ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

くたびれた!

2006年04月30日 | 私ごと
今回のまごまごの帰省は、一番孫のご機嫌が悪くて、いいショットが撮れなかった。

 土曜日は、まゆパパから頂いた、大きな鯛と、大きな鯵のお刺身と、お頭で、潮汁、
レインボーが帰省した時 いつも気を使って下さり、釣りたちのお魚を用意してくださるまゆパパのご好意に、山葵醤油をつけて口に運びながら言う。「お魚の鮮度のいいのをいつも食べさせていただくが、友達にこの話をすると、本当に羨ましがられるのよね。コリコリ感が最高!すきなのよお魚が、でもあちらでは高くて買えない。実家に帰って何がうれしいって、この食感よ」と。

 島根和牛は、すき焼きにせずにバター焼きにした。
バターで塩コショウした薄切り肉を、ガーリックを先に炒めて、この溶けたバターでお肉を炒める。
その後の肉汁にケチャップとウスターソースでお肉にかけるソースを作る。
以前にも書いたが、このフライパンに白いご飯をいてれて、かき混ぜると、美味しいガーリック、肉汁チャーハンが出来る。
フライパンもきれいになり、美味しいし、一石二鳥の料理だ。

 日曜日も、まだまだご機嫌ナナメ。
久しぶりに『あおばな』を見た。出る度に拭くから、鼻の回りは被れて真っ赤、痛がってまた泣く。
でも 午後から何とかご機嫌も直りかけ方向へ。一緒に前の草むらで、サッカーボールを蹴ったり、風船を飛ばしたりして遊んだ。

海浜公園に出かけて、滑り台で遊んだけど、目が離せないので大変。
頭が大きくて、すぐ転ぶのだ。

黄砂がひどくて、公園もガスっていた。

夕方はお買い物に行き、今日はお寿司にしようね。
お持ち帰りすしの「鯛苑」で、錆び抜きも買って、何とかご機嫌が直った孫と一緒に食べた。

でも 今日は、体中が痛い。
何といっても、腕 特に二の腕が張りがあり痛い。
60肩だろうか?そんな言葉があるかどうか知らないけど、とにかく腕が痛くて上がらない。

疲れた、やはり無償の愛情の期限は、2日がいいとこ・・

くたびれました。仕事の方が何ぼかいい・・

晴れ 24℃ 熱い。


頂きもの、77,78,79,80,81,82,83,84,85,86番目。

2006年04月29日 | 頂き物

  

   

  

   

 

 上 左から、ぼうふ、コシアブラ、筍、鯛、最中、筍、レタス、  新玉葱、、

ごまだれ餅、天津甘栗、筍、鯛。

 

今週もまたたくさん頂きました。ありがとうございました。

 

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 ゴールデンウィーク。

このなずけ親は、日本映画の黄金時代を築いた大映のプロデューサーで、同社専務を務めた、故松山英夫氏らしい。

今から半世紀も前観客動員図るためのキャッチコピーとして使われたとか・・

若いとき、浜田にも映画館が5軒あった。

007シリーズが3本立で、上映していて、朝から晩まで見たことがある。
暗くなって映画館から出たときには、頭が痛くなっていた。

今は懐かしい思い出。

 

アクアスがオープンした時は、車の渋滞がすごくて、木馬の前も車の出入りが出来ないくらいだったが、ここ数年は、閑散としたもの。

孫も帰ってきたが、一番孫は風邪をひいて鼻水や咳でご機嫌ナナメ。

二番孫は、何食わぬ顔でスースー・・

明日一日 子守をして、ご機嫌取りをしよう。

 

晴れ 時々曇り 時々小雨。21℃  黄砂でやはりどんより。

明日はお休みです。


鉄のすき焼き鍋の思い出。

2006年04月28日 | 私ごと
某スーパーで島根和牛が半額になっていた。(賞味期限は大丈夫。)
島根和牛は日本一だと聞いていたので、レインボー一家がこの連休に帰省するから、すき焼きか、しゃぶしゃぶでもと思って買ったのだけど・・
 
