ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

今週の頂き物 105~106番目まで。

2010年04月30日 | 頂き物
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サニーレタス、ボタンの花

不況のあおりを受けて、今週は頂き物が少ない?
それは冗談ですが、野菜が出来ないのでしょうね。

八面六臂

2010年04月30日 | 私ごと
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細葉しゃくやく。

ソーメンさんちのお庭に咲いていたのを、泥棒じゃなくて写真泥棒しました。
花畑に足跡がついていたら、それは私です。
ごめんなさい。

いえね、あまりにも綺麗に芍薬だの、ボタンだの咲いていたのでちょっと寄り道してみました。いつお邪魔しても本当に綺麗に愛情こめてお手入れしてあり感心します。
何事も愛情ですよね。物事に愛情を持ってあたれば必ずこたえてくれます。

      ✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫✫

  さて。
又しても私事で恐縮ですが、私は忙しい。
母の病院も行かなければならないし、月末の支払いも済ませなくてはならないし、浄化槽のモターの請求書が来たので値切らなければならないし、店も生活の糧だから閉めるわけにはいかないし、その上パラサイト一家が来るという。
「え??忙しいから 帰らなくてもいいよ。」と言ったら「そのちゃんくらいだよ、娘に帰るな、帰るなというのは・・今回は絶対に帰るからね。おばあちゃんの顔を見ておかないと、これが最後ということになったら後悔するから。」というわけで帰ってまいりました。
パラサイト一家が帰ってくると 落語の「明烏」じゃないけど、親を放棄して娘のままでいたくなる私です。

そんなわけで仕事は暇だけど、私生活方面で八面六臂の働きを強いられているわたくしは、ブログもままならず。
又落ちついたら、きちっと更新しますから どうぞお許しを。

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雲り時々薄晴れ 18℃

花の名前

2010年04月29日 | 四方山話
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 びょんびょんと風が吹く。
ホント台風並み。ガタシチガタシチと一晩中雨風が凄かった。家の中も家の外もそのまますっぽりと、遠心分離機に入れられたよう・・

この異常気象は何なんだろう?

そんなわけですから今日の写真と日記は、一昨日です。



上の赤紫色のつぶが雌花(めばな)、その下の白っぽく長いのが雄花(おばな)
近所を散歩していて偶然見つけた「松の花」・・綺麗な薄桃色なんです。
調べてみたら松は花びらを持たない花をもち、ならどのようにして子孫繁栄のために受粉するかというと 運んでくれる虫がこないので自分から風に乗って花粉を飛ばさなければならない。それゆえ花粉の量は他の花粉よりもずっと量が多く、たくさんまき散らすことでそのうちのどれかは必ず雌花に届くということらしい。それでスギも松も花粉症になるんですね。

で、話は戻るけど、一昨日の午前中は久々に気持ちいいお天気だったので、ついでに新川沿いも廻ってみました。写真を撮ってきたのは来たのだけど、名前がわからない。去年も調べたのに忘れたのだ。

向田邦子の短編に「花の名前」というのがあり、新婚まもないころ夫が花の名前がほとんど分からなくいくら聞いても中々 覚えられなかった。妻は得意がって色々と教えてやる。ところが中年になり二人は心が離れていく。そのころもう夫は様々な花の名前を覚え もう妻に教えを乞うようなことはなくなっている。というような普通の夫婦が些細なことから別れるという物語だったけど、私もこの物語の夫のように 何度調べても、何度人様に教えてもらっても、きちんと覚えられない。
ほとほと嫌になる。
「去年も写真撮って調べたよね、これなんて言う草花?」こればっかり・・・
あれだけ草花の写真を撮りあるいているのだから 少しは覚えていればいいのに、どうも私は記憶力というものが欠如していて、たいていのものは垂れ流し、脳にとどまってくれないのだと思う。

そんなわけで、ネットや、花図鑑、に首っきりでお客さんの相手もせず調べました。こういう時、私は一生懸命になる。
他のことは何も考えられない。
記憶力はないけど、集中力はあるのではないかな、と思うことにしている。

  

マツヨイグサにムラサキサギゴケ アザミのつぼみはまだ固い
去年も調べたんですが、もうすでに頭から消え去りつつある花の名前。来年また「これ何の花だっけ?」と大騒ぎする私でしょう。

  

