出掛けに雨足がひどく 鉛色のどんよりした空を眺めてため息をついた。そんな 憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれるようないい香り。
目で探すと草むらから水仙の花が花をつけていた。
雨や風に 大揺れに揺れながらも元気に咲いていたので、パチリ。
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ちょっとしたことがきっかけで、自分の過去を省みる機会があった。
それで気がついたのだが、私には確固とした信念がなかった。人生における夢のようなもの、人はどうだか知らないが私のそれは、亡くなった主人と同じ物だったような気がする。同じ夢を見ることが幸せだったような気がするのだ。
そしてひとりになった今現在が無い、この恐怖が私をいつも心細くさせる。
子育ても終わり、また自分の世界が戻ってきた、しかしそこには夢を一緒に実現する相手がいないのだ。飛ぶように言ってしまう時の速さ、いつもそれに手が届くようで、それはひらひらとしていて、現実の世界に住んでいながらそれが影に過ぎない、どことも無く消え去る影に過ぎないと思ったときの心細さ。
しかし 森鴎外の「日本人は先のことばかり考えて生きている、小学生は中学生になるために早起きして学校に通い、中学生は高校生になるために早起きして学校に通い、高校生は大学生になるために早起きして学校に通う、大学生は社会人になるためにやはり早起きして学校に通う。社会人になったらなったで、また早起きして会社に通う、そしてその先はなにも無いのだ。」と言うようなエッセイがあったが、この先この先と考えるような生活はごめんだ。
先には何も無いのだから・・
ついでに森鴎外の娘の森茉莉の「時の翼」と言うエッセイで書いていたのだが、
時は痩せた小さな小鳥で、一秒の何十分の一の速さで飛び去る。ある時ふと私はそれに気づいて不安になり、深い恐ろしさを感じた。それがどんなに恐ろしいことかというと、誰かが紅茶を掻き回した匙を受け皿に置く。それから紅茶の茶碗に手をかける、その紅茶に手をかけたそのときはもう 匙を置いた時はもう 返って来ない。云々
うまい事を言う、そうして誰も気づかないうちに時は過ぎていくのだから・・
深沢七郎もうまい事いってた。
「人間は誰でも屁のように生まれてきたんだから、生まれたことなどたいしたことない、だから死んでいく事もたいしたことないのだ。」
年も迫ってくると、くだらない事ばかり考えてしまう私です。
雨 後曇り 後時々晴れ12℃