 お魚はまゆパパに『まごまご』のお祝いにと、大きな鯛と大きな鯵を頂いたので、これもお刺身にしてと、すっかり、孫ばかしている私です。

 明日から月曜日まで、『まごまご』に会える。
私の無償の愛は『まごまご』の為にあるようなもの。
明日は、夕方5時まで営業、日曜日はお休み、ブログの更新が滞っても生きていますから、よろしくです。

 すき焼きをする時には、我が家は写真の鉄のすき焼き鍋を使っている。

 それは、昭和26年の事。
引揚者の両親は、東京で父の姉夫婦のうちに間借りをしていたが、板橋のビニール工場に仕事が決まり、我々家族5人は、初めて一軒家に住むことになった。

 その頃の板橋は、
陸軍の東京第二陸軍造兵廠・板橋工場の面影が残っていて、軍の解体後は、民間が工場として払い下げてもらっていたのか、大手の工場がたくさんあった。
資生堂とか、明治製菓とかもあった。
その兵器工場の倉庫か何かの建物だったんだろう、鉄の骨組みだけ残っていた建物にトタンの壁や畳を入れてくれて、住めるようにしてくれた たった二間の新居だった。
 
 家族で6畳の間に布団を敷きつめて寝た。
時々何かの拍子に夜中に目がさめた時、天井に張ってある杉板の節目がお化けの目の様に見えたり、何かとてつもない大きな動物に見えたりして、慌てて目をつぶり、布団にもぐったりしたけど、
しかし ♪狭いながらも 楽しい我が家~だった。


 話は少しそれたけど 父は、賑やかなことが好きな人だった。食べるものも満足にないのに、同僚や友達を呼んで一緒に食事をするのが好きな人だった。

或る日
「おい、池田が牛肉を持ってくるから、すき焼き鍋を買ってきた。」とこのすき焼き鉄鍋を父は買ってきたのだ。
池田さんとは、まるで下駄のような、将棋の王将の駒のようなえらの張った顔をした同じ会社のお兄さんだった。

 私も妹(サンコー夫人)も みんなでわいわい食事をするのが好きだった。特にこの池田のおにいさんは、「えつこはいい子だ、いい子だ」、と可愛がっていつも胡坐の膝に抱えてくれたので、とても好きだった。

 その日 池田さんは、経木に包まれた、牛肉200匁、抱えてきた。
この数字はよく覚えている、「これだけがやっとだったんですよ。」と池田さんが言ったのを聞いていたのだ。
食糧事情の悪い時代、牛肉のすき焼きなど食べた事がなかったのに、贅沢にも牛肉のすき焼き。

 牛肉以外に何が入っていたのか覚えてないけど、七輪にこのすき焼き鍋を乗せて、父が、肉の脂の塊が解けるまですき焼き鍋の底をなぜまわして、牛肉を入れて、お醤油とお砂糖(赤砂糖)の割りしたでお肉を炒め煮にする、
「おい、火が弱い、団扇はないのか。」「強い強い火が・・下のふたを閉めろ。」
父は 牛肉のすき焼きにか、鉄鍋のデビューにかわからないけど、興奮して、騒ぐ。その度に母(安光姫)は団扇や、ジュウノで七輪を仰いだり、ふたを閉めたり、

 妹とお皿に入れてもらうのを 今か今かと見つめて待った。やがて、お醤油の泡とともに、お肉が煮える。
「さぁ お前達も食べなさい。」

 やっと口に入ったお肉が硬くて硬くて、熱いし硬いし噛める肉じゃない。引っ張ったり、また口に入れたり、飲み込むのに大騒ぎをしたのが思い出される。
多分 東京ではその後このすき焼き鍋は、出番がなかった。