トゲミノキツネノボタン、スミレ。ホウチャクソウの花は仲良く二つづつぶら下がっていて、まるで夜店の電球のよう。

何やかや言っても春になると、歩いていてそこかしこに草花が見られるのはやっぱり嬉しい。
こういうのは歩いてみなくちゃ分からない・・

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晴れ 16℃ 風強い。

(22)「志賀越みち」伊集院静著(光文社)・・4/26読了

2010年04月28日 | 本の事
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 ”1Q84”の余韻が抜けきらないうちにいつものように「ハヨ読め、ソレ読め、」と渡された本。

『あの人のうつくしい瞳が浮かんだ。僕はなんどもその歌を口ずさんだ。
大津から比叡を越えて京に入る古道、志賀越みち。昭和38年、初夏の風の中ひとりの青年がその道で峠を越えて京都にやってきた。行き先は祇園。大学の友人の実家があるのだった。
しかし青年・津田雅彦は祇園がどんな「町」か、芸妓・舞妓とはなにかを知らなかった。お茶屋を営む友人の家ではじめて見聞きすることにとまどうばかりの雅彦。そんな雅彦が建仁寺で一心不乱に祈る美しい少女を見かけた。いままで見たことがないほどの優雅さを持つその姿に動けなくなった雅彦に、彼女は微かにほほえんだ。切ない恋の始まりだった。
昭和30年代の京都の、うつくしい四季のうつろいと祇園に生きる女たちの姿を背景に、青年と舞妓の瑞々しい恋と青春を端正な文章で描く、恋愛小説の傑作。』

読み進むうちこの舞妓は、亡くなった伊集院さんの奥様、夏目雅子そっくりの描写。
それもそのはず、「構想してから20年。人生における恋愛の意味を問い、80年代に3年間暮らしたことのある京都への思いを吐露した力作だ。」と新聞評に書いてある。

時代は東京オリンピックの一年前。
高度成長時代の走り、でもこの物語の京都は、まったく関係なく、昔のまま、じっとそこにあり続けている。
京都の祇園のしきたり、薄くしい光景、すべて素晴らしい描写で手に取るように読む者にわかる、まるで写真のように。
とても自然描写が映像的でありながら、これはやっぱり文章でしか表現出来ないのではないか、そう思わせる綺麗な物語でした。

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晴れ 17℃

年月は残酷

2010年04月27日 | 私ごと
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 今日はまったく私事ですが・・
安光姫が入院したのです。素人の私が食事療法しても「美味しくない」「食べたくない」で中々うまくいかず、だんだん勢いがなくなり、起ち上がったり座ったりするときも一苦労で、立ってしまえばなんとか歩けるのだけど(杖をつきながら)ついに入院となったのだ。
かかりつけの町医者に浜田の医療センターか、島根医大に行くように言われたが、出雲なんて妹も私もいくら暇とはいえ一応仕事しているので とても通えないということで 浜田にしたのだった。
我が町の江津にも総合病院はあるのだけど、総合病院とは名ばかりで、糖尿病の専門医がいないらしく、6階建ての建物だけは超一流だけど、医者不足で今6階は使っていないらしい。限界集落は医療も過疎ということをしみじみ感じるのです。
入院前夜 荷づくりを手伝いなが「先生の言うことよく聞いて早く帰っておいで、夜仕事を終えて帰った時 玄関に外灯が点いていないのは寂しいからね。」「そうそう本入れた?」安光姫は本好きで寝る前に本がないと寝れないのだ。(これはどうも遺伝らしい)
いつもは呑気な安光姫も流石に心細いのか、ふだんは もうここまで生きたのだから別にこれ以上長生きしなくてもいいなどと嘯いているくせに、「もう帰れないかもしれない。」などと弱気な事を口走ったりする。
そんなわけでどこがどう悪いのか、どういう治療をしたらいいのか、明日から色々と検査です。

それとは別に先週のこと。
夜 安光姫が「浜田高等女学校の同級生から、突然電話がかかってきてね、70年ぶり どうして私がわかったんだろう、懐かしくて、随分長話したよ、二人で写った写真が出てきたから送ってあげるといってくれたんよ。」と、私が帰るのを待って話した。
その電話の主のフーちゃんは江津市の松平出身で、女学校を卒業して東京の明治生命に就職していた。そののち安光姫が東京の下谷のある家に行儀見習いに行くことになり、仕事が休みの日には良く二人で待ち合わせて遊んだらしい。
何でも写真の整理をしていたら一緒の写真が出てきたので懐かしくなり電話を掛けてきたというわけだ。

