ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

パラサイトウイルス?

2007年04月30日 | 私ごと

  

 世の中には まだまだ研究開発途上のウイルス菌が 猛威を振るっている。
このウイルスも、体内に侵入すると、のちのち筋肉痛と金欠病を引き起こす。
このウイルス名は『パラサイトウイルス(家事放棄、主婦放棄、三色昼寝付き)』という。因みにこのウイルスの特効薬は、私がまったく無視して「お仕事」をすることなんですが・・。

 土曜日 このウイルスを持って 尼崎一家が帰省した。
しかし、どうもこの一家とは 温度差があり肌が合わない。
 というのも、私は半袖の夏物のパジャマ、あの一家は冬物のパジャマなのだ。
おまけに朝
「暖房入れてくれん?なんだかここは肌寒いわ!」
「なーにバカな事 言ってるの?この蒸し暑いのに・・」
「どこからか隙間風が、スースーで毛布がいる。」
「隙間風が入るからいいんじゃない。そんなことだから、あんたとこの一家は 365日鼻水たらして、咳ばかりしているんよ。鍛えんにゃ 男の子だのに体がなまる。だいたい冬に乾布摩擦でもしたらどう?」
まったく信じられん一家だ。

さて 定休日の日曜日 お掃除を済ませて、(足の踏み場もないくらい、わやわやなのだ。)アクアスに行くことにした。きっと上のマゴは、大きなイルカや、泳ぎ回るお魚達を見て、大喜びをするに違いないと思ったからだ。
ところが アーチ型の巨大水槽のトンネルの中を悠々と泳いでいる エイや、鮫が、肩車をしてもらっている頭の上で口をあけて、餌を食べたからもう大変、突然ビビリだして、進まなくなってしまう。恐いのだ。この水族館の最大の見せ場である白イルカのショーなど、泣いてばかりいる。人は多いし、暑いし、でおちおち見て回られないが折角来たのだからと、なだめすかして見ることに。
 しかし何度見てもイルカのショーは、同じ芸をするのだけど、この前は一匹だけバブルリングの芸をしていたが、ここに来て 3匹とも出来るようになったらしく 少し輪が小さいような気がした。
 
シロイルカはウエットスーツを着たように触るとボアボアのぶくぶくで弾力性があるので、人間様のように首を上下や左右に振ることが出来るらしい。
前にも言ったと思うけど、人間は頭でものを考えて、自意識とか分別とかがあるから、動きが動物ほど滑らかでない、自然にダンスを踊るイルカの動きや動作が人をひきつけるのは、身体に無理や、ぎこちなさや、不自然さを感じないからだと思う。

恐がるので、後ろにある遊園地で遊んだ。
ジャンボ滑り台が好きで何度も何度も滑ろうというから、パパ、ママのあと、一度挑戦したけど、まぁ 凄い、恐い、マゴが落ちたら大変だからと必死で抱えていて 腕はすりむくわ、背中はすりむくわ、体のあちこちは筋肉痛だわ、で完全にパラサイトウイルスに感染してしまいました。
 
今日から、また木馬のお仕事平常通りです。

晴れ 25℃ 


数字アレルギー

2007年04月29日 | 私ごと

 敬川の産業道路の大根の花です。

目からうろことい言おうか、それともあきれてものが言えないといおうか・・いやはやなんとも・・・

 昔から 数字アレルギーだった。数学が大嫌いだった、どれだけ嫌いかというと、今でも時々数学のテストで0点を取り 頭が真っ白になった夢を見てうなされて、夜中に目が覚めるほど嫌いだ。
世の中に数学がなければいいのに、国語だけならいいのに何度もそう思った。数学のない国に行きたいと思った。
その典型的な例として 私は時計は絶対にアナログでなければ駄目だ。
あと15分だからね、などと言われて、頭の中に浮かぶのは、90度の角度、円の4分の1なのだ。この広さをどう利用できるか、そのような計り方で残り時間を把握しているのだ、昔から。
残り時間を暗算して計算しなければわからないデジタルは、どうしても時間の観念がつかめない。頭の中がチンプンカンプン、タコの八ちゃん状態なのだ。
♪めぐる めぐるよ、数字はめぐる、
 別れと出会いを繰り返し・・・