 その後 都合で島根に引き上げた時にも、この鉄の鍋は、台所用品と一緒に柳ごうりに入れられて、鉄道のチッキで島根に・・。

そして今もまだ現役で 我が家の台所に鎮座しているのである。

温泉津町が全国公募している、難波利三直木賞受賞記念「心の故郷」のエッセイに応募しませんか?と勧められて、少し子供の頃を思い出して書いてみた還暦間じかの私です。

晴れ 19℃ 黄砂もあり・・

花展。

2006年04月28日 | 木馬の事

  

 

 

  

 

 隣の親父さんの写真です。

春を待ちわびて、目一杯咲いています。

上左から「ケシ」 「キリシマ」 「石楠花」 下左 「ツツジ」 「わかりません」

「水仙」

写真をクリックしてください。    


喫煙者は肩身が狭い。

2006年04月27日 | 木馬の事
昨日の浜田市三隅町の室谷(←リンク)の棚田の記事で4000枚の棚田と書いたら、今日の暇な木馬の昼下りのカウンターの常連に「ここの辺りで、4000枚の棚田なんてあるわけがない、あんたのブログは、毎日見てくれてる人が多いのにいい加減なこと書くんじゃないよ、あそこは精々100枚がいいとこよ。数字に弱いあんたが見間違えたんだろう?」と大ブーイング・・
調べてみたよ。やはり4000枚でした。よかったぁ~。ちゃんと見てください、お客さん!

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 それにしても、喫煙者は追いやられたもんだ。
今日 市内最大のスーパーにロト6を買いに行ったら、お客さんのKさんが、左のサイドの入り口の外で立っていた。
「あれ? どうされました?」
「いやぁ 食事の後タバコを吸おうと思ったら、全店禁煙で吸うところがないので、・・」

いくら健康至上主義の世の中になったとはいえ、あまりではないか?
我が夫もヘビースモーカーだったので、よくわかる。

隅っこに立ちんぼみたいにたって、風に吹かれながらタバコをすっているその脇を、まるで犯罪者を避けるように遠巻きに見ながらお客が自動ドアーに消えていった。
Kさんは笑って挨拶してたけど、見世物じゃないんだよ!と言いたげな顔をしていた。

病院でも、市役所でも、警察でも、駅でも、今はタバコは室内では吸えない。
煙草のパッケージには、まるで危険物のような、毒薬のような、お知らせが箱の3分の1くらいのスペースで印刷してある。
心筋梗塞の危険性を高めるとか、肺気腫を悪化させるとか、ニコチン中毒になるとか、書いてある。
なら作らねばいい、売らねばいい、

しかし、市の広報誌によると、江津市で年で一億3千万円の煙草税収があると書いてある。
喫煙者はお金を出して、税金を払って、そして、皆から虐げられている。
何だかおかしい・・

 今日午後店内がタバコの煙でもうもうになった。
とらたぬやトンボが、「この店は換気機能はどうなってるの?」と言う。
窓を開けた。
確かに迷惑だけど、禁煙にしたらお客さんは減ると思う。喫茶店は、コーヒーを飲みながら、タバコの煙をくゆらしながら、ゆっくりとくつろぐ所だと思っているし・・

 しかし、タバコに関わる道具や仕草やポーズなどが、目の前から消えていくのは少し寂しい。
たとえば、この前 再度見た映画「さらば友よ」はタバコが、重要な間合いを演出していたし、作家や、小説家などの写真は必ずタバコをくわえているか、紫煙をくゆらしている。

もはやこういう風景も昭和の時代のものなのか?いまは、税金を払って、虐げられているのだ。

 話は変わるが、某スーパーの店長もよく吸うね。まずタバコをくわえて入ってくる。自分の何時もの席に灰皿がないと、隣のテーブルから抱えて来て座る。
そして、自分のタバコの煙にむせている。
灰皿もすぐ一杯になる。仕事中に吸えないから、終わったら、まとめ吸いのようだ。
そしていつも2割引シールが引っ付いた使い捨てライターを忘れて帰る。