その写真が、入院の前の日に手紙とともに届いた。手紙には、 

『懐かしくなり電話しました。
昔を思い出しとても嬉しく思いました。
写真を見ながら今更ながら年月を感じています。
写真ができましたので、昔を懐かしんでください。』

と 少しよたよたした、震えたような字でしたためてあった。

フーちゃんは足が少し悪いくらいで身体は元気だとか、もう女学校の友達も数えるほどしか生きてないらしい。フーちゃんの手紙が入院前日に届いて 少し元気が出たような安光姫でした。

そのセピア色の写真がこれです。
昭和14年ころかな・・
太平洋戦争前、母たちの年代(当時17,8歳)にとっては これから来るであろう暗黒な戦争前の 束の間の幸せな時代だったのかもしれない。
着物が安光姫です。フーちゃんはモダンガール、ワンピースが凄くハイカラ。スタンドカラーは私も大すき。「今着てもおかしくないようなデザインですよね。」とドン小西は言いました。そんなことないか・・・

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雨、17℃

ホントに最後の桜。

2010年04月26日 | 木馬の事
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小学校の八重桜

 

あまりにも花が多くて、ツクリモノのようにさえ見える八重桜。
薄いピンクが、とてもスィート。
桜餅のような匂いがした。
近所の小学校の八重桜、ソメイヨシノが終わったらこれだと楽しみに 毎日木馬の窓から眺めては、咲き具合を観察していたのに、意地悪な異常気象による長雨で、今年は満開の時を逃してしまった。

それでも土曜日の午後の晴れ間、行ってきました。

 

足もとに立って見あげると、空が花でふさがれる。さがって揺れる花はソメイヨシノよりも少し色が濃くて、まるで花かんざしのよう。
この色って、氷イチゴミルクの色に見えませんか?

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 一体全体、いつになったら暖かくなるんだ!と思うような明け方の気温の低さ。
世相に合わせて気温も乱高下しているのかと思ったら、北極振動が原因の一つに考えられると、新聞に書いてあった。
私のボンクラ頭ではよく理解できないのだけど、要するに、北極圏で寒気の蓄積と放出が繰り返され、北半球の気候に影響を及ぼすんだとか・・・やはりようわからん。
けど、いつも言われているように 一人一人が地球規模で温暖化に気をつけなくちゃ、本当に大変なことになるということだけは肝に銘じておかなくては・・

ちょっと余談
「竜馬伝」楽しみに見ているます。
ついに、自他とも認める『竜馬かぶれ男』事武田鉄矢(勝海舟)が登場した。竜馬役を懇願したけど、認められず それでも竜馬の師である勝海舟役とあってその気合たるや推して知るべし。画面からその情熱や意気込みというものがヒシヒシと伝わってはくるが、なーんか江戸弁がさまになってないというか、はっきり言ってクドイと思いませんか?
あれはミスキャストのような。
少しがっかりです。

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晴れ時々曇り  20℃        

ドロップ

2010年04月25日 | 四方山話
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「高貴な花」とのイメージから「君子蘭」という名前になったらしい。

 

 先週は暖かくなると思っていたのに、とんでもない、それどころか、もうじきゴールデンウィークだというのに冷たい雨が、しのしのと降り続いた。
雨の日ばかりだから、なかなかデジカメ散歩に行けない。でも、なにも散歩にいかなくたって写真は撮れる。と思い直し・・・
鉢に次々と咲く欄や、近所の目を見張るように黄色く咲いてるエニシダ、水たまりに映る空や雲、滴をしたたらせるフェンス、あ、撮りたい、と思うものはどこにでもあるのに、カメラ出すと、雨に液晶画面が濡れるので、ま、いいか、と諦めてしまう。
こんなことじゃいかんなぁ、と思う。
別に写真はただの「楽しみ」で撮っているのだし、プロのカメラマンじゃないんだから 撮ろうが撮るまいが誰に迷惑をかけるわけでもないのだけれど。
でもやっぱり、感性を衰えさせないためにも撮りたいものを見たときは、「ま、いいか」は辞めてカメラ構えよう。気持ちから衰えたら悲しいから。

というわけで当店の玄関わきに咲く鉢植えの君子蘭です。

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 父親が朝日新聞が好きだったせいで、我が家は物心ついたときから「朝日新聞」だった。
一番のお気に入りは、お終いのページの『サザエさん』の漫画だった。(写真を二回クリックしてね。)
昨日の朝日新聞の土曜日特集になんと、私が一番大笑いして今でもはっきり覚えている漫画が出ていて、「こりゃ 永久保存じゃ」と早速切り抜きました。
昭和40年の3月7日だったんですね。それにしてはよく覚えているわ。