 枕が長くなったが 昨日の事。
仕事が終わり夕方帰ってきたしもちゃんが、ブログチェックをしていて突然叫んだ。
「そのちゃん、この頂き物の数の計算どのようにしているの?140番目~に8個足していくらよ?」
「148でしょうが どこか間違っている?」
「そのちゃん もう一度小学校に行き直しんさい。そのちゃんの計算方式で行くと、たとえば 冬のソナタのビデオが20本あるとするでしょ、そのうち8巻まで見たとするでしょう、あと何本?という時に9巻目からだと20から9引くのと同じよ。」
 
 しもちゃんの例えはいつも余計にこんがらがるが、140も数に入れて8個足して147番目となるらしい。らしいとは無責任だけどよくよく考えたらそうなるのだ。
しもちゃんが今までの数字を全部今回で修正してくれたので 前回と数が合わないけど、今回の数字が本物です。

 私は バカなりに考えた。
バカはどうしようもないけど、勘はいいと思う。数字の勘違いは勘でカバーして生きてきた。
しかし もしかしたら 私今まで人生の中で損をしてないだろうか、このような足し算の生き方でなくて 引き算の生き方をしてきたのだから、突然頭の中で損得計算が浮かんでくる。

しもちゃーん!私本当は何歳?


頂き物のお料理レシピ。(写真をクリックしてくださいね。)

2007年04月28日 | 料理

  

  

 

① つわ蕗と新ジャガイモの煮たの。

② 高菜のお漬物

③ 山菜(蕗、筍、三つ葉、えんどう豆、ニンジン、椎茸、)のお寿司。

④ 山菜の天麩羅

⑤ お茄子の葱ソースかけ。

⑥ 筍のフライ

⑦ ほうれん草の卵とじ

⑧ ワラビ、筍、つわ蕗の煮物。

以上です。

今週は ゴードンじゃなかった、ミラクルの奥様から教わった筍のフライがGOOでした。茹でた筍を豚肉でくるくると巻きフライにしました。

春の味を楽しめて本当に幸せです。


宇宙のからくり。

2007年04月27日 | 四方山話

 おとといだったかな、新聞に『地球に最も似た惑星』という記事が載っていた。
うん?なになに?過って女矢追純一といわれたこのあたしの興味をそそる記事に思わず目が行く。

 記事によると、太陽系の外でこれまでに見つかった惑星の中で最も地球に似た惑星を発見したと、フランスやスイスなどの研究チームが発表した。
 表面は生命を育むのに不可欠な液体の水が存在しうる温度とみられ、チームは「地球外生命を探査する重要な候補地になる。」としている。
やっぱり、やっぱり。
(インデ・ペンデンスディ)の世界はあるんだよね。この惑星のほかにも二つ大きな惑星があるらしい。
夢は広がる、宇宙人はやはり蛸みたいなんだろうか?知的生命なんだろうか?
でもきっと私が生きている間には出会うことはないだろうね。宇宙のからくりなんだから・・
 宇宙のからくりという言葉で、どうしても私は「山田風太郎」のエッセイを思い出してしまう。
“地球上のあらゆる生物は、自分という個体の維持と、種族の繁栄のみをー特に後者の目的の為に夜も昼もないようだ。そんな生物を乗せて、黙々と運行し回転し続けている地球にやがて訪れるのは永遠のだとはなんというどんでん返し”
地球が無になる頃には、人類の大移動でこういう星に行くんだろうか?でもま、心配する事はないよね。先の先のずーーーーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・と先だもんね。
・・・・・は天文学的数字を表す。

 さて今日はお掃除おばさんの日だった。
完全武装で絶対に知ってる人しかわからない格好で窓ガラスふいていたら、誰か来た。
「通りかかったら、3400の車が置いてあったから、信号を引き返して来た。」とケチTがやってきた。陣中見舞いも持たずに・・
「よう似合うのぉ、ま、頑張れや!」
しかしこの格好は暑い。汗が滴り落ちる。埃が舞うのを箒で掃きながら、「デジカメ、デジカメ」と呪文を唱える。この呪文が聞くのよね。頑張れるのよね。
この前までは「屋根の補修、屋根の補修」だったけど。
(わかる人にはわかる話です。)