 しもちゃんが言う「まだいいよ、うちに来たら、黄色い2割引シールの引っ付いた木馬のマッチを置いて帰るよ。」
店長は、ちゃんと木馬の宣伝をしてくれているんですね。

で、今日の記事なのですが、それだからといって、喫煙を決して奨励しているわけではありません。私は吸った事ないのですから・・


曇り 時々晴れ 今日も黄砂警報。青空がみたいよぉ~。17℃

久しぶりに、もの申す。

2006年04月26日 | 四方山話

  

日本棚田百選に選ばれている、旭町都川の棚田(右)

左は三隅町室谷(むろだに)の棚田の全景と4000枚の棚田です。写真をクリックしてください。

隣の親父さんの写真です。

今年は気温が低くて、苗代の育ちが悪く五月の連休に田植えが出来るか心配しているらしい。

20℃以上の日がほとんどない。

 

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 うっとおしいったらありゃしない。

連日 曇りか黄砂かわからないような、どんよりとした、黄色い日々が続いていて、洗濯物やお布団も満足に干せない。

少し前なら、ゴビ砂漠から万里の長城を超えて、やって来る黄砂、いやぁ 凄いね、大気の神秘を感じるね、などと、呑気に話していたが、最近というか 今年のそれは少し違う。
はっきり言って不愉快だ。愛車のマーチは磨いても磨いても黄色い埃で汚い黒に変身してるし、窓ガラスも磨いても磨いても、薄汚れている。

こんな時ヘタに水をかけようものなら、汚さの上にこびりついた泥で、にっちもさっちもいかなくなる。

口の中もざらざらだし、のどの調子も今一良くない。

鼻炎も花粉症とは別に症状がでるらしいし、松枯れも松食い虫のせいばかりではないらしい。肺の病気も引き起こしやすいらしい。

 

今日発売の「サンデー毎日」にやはりこの記事が出ていた。

それによると黄砂はそもそもは自然現象であるけれど中国の砂漠化がこれを悪化させた。

中国では砂漠化を防ぐ為に植林を進めたり、木の芽を食べる羊の放牧も制限したりしてきたが、貧しい地方政府も借金で四苦八苦しているのに中国政府がこのような田舎にきちんと植林の予算を回したことがない。

それどころか政府幹部が予算をピンはねして手抜き工事(おから工事というらしい。)をして、ますます大気汚染を含んだ黄砂がひどくなっていくだろうと書いてあった。

 寒く厳しい冬を我慢して、待ちに待った 希望に満ちた春は、薄汚れた春なのか? 

 

 もう一つ。

国会中継が行われている。

小泉政権が発足して、26日で丸5年が過ぎた。

「自民党をぶっ潰す」との怪気炎を上げ。80%を越す空前の支持率を記録して、最後は郵政民営化選挙。反対派を徹底的につるし上げ、完勝した。

 

アドバルーンのように、あっちにふらふら、こっちにふらふらで「論語読みの論語知らず」と言った方がぴったりかな? の私でさえ こんな事でいいの?と少々不安に思っていた。
格差社会という言葉も再々出るが、景気の上向きが続いていて、どん底を這い出した、と政府は言っているが私には 増税と老後の不安しか実感がない。


今日の新聞にこんな記事があった。戦後歴代3位の長期政権になった理由は、首相の言動が時代の波長と奇妙にシンクロしたためではなかろうか?と・・


そしてああいえばこういうの独特の話法。

これについても、エッセイストの米原万里さんの「小泉話法のマジックは、カメラで言えば、いきなりズームインするようなもの、バラの花びらに止まった小さな虫に注目させて置いて、巨像を隠す手品師のトリックに似ている。」と・・・

 

5年間のズームインをあげるには、枚挙に遑がない。


 新井議員が小泉改革は「画竜点睛を欠く」と叫んでいたが、構造改革の後遺症ではないだろうか?国民の一割の勝ち組と九割の負け組みの格差社会の到来は・・

 曇り 14℃ 肌寒い。


この道一筋・・

2006年04月25日 | 木馬の事
 もったいない。
「固有名詞が本当に出てこなくなった。ここらが引き時」ということで、三遊亭円楽さんが落語人生の引退表明した。
江戸っ子らしく、引き際が綺麗で潔い。そこいらの政治かも見習ってほしいものだ。
円楽さんと言えば、何といっても「厩火事」だね。

