ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

昭和30年代の話。

2006年12月22日 | 四方山話

   

 今朝の星高山の日の出です。

私は 夕日も嫌いじゃないのですが、朝日のほうが何倍も好きなんです。
朝 木馬に来て、お掃除しながら「さぁ 今日も頑張るぞ!」と思うときカウンターの窓枠が額縁みたいに望める星高山にかかる、黄金の光、ねずみ色の雲の割れ目からちらりと見える、なんとも表現のしようがないような、薄金木犀色の天使の階段が、たまらなく好きなのです。
その光景を見るのをほとんど日課のようにしている。
厚いねずみ色の雲が立ち込めて、その山が濃緑色の塊に見えるときは本当に残念でならない。

掃除の手を休めて再々覗く。
「さぁ 今日も綺麗に晴れますよ、頑張ってくださいと」、今朝ほどの星高山は言いました。

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  青島幸男が亡くなった。
金丸信の議員辞職を求めてハンガーストライキをしたのを思い出してしまった。

 そしてあのスーダラ節の時、日本が高度経済成長の坂道を一気に駆け上がっていた時代だった。
この時代そう 昭和30年代.
 私にとってはシックスティーンとかセブンティーンなのだがそう呼ぶにはあまりにも不釣合いな あくまでも夢と希望に燃えてた昭和30年代なのだ。
 
 アメリカ的なものがドドドーッと流れ込んできて、今ほど情報も商品も豊かでなかったから、そのカブれかたには都会と田舎ではもの凄く差があったのではないかと思う。テレビがすざまじい勢いで普及して行き、青島だぁ!関連 番組がが連日テレビを賑わしていた。
そしてあの時代の空気の中で 少女時代を送った私の感性や、テイストや、映画や文化の嗜好の原点が見えてくるような気がするのだ。

 平尾昌晃の「星は何でも知っている」がロカビリーといわれていたころ。
何かの本で読んで書き留めておいたのだが、「あの時代は 荒削りで、洗練からは遠かったが、無知の領域に驚きと、馬力を持って突進していくような元気さに満ちていた。」そして、「元気で素朴で、めっぽう明るかった。」
私もそう思う。
あの時代は いろいろなものがまだまだ新しく、アメリカ的な斬新さに憧れ、自由な(少なくとも当時はそう思っていた。)民主主義や、豊かさにたいして、ういういしい、信仰をささげ、ただそれに向かって驀進していた、迷いも疲れも知らない私でした。

今は 世の中のそういった民主主義もいろいろな進歩にもついて行けず、パワー不足に陥っている私です。

しかし、昭和30年代に培ったと言うか、もらったエネルギーが今の私を支えていて、そのエネルギーをもう一度何かの形で燃焼出来たらいいなぁ と思っているのも事実です。

 もう一つ
岸田今日子が亡くなった。
今日の新聞に書いてあったが、睡眠過多症に、高所恐怖症に、方向音痴症だったらしい。なんだか似ている私と。え~そんないいもんじゃない?杞憂ですか?
はい すいません。

晴れ 13℃ 

追伸 ・・・・・  おけいより。
AKKOさん寒くなりましたけど元気にしてますか?
お正月は帰省しないのですか?
またご一報ください。お待ちしてます。