汗が目の中に入りチリチリする。こりゃ夏は大変だぞ、バンダナを頭に巻こうと考えながら終わりました。

 「今日 仕事が終わって帰る」とメールが入った。
明日から、まごまごが帰ってくるらしい。早速日曜日の臨時休業の張り紙を出した。
トンボが「自分の都合でころころ定休日を変えるんじゃないよ。」という。
けどトンボだってその日 広島で行なわれるスイミングの大会に行って 江津にいないくせに・・・

 さぁ 明日から忙しいぞ・・・

曇り  22℃  一日中曇りだった。


今やすっかりその気になっています。

2007年04月26日 | 四方山話

 

 今や すっかりその気になっている。
というのも、私がパソコンと写真で師と仰いでいるジンちゃん(←リンクしてます)が、「いいじゃないですか、写真がここんところ冴えてますね。」そういってくれたのだ。

 思い起こせばパソコンのパの字も知らずに、マウスだのダブルクリックだのナーンにもわからない私に1から、教えてくれて曲がりなりにもブログが出来るようになったのも、そして、生意気にも 写真なんて芸術じゃない、ただいいカメラで写せばいいんだからなどとほざいていた私に、写真とはこういうものだと教えてくれたのだ。
その先生がほめてくれたのだから、そりゃうれしいです。その気になります。

風景にしても、生物にしても、人物にしても、視線の先に見えるまっとうさ、それらを写真に移し変えるときの難しさ(文章でも表せないのに)に気がついたのだ。(実力はまだまだ付いていないけど・・)
そうした いい写真を見るとき、そこには人の生き方の断片が見えるようなそんな、様々な形が写し取られていると私は思えるのだ。
生というものの手触り、人と人とのふれあい、その人々が住む町、そして 時間とともに移り変わる姿。
ブログなどでいい写真に出会うとしばらくジーッと眺めて、そしてそこにある人生や生き様を想像する。楽しい・・・
もはや絵画のような写真もある。う~~ん。それだけで物語るような写真が撮りたい。今やすっかりその気になっている私です。
(今日の写真は、朝の木馬のカウンターです。光と影にこだわっています。)

午後のカウンターで、トンボとジンちゃんが久しぶりに一緒になった。

「いいんかね、えっちゃんをその気にさせて、誉めすぎじゃないジンさん、見てみんさい、足が地に付いてないというか、スキップしているよ。」
「いや いいものは誉めます。このごろ少しよくなって来てますから。」
「俺は知らんよ、有頂天になっているよ。責任とらんよ。」

ハイ、ハイ 大丈夫です、自分のことはよーくわかっています。まぐれが続いただけでしょう?

話は全然変わります。

久しぶりに見た。湾岸戦争の時 毎日テレビに出ていてすっかり人気者のなっていた、軍事評論家の江畑謙介さん。いやぁ ベレー帽ヘアーの江畑さんも老けたね。そりゃそうか、湾岸戦争から何年経ってる?15、6年?当たり前よね。

それというのも、北朝鮮の建軍記念閲兵式とやらで 15年ぶりに軍事パレードが行なわれ、スカッドミサイルや、弾道ミサイルも行進に加わっていたからだ。
集団の整然美、マスゲームの見事さ、壮大にして緻密、人文字なんて生やさしいもんじゃない、思わず見とれてしまうほどだ。

私 常々思うんだけど、悪趣味それ自体は罪でもなんでもない。だけどそれがいったん権力と結びつくとろくなことない。もうほとんど犯罪、権力を持つ者、独裁者はせいぜい無趣味になって欲しいのだが・・

しかし 沿道の何万人という人たちのトイレ どうするんだろうか?
変なことが気になる私です。

晴れ 22℃ 暖か だけど霞んでいた。


筍恐い。

2007年04月25日 | 木馬の事

 いい季節だ、寒くもなく暑くもなく、空は澄み渡り、でもこのお天気は夕方近くになってからだ。
 
 『光と影』だなんてえらそうなこと言ったけど、すっきりした晴れじゃないので、写真撮影にはなんとなく面白くない。
ショッピングセンターに買出しのついでに バス停の花壇にあったチューリップを写して見たけど、いまいち納得がいかない。
しかしチューリップって すぐに花弁があられもない姿でしなだれるけど、このチューリップはまだ間に合ったという感じ。取り合えずよかった、黒いチューリップ。