 この噺は、ご存知のように髪結いの亭主の話で、厩が火事になり、主人が大事にしていた名馬が焼け死んだにもかかわらず、馬の事など何も言わず、店の者の体の心配をしたと言う話を聞いた髪結いの女房が、年下の夫がはたして、自分を愛してくれているのかと(喧嘩ばかりしているから)一計を案じて、夫の目の前で茶碗を割ってみせる、すると夫は、怪我はなかったか、指は大丈夫かと血相を変えて飛んでくる。喜んだ女房は、
「お前さん、やっぱり私を愛してくれてたんだねぇ。」
落ちは「当たり前じゃねぇか、お前が怪我したら、遊んで酒飲めねぇ。」

 この道一筋の円楽さんのこの引退の話を聞き、ダグラス・マッカーサーの言葉"老兵は死なず 消え去るのみ"と言う言葉を思い出した。一抹の無念さを残しつつも一応の役割を果たしたという、男気が感じられたから・・。
 
 毎度バカバカしい脱線話で申し訳ありませんが、この道一筋と言うと思い出す話がある。
何年か前の或る日 警察の刑事課長が木馬にやってきて、おもむろに言った。「お願いがあるんだけど・・」

 そのお願いとは、なんでも、全国の警察だけの月刊誌の「この道一筋」のコーナーで江津署のM刑事が、刑事端40年で紹介されることになり、その時色を添えるために一緒に写真に写ってほしいと言う話だった。
「誰がいいか、警察署内で投票をした、ママポリスは?事務員は?そしたら木馬のママが一番いい、スタイルといい、容貌といい、ということになったのよ。内々の雑誌とはいえ、全国版だから、週刊誌より販売数も多い、この雑誌を見たら、ファンレターがわんさか来るよ。」
私も ふと考えた、何だか裏があるんじゃないか。しかし相手は刑事課長だよ、じきじきの話に裏なんてあるわけないじゃない、それにこんなに褒められて・・
そりゃ引きうけますがな・・

 なに着ようか、この前新調した一張羅にしよう。あれこれ考えて撮影の日を迎える。そうそう一夜漬けのパックもしたり・・雑誌に載るなんてなんと名誉なことか?
そうかー いよいよ私も日の目を見る時がきた。そうよね、誰が見てもこんな田舎に置いておくのは勿体ないのよね。バンザーイ!
場末の田舎の喫茶店から、全国版のスター誕生!

 大きなカメラ機材の箱を抱えた記者が木馬にやって来た。M刑事と一緒に、いろいろの角度からパシャ、パシャ、小一時間、何枚も撮られた。その間 笑ってください、話してください、注文が多い。けど雑誌なんてこんなもんよ。一枚の写真では駄目なのよ。

 記者さんが、「一月くらいで発売ですから、警察で見せてもらってください。」そう言いながら撮影は無事終わった。ふぅ・・

 さて、一月たち、二月たち、三月たち、一向に雑誌にお目にかかれない。「あの雑誌発売になりました?」聞いてみたが、刑事課長さんは、なんだか、態度がおかしい。何かあるな?

 私はM刑事に無理やり見せてくれるように頼んだ。
見た、驚いた、笑った、頭にきた、そしてまた笑い転げた。

 その記事はこう伝えていた。
この道一筋・・「女詐欺師の取調べで、誘導尋問をしているM刑事。」
え~なに?女詐欺師?犯人役?・・
それはないよ、こんな純情な私、男を騙したことなど一度もない私が女詐欺師?
スターの夢がはかなくもパラパラと消え去ったのです。消え去るのみ・・・