もっと小さい頃、これとよく似た漫画で、まーるい卓袱台の上に 万華鏡がおいてあった。新聞読んでいた波平さんが顔をあげて「カツオ、勉強しなさい。」と、その時目のふちに黒い輪っか、が・・
いずれにしても頑固おやじの波平さんの一言が笑える。

この漫画だって、波平さんは 左党だからどうしてもこの飴が食べたかったわけではないと思う。ただこのドロップ缶が、カツオにしてらやれたというか不運を招いた。蓋は開けにくいし、何が出てくるかわからない。
それだけこのドロップの缶は覗いてみたくなるように出来ていたのだ。
まるでパンドラの箱のように、小さな穴からどんな味が出てくるのかわからない。謎めいた魅力があればこそ覗きこまずにいられなかったのだと思う。
人の心を惑わすアイデアよね。すごいと思う。
私はすっぱいのが子供のころから苦手だったので、チョコ味の茶色か、透き通ってない白のハッカ味が好きで、カランカランと缶を振って小さい穴からこれが出てくると、とてもうれしかった。
ちなみに他の種類は、リンゴ、オレンジ、ブドウ、イチゴ、レモン、パインにチョコとハッカだった。
新聞によると、やはりこのチョコとハッカは、少なめに入れてあったんだとか、やっぱりね、一缶でに2.3個しかなかったような。
美味しいのは少なめに入れてあるとは今初めて知った。ずるい。

しかし、この「サクマ式ドロップ」は、1908年に商標登録して、100年以上も消えないでいるのはすごい。
子供のころ もう一つ「チャイナマーブル」という固い飴があった。白い飴を噛むと、色々な色の層があり なめていると色が変わった。これは最近見ないけど今はないんだろうか?

晴れ 朝4℃ 午後17℃

今週の頂き物の料理(写真をクリックしてくださいね。)

2010年04月24日 | 料理
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今週の頂き物の料理です。

  

① 山菜ずし             ② おこわ              ③ 筍の木の芽和え

  
 
④ ワカナのづけ丼          ⑤ アサリと筍の酒蒸し    ⑥ バカの芽の天麩羅

  

⑦ ウドのキンピラ           ⑧ 筍ごはん          ⑨ 芽カブの二杯酢 

  

⑩ 筍の豚巻きフライ        ⑪ 筍の青椒肉絲          ⑫ トンとろステーキのネギソース掛け 

以上です。
それではレシピを。

⑤ アサリと筍の酒蒸し 
筍は糠と鷹の爪を入れて茹で、あく抜きをする。
バターをフライパンで熱し、冷ました筍とアサリを入れて、炒める。ここにお酒を入れて蓋をして、アサリの蓋があくまで蒸し焼きにする。
アサリから塩が出るので味を見て足りないようなら塩コショウで味付ける。

⑫ トンとろステーキのネギソース掛け
ネギは刻んで水にさらしておく。
トンとろは軽く塩コショウをする。
フライパンで豚肉をこんがりと焼く。
ボールに唐辛子、ニンニク、レモン汁、酢、砂糖、酒、みりん、砂糖、ラー油を入れて混ぜ、焼いた肉に先ほど刻んだねぎをのせて、このたれをかけていただく。
とても安上がりで美味しいです。是非お試しを・・


雲り時々薄晴れ 13℃ 

今週の頂き物 99~103番目まで。

2010年04月24日 | 頂き物
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バカの芽、ワカナ、芽カブ、高菜、白菜
バカの芽?そうです、バカの芽、でも正式名は”こしあぶら”の新芽ですが、天麩羅にしたらとてもおいしい。

以上です。

(21)「1Q84」BOOK3 村上春樹著(新潮社)・・4/22読了

2010年04月23日 | 本の事
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  読み終わりました。やっと・・・5日もかかりました。(尤も600ページ、普通の2冊分です。)
思った通り、大変満足でした。いまだ心は違う世界を漂っています。まるで時差ボケのように・・(といっても海外に行ったことはないけど。)
村上春樹に限らないけど、好きな本は読み始めると、すとーんと眠りに落ちるようにその世界に嵌り込んでしまう。現実と空想の世界を行ったり来たりする。
これが楽しみであり読書の醍醐味なのだけど。
この本もそうだった。仕事の合間に読んでいると、すーっとこのパラレルワールドに堕ちてしまい、お客さんとの会話も、うわの空でちぐはぐ。
ハッツと我に返り「聞いてるん?」「何の話?」こんな塩梅

