えたので、「買ってまで読みたくないよね。」といったけど、でもあればそりゃ読みたいわ。
一日で読めた ほとんど定価で売れた、といってました。

 というわけですが それではと(反省の色は見えなかったが)見せてくれた本、二冊。そのうちの一冊です。

・・・・・・・・・・

 変種のアリを追って、東北の山村に迷い込んだ、東京の大学の講師で昆虫学者の山上一郎は、瀧埜上村の仮巣地区の人々に助けられ、命をとりとめた。翌年、山上は医師でもある妻の和子を説得し、一年間のフィールドワークのために、再び仮巣地区を訪れた。この村には医師がいなかった
ため、和子にとってもそれはやりがいのある仕事に思えたのだった。優しくて、親切な村の人々。だが、何日かその村で生活していくうちに、和子は違和感を覚える。――みんな健康すぎる・・・。医師もいないのに・・・(ブックレビューより)

横溝正史の世界のよう。
ホラー小説らしいが、私はおとぎ話のように感じた。
ただ、この集落には赤紙も来なかったということらしいが、の子供たちはちゃんと下の町の小学校に2時間かけて通っているという設定が何だか違和感を感じたけど、でも それなりに面白かった。

医師がいないのになぜ村民はみんな元気なのか?
和子が疑問を思っている時、娘の優子が病気になってしまいます。
自分が医師なのに分からない。
そこで和子がお世話になっている家の主に尋ねると、これまで立ち入りを禁止されていた場所へ連れて行かれる。そこにいたのはタイトルにもある密姫様。
そして行方不明だった夫も・・・
しかし密姫様がかなり謎。きれいなのか、若いのか、大きいのか痩せているのか、ただ体つきの描写が不気味。年齢も不詳。

原因不明の風土病?かな、それを治してもらうため(優子を助ける)、密姫と和子はある約束をする。
そして和子はどうなるのか?ネタばれになるから書けません。

時は流れ、優子は成長して年頃の少女に。
優子の面倒を見る紅蝶と大蜂。黒王との結婚を控えてていても優子は大峰が好きになってしまう。
どうなるのか?
読んでみてください。

ところでこの小説のキーポイントである変種のアリというのがミツツボアリなのです。
調べて見ました。↓

 オーストラリアに生息する蟻の一種である。過酷な環境に耐えるために食料であるミツを貯蔵する習性を持っている。
ご存知の通りアリは職種別に階級が分かれており、通常は「女王アリ」「王アリ」「働きアリ」「兵隊アリ」と蜂とほぼ同じ分かれ方をしているがこの「ミツツボアリ」にはさらにもう一つ驚愕の階級が存在する。
それは「貯蔵アリ」なのである。食料であるミツの保存場所はズバリこの貯蔵アリの腹部なのである。
貯蔵アリは身体を貯蔵庫に変えて働きアリが間断なく運び込んでくる蜜を腹部に蓄えていく。食物を適切に貯蔵するために一生天井にぶら下がり、自らの体重と増え続ける蜜の重みに耐え続けるのだという。

オーストラリアの先住民アポリジニはこのアリを食用にしているとか・・・

話がそれましたが、最後まで飽きないで読めたので、それなりに面白かったかのかなぁ。

雲り時々雨 13℃

(50)「のぼうの城」和田竜著(小学館)・・12/12日読了

2010年12月17日 | 本の事
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 本も読まなくちゃならないし、見逃した映画のDVDも見なくちゃならないし、仕事もしなくちゃならないし、母の食事も作らなきゃならないし、もう八面六臂の私です。(いい風に言い過ぎ?)
そんなわけで日記に ブックレビューが続きますが、どうぞお許しを・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 戦国期、天下統一を目前に控えた豊臣秀吉は関東の雄・北条家に大軍を投じた。そのなかで最後まで落ちなかった支城があった。武州・忍城。周囲を湖で取り囲まれた「浮き城」の異名を持つ難攻不落の城である。秀吉方約2万の大軍を指揮した石田三成の水攻めにも屈せず、僅かの兵で抗戦した城代・成田長親は、領民たちに木偶の棒から取った「のぼう様」などと呼ばれても泰然としている御仁。城代として何ひとつふさわしい力を持たぬ、文字通りの木偶の棒であったが、外見からはおおよそ窺い知れない坂東武者としての誇りを持ち、方円の器に従う水のごとき底の知れないスケールの大きさで、人心を掌握していた。武・智・仁で統率する従来の武将とは異なる、新しい英傑像を提示したエンターテインメント小説。カバー・イラストはオノ・ナツメ。(小学館オンライン内解説より)