 
晴れ 16℃ 少し青空・・

浅草雷門で・・

2006年04月24日 | 私ごと
 小さい頃 東京に住んでいた。
小学校の時 島根に来て高校を卒業するまで、東京に行くことはなかった。
東京は父方の親戚や、私の従妹がいて、時々手紙をもらうと「会いたい、会いたい」と言ってくれてたが、なかなか行けずにいた。その内 愛想なしが東京の大学に行き、そのまま東京で住みついてしまったので、その後何度か東京に行った。
たまたま@テツ君が雷門の写真を掲載していたので、私も探して見たらあったよ。
暑い夏だった。この時多分、羽田からモノレールで浜松町に行き、品川から新馬場に行って、先祖のお墓にお参りして、浅草に行った時ではないかと思う。
荷物を抱えているのは、その前に東京に行った時、品川のホームのコインロッカーに荷物を入れたはいいが、例によって、どこに入れたかわからなくなり、何時間も探し回り、冷や汗をかいて、本当に田舎に帰りたくなったことがあるから、抱えている。

 この写真も一緒に出てきたのだけど、多分からくり時計のお人形が突然踊りだして、驚いてシャッターを切ったのではないかと・・これ浅草だよね。違うかな?

 さてさて話はさかのぼるが 東京オリンピックが終わった年 島根に引き上げてきてから初めて東京に行った。
その時 小さい頃すんでいた、平町とか、板橋とか行ってみた。とても行きたかったので、父親にどうしても行きたいと頼んで連れて行ってもらった。
けど、面影がないばかりか、住んでいた家すらなく、時の移り変わりの速さをひしひしと感じただけだった。

父親は笑いながら「我々が大陸から引き上げてきた時には、東京は焼け野原で、銀座など、あちこちに綱がはってあったよ、ここが私の土地ですと綱を張ってテントにでも住み続けていれば、今頃は銀座の大地主になっていたよ。」とお酒を飲んだらいつも笑いながら言ってたな・・

 それから 次に東京に行ったのは、結婚して、愛想なしがまだまだ、素直でいい子だった4歳ごろ家族3人で(レインボーはまだ生まれていなかった。)行った時だ。

この時もまた、新宿の地下街で、コーヒーショップに入って、トイレを借りようとしたら、外の突き当たりを曲がった所と教えられて、行くには行けたのだが、私は自分の病気を忘れていた。
帰ろうにもわからない、そこを出たら、右だったか左だったか・・どうしよう、うろうろあっちにいったり、こっちに行ったり、携帯電話などない時代(あっても私は駄目だけどね。)うろうろしてどれくらいの時間がたったのかわからないが、突然愛想なしが迎に来てくた。「お父さんが帰らないから迎にいってやれと言ったから・・」地獄で仏にあったようとはこの事だと思った。
人間 あまり情けないと悲しみじゃなくて笑いが出るよ。へへへ・・・とね。

まだまだこの手のエピソードは数え上げたら切がないが、この前何かの本で読んだけど 女優の村松英子はものすごい方向オンチで、外国で何度も帰れなくなり、行方不明になったことは数え切れないと・・
いるんだね、私より上手が、嬉しかった。

出かけるたびに同じ話になる天然記念物級の方向オンチを遺伝子のせいにしたいけど、これが誰もいないのよ、わが血筋には・・それでは突然変異だろうか?
それともかぐや姫のように竹の中から光り輝いて生まれたんだろうか?
誰です? 安光姫とクローン親子だと言う人は・・


晴れ  15℃  
朝から 黄砂で凄い。隣のFさんの奥さんもお布団が干せないと言っています。

寝てもいいのです。

2006年04月23日 | 木馬の事
  浜田市長見町の棚田。
田植え前で準備万端、すっかり水も入り、ゴールデンウイークには、田植えも終わるでしょう。

♪そろた 出そろた 早苗がそろた、植えよ 植えましょみんなのために~・・・。

隣の親父さんの写真です。(クリックしてください。)

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 クラッシックやオペラが好きである。
クラッシックに関しては、以前書いたと思うが、若い頃クラッシック好きな方に、繰り返し繰り返し聞くことにより、自分の知ってるメロディが出てくる、その旋律に遇いたいがために繰り返し聞く、難しいことではないと訳のわからない解説を教え込まれたことがあるが、オペラに関しては、ちょっと普通のオペラ好きの方とは違うような気がしないでもない。