 さて、今年は筍が人間様が食べる前に 猪にみんな食べられて その残りを人間様が食べてるなどと話していたら、頂く時は連日、それも半端な数じゃない。
いささかうんざりだが嫌な顔もできず、顔で笑ってお礼を言って心で○○○り。(近所に電話して、すべて里子に出したから決して無駄にはしていません。)

で、筍を煮たお汁が残ったのと、朝のモーニングのゆで卵が残ってしまったのとで、筍汁で煮卵を作ることにした。

ゆで卵の殻をむき、筍汁にお醤油と味醂を少々足して、それにつけて煮る。ひと煮立ちにしておけばよかったのだが、白身のところにしっかり煮汁の色が付いたお醤油色の卵のほうが切って盛り付けるときに綺麗だからと、もう少し煮つめようと、そこまでは注意していた。

小さめの火にして、お仕事、本業です、お客様の相手、パソコンのチェック(これがいらぬ事。)既に頭の中から消え去っている煮卵。哀れ!

突然 ガラリ戸の厨房から、爆発音。バーン!すわ!テロ?「何の音?」いまだ気がつかず。車のパンクじゃない?
ちょっとまって、突如冷や汗!

「アッ!、卵だ」煮汁が黒く煮詰まって茶色になった卵が、爆発して砕け散り見るも哀れなお姿に・・・あぁあ・・
イリコさんと 顔を見合わせて口はあんぐり、笑いをこらえるのに必死。

飛び散ったのは捨てました。黄身も床に飛び散った。ふぅふぅいいながらふき取りました。 鍋に残っているはどうしたと思う?
イリコさんと二人で食べました。これがゴムをかんでいるようで、あれは卵じゃない、安物のホルモン焼きのガムのような食感。

しかし 卵は破裂するのです。そして爆発するのです。
煮汁とおこげのへばりついたホーロー鍋はいままだ水が張ってあります。

今日はレベル2です。

朝曇り 午後晴れ。17℃


レベル2の日

2007年04月24日 | 四方山話

 緑色のおおでまりの花が ブロック塀からこぼれそうに咲いていた。
緑の桜もあるし、緑のおおでまりもあって不思議はないんだけど、紫陽花と間違えそうだった。

 朝から どじってばかりで、思わず♪歌を忘れたカナリアは、おーせどの山に捨てないで・・と歌っていたら、みんなに大顰蹙。

誰がカナリア?あんたはそんないいもんじゃない。ヨタカみたいな顔してといわれたが ヨタカってどんな顔してるの?

 で調べてみたら、ヨタカ目ヨタカ科の鳥。全長約29センチ。全体に茶褐色の細かい模様があり、くちばしは小さいが、口は開くと大きく、周りに長い剛毛をもつ。夜、飛びながら昆虫を捕食し、キョキョキョと早口で鳴き、枝に平行に止まる。アジア南部に分布。なんだって!
私はまた人一倍色気があるしAカップじゃない、豊満な肉体をしているから あの江戸の夜 岡場所に出没し、手ぬぐいをかぶり半分口に銜え流し目で色気たっぷり、三味線抱えたあの夜鷹かと思った。

 で 話は戻るが何をそんなに忘れるのかって!もう恥ずかしくて人様にはいえません。お嫁の貰い手がなくなるから???。今日はレベル2です。

 さて 話は全然変わります。
それにしても、長崎市民は偉い。選挙期間中に凶弾に倒れて急遽 娘婿と市役所の職員が立候補した統一地方選挙後半戦の話だ。
私なんか遺族が泣きながら、父の無念を!と絶叫して訴えられたら 政策や、イデオロギーなど何にも考えずに 香典代わり一票差し上げたかもしれない。
でもそれじゃいけないんだよね、政治は同情や、哀れみでは出来ない。
ということで市役所の元課長の阿藤快を少し丸くして眼鏡をかけたような田上富久氏が インドのパンのナンのような顔をした娘婿を抑えて当選してしまったのだ。

私はつくづく思う、選挙の時の人心掌握術のポイントは、いかに有権者を格式高い庶民と思わせる事が出来るかだと。あなた方一人一人が慎ましやかで非力な庶民でも、絶対に力をあわせれば変わる、と思わせる事が出来るかだと思う。
「庶民」好みの判官びいきにもっていけなかった、前市長の家族には気の毒だけどそう思う。(伊藤一長はそれだけの男だったんですか?という長女の叫びは凄かったけどね。)