正直言って、最初の「上巻」はなんか物語に入り込めなくて、歴史小説なのになんでこんなに人物像がちょろいんだろうか。軽い本だなと、そんな感じがしたけど、しかし戦争が始まってあれよあれよと辞められなくなり、俄然面白くなってきた。

天下統一を目指す秀吉の命で、現在の埼玉県に位置した成田氏の忍城(おしじょう)を攻めることになった石田三成と、その三成の2万人の軍勢にたった2千人で立ち向かった成田家の城主と家臣たちの戦いの様子を描いた話なのですが、数では圧倒的に不利な忍城側が、いかにして三成の2万の軍勢を迎え撃ったか、それはネタばれのいなるので控えるが、とにかく城側は大将の城代・成田長親(のぼう様)を初めとした重臣たちが軒並み個性的で、それも面白い。
そして絶世の美女だけどとんでもなく気が強くて、みな たじたじな甲斐姫のキャラ楽しい。

数の原理でやっと城明け渡しを得た三成も、敵ながらあっぱれな のぼう様にどうしても会いたくなるところは、映画「眼下の敵」を思い出した。

しかし読みながら何か物足りなさを感じたのは、やはり、歴史小説として重みに欠けるからか、厚みがないというか、史実にもう少し迫ってほしかったというか、まったく偉そうですが 物足りなさがいっぱいの小説でした。

雨時々雪、時々曇り  9℃

(49)「冬の童話」白川道著(ポプラ社)・・12/1日読了

2010年12月05日 | 本の事
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 私 やっぱりこの作家好きだわ。
「少し早いけどクリスマスプレゼントだよ。悦ちゃんの好きな白川作品、3日間で読むんだよ。売らにゃならんけ。」といってトンボが見せてくれた本。
「へぇ いいとこあるじゃん。白川道の新作?」

といってページを開いた。3日と言わず、一気に読んでしまった。辞められないのだ。

愛欲と物欲を捨てた今、自分と俗世を結ぶ唯一の絆はもはや、ロマン以外にない、うん?ちょっと待って、食欲も?まぁ、それもあるけど、今はこちらに置いておいて・・・。
でもでも、やはり純愛物語はこの老女の胸も熱くする。

久々にページを終えるのがもったいない、あぁ どうしてこうなるの、どうしてこんなに悲しいの。白川作品はいつも意地悪。
そして相変わらず男性の生き方がカッコいい。

感嘆と感動は違う。感嘆するのはよくできた作品に対してであって、不思議なことに感嘆の度合いが強ければ強いほど、感動の気持ちは薄れてしまう。
この作品のプロローグに書いてあったけど、まったくその通りだと思う。

で、物語はというと(アマゾン内容紹介より。)

『新興出版社のカリスマ社長・稲垣聖人。
出版界の風雲児として名を馳せているが、その過去はベールに包まれたまま。
人知れず暗い過去を抱え、孤高に生きている。
派遣社員として働きながら虚無的に生きる女・名高そら。
幼少期に歌の才能を認められながらも、自己犠牲的に生きている。
出会うはずのなかった二人が運命的に出会い、
父娘ほどの年齢差を乗り越えてひたむきに結ばれた時、哀しい奇跡が起こったー。』

物語の中に何度「愛してる」って言葉が出てきただろう?

「もう一度、言ってくれ」
「聖人、愛してる。何度でも言うわ。聖人、愛してる」
「俺も愛してるよ、そら。この世の中で愛しているのは、たったひとり、おまえだけだ」
「もう一度、言って」
「そら、愛してる。何度でも言う。そら、愛してる。この世の中で愛しているのは、たったひとり、おまえだけだ」

もはや古典的な愛の表現。
私のように昭和という時代に首までどっぷりの人間は、こういう表現にのにひかれるのです。

久々に砂漠に慈雨のごとく、心が潤ったような気がしました。
ロマンを愛する方は是非どうぞ。

文庫本になったら買おう、と言ったらトンボが「売ってあげるよ半額で。」って。
ハード本は重たいから持ち歩けないし。
思案中なり。
クリスマスプレゼントじゃないのかいな。