 独身の頃 オペラを聴きに行ったことがある。誰と?それは秘密です。
幕が開く、舞台の柔らかな照明、豪華なセット、妙なる楽の音、訳のわからないストーリー、訳のわからない歌詞・・
「寝るでない、寝てはダメ。金がかかっている。」
「寝てはいけない、寝てはい・け・な・い・」
何度も頭を振る。この緊張感がまた眠気を誘う。
結局 終わりまで夢がうつつか、うつつが夢か・・
それ以降 オペラの話はしたことがないが、寝るのには最高の音楽舞台、オペラでまた寝たい、そう思っているほどオペラ好きなのである・・
あ! まだまだあるぞ、若かりし頃 サンコー夫人とN響を聞きにいき、ずーっと寝ていて、怒られたこともあるな・・

 また話がそれてしまったが、この木馬で音楽が鳴っていようが、テレビが付いていようが、私達が大声で話していようが、カウンターで、コーヒー飲みながら、新聞を読みながら、煙草を手に持ったまま、寝る人がいるのだ。

 その内、スースーから、グーグーに変わり、ゴウーゴウーに変わる。
暫くして、「あぁ 寝とった、・・」

 そして某スーパーの店長もよく寝る。
ゴルフの番組を見ながら、始めのうちは、「あぁ~」とか「え~」とか声が聞こえるが、段々と、おとなしくなり、いびきが聞こえてくる。

「イリコさん、店長お疲れね、」

きっと木馬は、私のクラッシック音楽か、オペラの音楽のような心地よい眠りを誘うフェロモンがあるのだろう?

いいのです。木馬は皆さんの憩いの場、どのように利用されようと構いません。
どうぞゆっくりおねんねしてください。

今日は イリコさんがお休みで、結構忙しくて、やっとブログに向かい合うことが出来た。


晴れ 18℃

Dear フランキーを見る。

2006年04月22日 | 映画の事
製作年: 2004
製作国: イギリス
上映時間: 106分
配給: ワイズポリシー/シネカノン

キャスト&スタッフ
監督: ショーナ・オーバック
脚本: アンドレア・ギブ
出演: ジェラルド・バトラー エミリー・モーティマー ジャック・マケルホーン


いやぁ~先日はカッコイイ大人のラブアクションから、今日は正統派のヒューマンドラマです。いずれにしても、映画はいい。
最初からずーっと流れる ピアノ曲。スコットランドの自然にマッチして、物語の中にすんなり引き入れてくれる。


物語は・・・

耳に障害のある息子のフランキーと毒舌家の母を連れて、リジーはスコットランド中を転々としている。暴力を振るう夫から逃げ回っているのだ。フランキーが難聴になったのも夫のせいだったが、9歳の息子に真実を告げるのは忍びなく、パパは船乗りで世界中を旅しているのだと教え、月に二度父親の振りをして手紙を出すと、フランキーも熱心に返事を書くのだった。ある日、父が乗っているとフランキーが信じる船が、彼らの町に寄港することになる。リジーは一日だけ父親役を演じてくれる男を探すのだが…。

友達のマリーに一日だけの父親を紹介してもらう。このマリーはじめ、周りの人がみないい人。
見知らぬ男を父親と心から慕うフランキーに、「ストレンジャー」は次第に本当の父子のように心を通わせていく。そして、フランキーの幸せそうな姿を見て、リジーは忘れていた家族の絆の大切さ、そして女としての幸せを思い出すのだった。息子のために彼女は、勇気を出してDV夫と対決し、未来へ進もうと懸命に人生を自ら切り開いていく。
ジェラルド・バトラーは、無口で陰のある物静かな一日代理父親を、実に物静かに演じていて、すごくいい。
オペラ座の怪人に出てたらしい。今度レンタルしてみよう。

それから、悪戯悪がき学友もいいね、イギリスの子役はほんとにうまい。


う~ん 私的には☆☆☆☆かな?