今日の新聞によると、運も味方してくれなかったようだ。
無効票のうち、期日前投票で7500票も伊藤一長と書いてあったらしいし、「娘婿」とか、「市長の息子」とか、「市長の後見人」とかが相当あったらしいから。

いずれにしても弔い合戦とか、世襲制とかは死語になってしまったようだね。

朝 晴れ 午後から曇り 17℃

追記

たまたま新聞読んでいたら、「埴生の宿」という学校で習った歌の事が出ていたが、「埴生」というのを歌の歌詞から優雅な家と勘違いしている人が多いが、「埴生の宿」とは土間にじかにむしろを引いて寝るよう土作りのこの上ないおんぼろの家のことなんだって。知らなかった。

 1.埴生の宿も わが宿
  玉のよそい うらやまじ
  のどかなりや 春の空
  花はあるじ 鳥は友
  おお わが宿よ
  たのしとも たのもしや

2.文読む窓も わが窓
  瑠璃の床もうらやまじ
  きよらなりゃ 秋の夜半
  月はあるじ 虫は友
  おお わが窓よ
  たのもしや たのもしや

歌詞を見る限りそのようには思えない。


私だってやる時はやるんです。

2007年04月23日 | 木馬の事

 

 午前中少し雲って寒かった。
けさの9時から松坂のレッドソックスーニューヨークヤンキースの試合をリアルタイムで見れる楽しさは、何ものにも代えがたい。

しかし 松坂は ピリッとしてない。山椒でも振り掛けたいほどだった。
本拠地で宿敵 ヤンキースとの3連戦の最終戦に先発で今期 4度目の登板。
う~ん、打線の援護で何とか2勝目をあげたものの、6失点。
3点先制されて 3回にリセットしてもらい、一点勝ち越ししてもらったのに、ナンタルチア!
私などいつも20歳代にリセットしてくれないかと願っているのに、60億円男よ、しっかりせい!と活を入れる私でした。

 さてさて午後からお天気も復活、お日様が顔を出し、暖かくなったので、予てより計画していた トンボ邸の畑でレタスの植え付けをした。
というのも、トンボ農場のおばあちゃんが この前体調を崩されて、少しの間入院治療しておられたから、木馬のレタスの植え付けが出来ないと気にしてくださったのだ。有難い事だ。感謝 感謝。

久しぶりに見たおばあちゃんは お元気そうで、いろいろ植え付けの間隔とか、深さとか教えていただいた。
その合間にも草をむしって、畑の野菜の出来具合を見て回っておれれる。

トンボが言う。
「こうして 一緒に畑をして 老後は暮らそう。」
「若くて元気な奥さんも一緒に?」
「家内がね 最近身体に気をつけるようになってね、ビールはお腹が出るから嫌だと焼酎を飲むようになってね、家内には暴飲暴食を進めているんだがね、身体に気をつけてもいらったら困るよね。」とバカな事いいながら、とうがたって花が咲いている高菜や、ブロッコリーや、大根を力いっぱい、引っこ抜いている。
しかしナンですね、野菜はとうがたつと菜の花のような茎と花が咲くんですね。知らなかった。
少し耳の遠いおばあちゃんは、何いわれているのかもわからず、一緒に笑ってあわせてくれていてそれにまた私たちが大笑い。

そして入院している間にも 畑のことが気になって仕方がなかったらしい。
88歳になられるとか、まぁ元気だ。そのようには見えない。
軽い脳梗塞の症状があったので 念のために検査をしたら、脳は綺麗でこりゃボケないとお墨付きをもらったとか。羨ましい。
プチアルツのわたしゃ、絶対にどこかの血管が一、二本切れてるよきっと。

 さぁ 済んだよ、済んだよ。おばあちゃんの指導よろしく、綺麗に新芽のサニーレタスが植わった。
葉っぱは小さいが 二枚ずつ向かい合った葉っぱが付いた苗は、綺麗な萌黄色で、キラキラと太陽の日を受けて今すぐにでも食べたいくらいだった。大きくなってよ!