で、物語は?
青豆と天吾は1984の世界に、猫の町にと・・・

はいはい わかっています。
まだこれから読む人がたくさんのミリオンセラー本。ネタばれは顰蹙をかいますから書きません。

村上春樹はこの本を出版する少し前に、いつだか新聞にインタビュー記事が掲載されていた。うろ覚えなのだけど、物語について書いてあった。
そして「今長編を書いている、ものすごく長いのを、毎日5・6時間机に向かっている。
どんな長さになるのか自分でもわからないが、この物語の軸になっているのは、「恐怖」だ」と書いてあった。
あの今ノーベル文学賞に一番近いと言われている村上春樹が、練りに練って時間をかけて書き下ろした本。
楽しみに待っていたのがこの本なのだ。

いつも思うのだけど、村上作品はとても易しい言葉でさらりと書いてあるのだけれど、きちんと景色や人々の顔が見えてくる。人物描写もさることながら自然描写もすごい、読みながら登場人物がしっかり想像できて、例えば町で出会っても「あ!牛河だ!」とわかるほど。また、畳針を胸に刺したような痛みとか、レタスを冷凍して解凍したような頭の中身とか、すごくリアルに想像できる。
おまけに読みながら風や空気を感じられる。時々肩をすぼめたり腕をさすったりしている自分がいるもの。
しかも、その中に、「情報」もちゃんと織り込まれているのだ。
新興宗教がどうした、イスラエルが、テロが、と言っているけれど、みんな作者の術中に嵌っているではないか。
それらが自然に溶け合っているから、読んでいてつっかえることがない。頭で考えることなく、するするとからだの中に入ってくるのだと思う。

でも少しだけ私の感想。
すっきりの終わり方だった。こんな終わり方もあるんだ、そして随分長く様々な事件があったように感じただけど、1,2,3巻でたった8ヶ月の出来ごとなのだ。
最終巻は、今までの折り返し地点の復路かな、前巻までの物語を丁寧に書き改めている。今までのを読まなくてもちゃんと理解はできる仕組みになっている。けどやはり読んでからこれを読んだ方がさらに面白いと思うけど。
これくらいにしておきます。

『時は直線として考える。でも実際には時間は直線じゃない。どんなかっこうもしていない。それはあらゆる意味において形をもたないものだ。でも僕らは形のないものを頭に思い浮かべられないから、便宜的にそれを直線として認識する。そういう観念の置き換えが出来るのは今のところ人間だけだ。』

この一節に なーる程とうなってしまった。
そう、村上作品は観念を置き換えて読めば、すんなり理解できる。

ちょっと長くなりますが、先日の朝日新聞にこんなことが書いてあった。
”村上春樹の小説は、読み終えた後、何がしか語らずにはいられなくなる性質を持っている。「あの挿話はどう思う?」「こっちのこれはどういう意味なの?」等々・・
反対に太宰治は「私だけが彼の心の内を知っている。」と錯覚させる作家だが、村上春樹は「私だけが、彼の謎めいた小説世界を理解できる。」と思わせる作家なのだ。”

そう言えば、昨日ジンちゃんとこの物語について話した。
自然にこの話になったのだけど。

ジンちゃんは、「青豆には自殺した大塚環という親友がいたが、猫の町の天吾の父親が入院していた病院の看護婦安達クミ は 大塚環の生まれ変わり」だといった。
私は「え??」といったけど、読み進むうち「ありえる」と思えてきた。
そして 「必ず”BOOK4”もある」という。私は「これが完結だよ。」と言ったが、ネットで村上春樹を調べていたら

この小説は「青豆」の章と「天吾」の章が交互にでてくる形で構成されている。青豆が「さきがけ」の教祖を殺す話と、天吾がふかえりの小説を改作する話が交互に進行していく。Book 1 と book 2 がともに24章という構成はバッハの「平均率クラヴィーア曲集」第1巻と第2巻にならったのであろう。ちゃんと本文にある。「『平均率クラヴィーア曲集』は数学者にとって、まさに天上の音楽である。十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で二十四曲。第一巻と第二巻をあわせて四十八曲。完全なサイクルがそこに形成される。」 青豆と天吾で前奏曲とフーガを構成する。

と書いてあった。ということはいま前編で48章、後半BOOK3で24章ということは残りがあるということなのか・・

流石に村上研究しているジンちゃん、案外的を得てるかも・・

雲り 12℃