「そこら辺の野菜 なんでも持って帰っていいよ。」といってくださったので、お言葉に甘えてえんどう豆と、三つ葉、みやこ忘れの花、サニーレタスを両手にもてないほど頂いて帰った。

私だってやる時はやるんです。
そう言ったら、愚かなトンボがすかさず「俺だってやる時は脱ぐ」とかバカなこといってました。

しかし少し疲れた、ふぅ!

朝曇り 午後から晴れ。16℃


光と影の思い出。

2007年04月22日 | 私ごと

 私なりの昭和を書きたいと思っている。

橋本治がいつだかエッセイに書いていたように、「記憶というのは結局 自分で何かを作り出す材料のようなものだから、使ってしまえばなくなる。使い道がわからないまま下手なしまい方をしておくと、記憶というものはたたる。それが無意識というヤツだが使い方が下手なだけだ。」
少し話はそれるが、トラウマも記憶だけど ろくでもない記憶を勝手にトラウマと決め付けて、(昔私はトラウマという動物が本当にいるのかと思っていたことがあるけど。)意味あげにその場から逃げるのはどうかと思う。それから教訓とか、活力とか引き出せないものね。
 
 それで話は戻るけど なんか、作家でもないのに書きたいだなんて えらそうだけど、要は思いつくまま忘れないうちに書いておこうと思っているだけだなのだ。

 でまた引用文で申し訳ないが いつだか久世光彦の週刊誌のエッセイで 昔の家には光と影があったというような文章を読んだことがある。
夜中に目を覚ますと障子のしろさがある。雨戸の節穴から漏れる朝の光。

 そういえば子供のころ 雨戸の節穴から二本の輪郭のぼんやりしたサーチライトのような光の輪があった。その光は子供のころよくチラシでくるくると丸めて作った 拡声器のような形をしていて、その薄明かりの光の中に小さな埃が無数に舞っていた。スッカリ明るくなるとその埃の粒はどこかには消えてしまっていた。

昼が明るくて夜が暗いのは今も昔も代わりはないけど、障子で雨戸の時代にはその間合いには、ほんのりとなんともいえぬ 薄明かりがあった。外から漏れいずる明かりか、それとも障子に映る柿の葉の影か、そして日が落ちるカラスがなくころの残光は ほの薄赤で、真っ暗になるまで電気がつけてもらえなかったが、その赤い残光に染まって揺らぐ障子の色は、今思い出しても、仄かな光の中で、夢をはぐくみ 夢に向かい、明日に向かって希望を育てた灯りのように思える。

 木枠の窓から射しこまれる光には、部屋全体を均等に明るくしたりしない。天井から下げられた裸電球の下は家族団欒の灯りがあれば充分で、隅っこや天井にはほの暗い影があった。人が動いたり、風で電球の傘が揺れると、影も明かりも陽炎のようにゆれた。
私が 木造の古い家に今でも惹かれるのは、やはりそこには光と影がはっきりと見えるからだと思う。

 綺麗に晴れた先日の朝、我が家のガラス障子に当たる影を見て ついその当時の光景を思い出して思わず写真を撮ったのです。

 その昔、(昭和30年ごろ)その影と光のある家に住んでいたころのこと。
両親は共働きだったので、いつも私達三人姉妹は祖母と一緒だった。
寒い雪の降るころのこと、たたみ半畳ほどもある掘りごたつにすっぽりとはまり祖母の話を聞くのが楽しみの一つだった。

 祖母の話はいつも「三枚のお札」だった。これが何度聞いても同じところが恐い。小坊主が逃げるのだけど、山姥がものすごい勢いで追っかけてくる。一枚目は便所からにげるところに使う。そこまで来るといつも声の調子を上げ、私たちが恐がるのをうれしそうに もったいぶってそこで鼻をかむ。話の途中で鼻の頭に水が溜まると、祖母は着物の懐から、紙を出すのだけど、何度でも使うのだ。
子供心にもの凄く見るのが嫌だった。しまいには乾いてぱりぱりとはがして使っていた。でも昔の人はものを大事にしたんだね。

 少し寒くなると 掘りごたつに消炭を継ぎ足すのだ。コタツの一箇所の布団を上げて コタツに頭から突っ込んだ大きな祖母のお尻が、奇妙に忘れられない。

 光と影 私の郷愁を誘う組み合わせ。これからもこのテーマで写真が撮れたらいいな、と思うこの頃です。

雨 午後から曇り 夕方からまた雨 22℃